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《無料公開》【マリーンズ略史 92~05/-42- 移転直後の快進撃(1992年)】

(写真 マリーンズの快進撃を伝える日刊スポーツ紙(1992年4月29日付け)


(42)移転直後の快進撃 (1992年)

 1992年、千葉県千葉市に本拠地を移転し、千葉ロッテマリーンズとしてロッテ球団は生まれ変わった。14年間本拠地としていた川崎球場に別れを告げ、新設の千葉マリンスタジアムが新しいホームグランドとなった。プロ野球は空白県だったが高校野球は古くから盛り上がっており、千葉に根付くことに期待は高かった。

 そして開幕、前年最下位に終わったロッテだったが、生まれ変わったように新しいスタジアムで選手たちは躍動した。
 そう言えば、1973年、東京球場に別れを告げ、金田正一新監督の下、新しいデザインのユニホームで生き生きとグランドを躍動する姿は、全く生まれ変わったチームを見ている様だった。選手たちは前年と同じメンバーなのに、優勝争いを繰り広げ、翌年には日本一まで成し遂げたチームに不思議な感覚に陥ったことを遠い記憶として頭の片隅に残っていた。この時、そんなチームの姿を思い出して重ね合わせていた。

 結果として、わずか1ヶ月だったが、1992年の4月「ピンク旋風」としてスポーツ新聞の一面をも飾った移転からの1ヶ月を今回は思い出してみたい。とにかく、色々なことが起きた1ヶ月だった。

 【オリックスから譲られた開幕権】

 当時は前年の順位をもとに、Aクラスの3チームに翌年の開幕権が与えられ、基本的に1位-4位、2位‐5位、3位‐6位が開幕カードと取り決めで決まっていた(大阪に3球団が固まっていたため、次カードとの兼ね合いで取り決めから外れたこともあった)。この取り決めで、本来ならば1992年の開幕戦は、前年3位のオリックス対前年6位のロッテ戦が神戸で行われることになる。
 しかし、ロッテ球団は千葉移転の出発となることから、オリックス球団へ開幕権の譲渡を打診したところ、オリックス球団は快諾し、1992年の新生マリーンズは新本拠地の千葉マリンスタジアムで出航する事となった。一部報道では、オリックス球団は7年前の1995年の阪神・淡路大震災でお世話になったリーグへの恩返しの気持ちもあったと伝えられた。
 
 4月4日土曜日、千葉マリンスタジアムのスタンドは35,000人と満員となった。試合前に開幕セレモニーを行い開幕戦がスタート。開幕マウンドには前年に引き続き小宮山が上がったが、3失点完投も0-3と完封負けでスタートとなった。

 【牛島涙の復活&ルーキー河本奪三振ショー】

 翌5日のオリックス2回戦を雨で流し、続いて本拠地にダイエーを迎えた。7日の1回戦は肩痛、血行障害で苦しみ前年3試合の登板に終わった牛島が先発。打線も序盤から牛島を援護。牛島はダイエー打線を1点に封じ126球完投で自身1989年9月26日以来、924日ぶりの勝利でマリーンズ初勝利を呼び込んだ。ヒーローインタビューで牛島は号泣。マリーンズの初勝利はベンチもスタンドのファンも涙で溢れた勝利となった。
 さて、この試合、ロッテは途中交代が無く10人でゲームセットを迎えた「交代0」の試合だった。ロッテの交代0は前年の1991年はなく、1990年10月16日の西武戦(川崎)で5回コールドで終了した村田兆治引退ゲーム以来だった。

 翌8日の2回戦は敗れたが、ルーキー河本が鮮烈デビューを果たした。3-4と1点ビハインドの7回表に初マウンドへ。3回を9人でピシャリと抑えたが、3番・佐々木と9番・湯上谷を除く打者7人から三振を奪った。前日のロッテに続き、この日はダイエーが10人野球だったが、河本が三振を奪えなかった佐々木と湯上谷からは、6回までに園川と荘が三振を奪っており、打席に立った打者9人全員から三振を奪った。
 出場打者9人全員から三振を奪ったのは、当時はNPB史上2度目のことだった。1度目も大毎オリオンズ時代にロッテが記録しており、1958年4月23日に東映の打者9人から、荒巻、小野、若生の3投手のリレーで記録して以来のことだった。

 【9年ぶりに単独首位へ】

 翌9日に勝利し、ダイエー3連戦勝ち越しを弾みにマリーンズの開幕ダッシュがスタートする。
7日~9日 ダイエー3連戦(千葉マリン)〇●○ 通算/2勝2敗
10日~12日 日本ハム3連戦(東京D)〇〇● 通算/4勝3敗
14日~16日 オリックス3連戦(神戸)〇中止● 通算/5勝4敗

 そして、17日、18日の西武2連戦(千葉マリン)。17日は小宮山‐河本のリレーで投手が踏ん張ると、2-2のまま延長に突入し、11回に初芝のサヨナラ打でマリン初のサヨナラ勝利となった。
 翌18日は前田が3失点完投。打線も初芝がマリンで自身初本塁打を放つなど前田を援護、9-3で勝利した。この勝利で通算7勝4敗で勝率は.636として単独首位に立った。ロッテが2試合以上消化した時点で首位に立つのは、1983年5月9日の西武と同率で首位に立って以来、単独だとその3日前の5月6日以来9年ぶりのことだった。
 他方、セ・リーグもこの日阪神が首位に立ったが、ロッテ、阪神とも昨シーズン最下位だったチームが首位に立った。
 翌19日は雨のため中止。2位のダイエーが勝利して同率で並ばれた。19日時点のパ・リーグの順位は
1位…ロッテ  .636(前年6位)
〃 …ダイエー .636(前年5位)
3位…日本ハム .545(前年4位)
〃 …近  鉄 .545(前年2位)
5位…西  武 .364(前年1位)
6位…オリクス .273(前年3位)
3位には日本ハムと近鉄が並んだが、前年のBクラスの3チームがAクラスに並んだ。

 【史上初、4球団が首位に並ぶ】

 ロッテは21日から近鉄3連戦(日生)。21日の1回戦は2点を先行するものの、先発・園川が踏ん張り切れずに8回に逆転を許して黒星を喫する。するとダイエーも日本ハムに敗れ、ロッテ、ダイエー、近鉄、日本ハムの4球団が7勝5敗.583で4チームが首位に並んだ。
 パ・リーグでは過去、各球団が10試合以上を消化した時点では、3チームが首位に並んだことが3度あるが4チームが首位に並ぶことは、リーグ初の事だった。

21日~23日 近鉄3連戦(日生)●中止○ 通算/8勝5敗
24日~26日 西武3連戦(西武)●○● 通算/9勝7敗
 ここで足踏みをする。この間にダイエーも2勝4敗と足踏みすると、代わって日本ハムがこの間4勝1敗と勝ち越して首位に立った。

 【再び単独首位に立ち4月終了】

 前カードに負け越したものの、首位に立った日本ハムとは1.0ゲーム差。その日本ハムと28日から本拠地千葉マリンで3連戦が予定されていた。ゴールデンウィーク初のゲームは「首位攻防戦」となった。
 28日の4回戦は平日のナイターながら20,000人の観客がスタンドに詰め掛けた。初回に2点、3回に1点を失う苦しい立ち上がり。それでも打線が粘り3-4と1点リードされて終盤へ。そして7回裏、4番ディアスが逆転2ランを放つ。最後はルーキークローザー河本が締めて勝利し、首位日本ハムと並んだ。
 翌29日の5回戦は休日のデーゲーム。マリーンズが再び首位に並んだこともあり、スタンドは35,000人の大入り満員となった。先発は7日に涙の復活を遂げた牛島。1回に両チームとも1点を入れたものの2回以降は投手戦。復活した牛島は8回まで初回の1失点で踏ん張るものの、打線も援護出来ない。その牛島が9回表に力尽き2点を失う。しかしその裏、代打・平井のタイムリーで追いつき延長へ。そして10回裏、西村のサヨナラ打で劇的な勝利を飾った。
 翌30日は雨天中止となり、4月は単独首位で終えた。
 
【4月末 パ・リーグ順位】
1位…ロッテ  11勝7敗 .611 ---
2位…近  鉄 11勝8敗 .579 0.5
3位…日本ハム 10勝8敗 .556 1.0
4位…ダイエー 11勝9敗 .550 1.0
5位…西  武 8勝11敗 .421 3.5
6位…オリクス 5勝13敗 .278 6.0

 4月の快進撃には大きな要因が2つあった。1つは連敗をしなかったこと。カードを負け越しても連敗を喫しなければ大ケガにはならない。もう1つは1点差ゲームを5勝2敗と勝ち越したことだった。接戦で粘って耐え、終盤に勝ち越すゲームも数試合あった。弱ければ出来ない勝ち方だった。
 個人では捕手の6年目の青柳がマスクを被り、打率.397、2本塁打と大当たりだった。投手ではルーキーの河本がクローザーとして防御率0.00と結果を出した。2人は揃って月間MVPを受賞した。

 5月に入り、ゴールデンウィーク後半に4連敗、その後も3連敗、5連敗を喫してAクラスから一気に転落し、シーズンは最下位に終わったが、4月の戦いは勢いだけではなかったと思うのだが…。

(次回)(43)《有料・冒頭試読》『先発の柱サブマリン・渡辺俊介 (2001年~2013年在籍)


----- マリーンズ略史 92~05 INDEX ------

 【年度別出来事編】

【~1991(平成3)年】
(1)《全文無料》『千葉移転前夜』
  (25)《全文無料》 オリオンズ~マリーンズ ファンクラブ略史
【1992(平成4)年】
(2)《全文無料》『千葉移転元年 4月ダッシュも最下位に沈む』
  (42)《全文無料》移転直後の快進撃
  (57)《全文無料》5試合で4完封
【1993(平成5)年】
(3)《有料・冒頭試読》『最下位脱出も大差の5位に低迷』
  (54)《全文無料》1993年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録
【1994(平成6)年】
(4)《有料・冒頭試読》『八木沢監督休養、2年連続5位に終わる』
  (60)《全文無料》1994年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録
1995(平成7)年
(5)《有料・冒頭試読》『球団改革断行、千葉移転後初のAクラス』
  (21)《全文無料》風しん蔓延で主力が消えた14日間
  (45)《全文無料》胴上げ阻止、神戸3連戦
【1996(平成8)年】
(6)《有料・冒頭試読》『投手充実も、得点力不足否めず5位低迷』
【1997(平成9)年】
(7)《有料・冒頭試読》『中盤反攻も迫力不足否めず最下位に沈む』
【1998(平成10)年】
(8)《有料・冒頭試読》『18連敗「七夕の悪夢」もチーム力は向上気配』
  (20)《全文無料》なぜ18連敗を喫したのか?
  (22)《全文無料》ユニホーム応援が広がったのはロッテから
  (33)《全文無料》黒木2冠と小坂の盗塁王騒動
【1999(平成11)年】
(9)《有料・冒頭試読》18年ぶり「七夕首位」も、連敗喫して4位低迷』
  (18)《有料・冒頭試読》熱く育てた山本監督の5シーズン (1999年~)
  (28)《全文無料》18年ぶり首位「七夕の歓喜」狂騒曲
  (38)《全文無料》前半快進撃支えた「ボーリック神話」(1999年)
【2000(平成12)年】
(10)《有料・冒頭試読》『4月出遅れ5割届かず5位低迷』
  (52)《全文無料》乱打戦で連夜の日本タイ記録
【2001(平成13)年】
(11)《有料・冒頭試読》『世代交代、福浦首位打者、小林雅パ記録もエース後半離脱』
【2002(平成14)年】
(12)《有料・冒頭試読》『開幕11連敗が響き借金5の4位に終わる』
  (39)《全文無料》あわや、開幕連敗記録に王手
【2003(平成15)年】
(13)《有料・冒頭試読》『終盤に先発安定、9月快進撃も4位で山本監督辞任』
  (47)《全文無料》2003年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録
【2004(平成16)年】
(14)《有料・冒頭試読》『ボビー復帰、新制度プレーオフ進出に0.5ゲーム差』
  (17)《有料・冒頭試読》「ボビーマジック」とは何だったのか(2004年)
  (19)《有料・冒頭試読》巻き込まれた、球界再編騒動
【2005(平成17)年】
(15)《有料・冒頭試読》『プレーオフで逆転優勝、阪神破り31年ぶり日本一』
(16)《全文無料》(付録)『ポストシーズン詳細、二軍合わせて6冠王者成』
  (49)《全文無料》45年ぶりの12連勝(2005年)
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 【選手編/投 手】

(23)《有料・冒頭試読》チーム支えたエースの苦悶・黒木知宏(1995~2007年在籍)
(26)《有料・冒頭試読》ルーキーからフル回転左腕・藤田宗一(1998年~2007年在籍)
(27)《有料・冒頭試読》低迷期支えたエース、復帰後はリリーフで日本一・小宮山悟(1990年~1999年、2004年~2009年在籍)
(30)《有料・冒頭試読》抑えの切り札への道・小林雅英(1999年~2007年在籍)
(32)《有料・冒頭試読》マリーンズ初タイトル剛腕エース・伊良部秀輝(1988年~1996年在籍)
(35)《有料・冒頭試読》強気なマウンド、マリーンズ初代クローザー・河本育之(1992年~1999年在籍)
(37)《有料・冒頭試読》マリーンズ初の最優秀救援投手から手術へ…・成本年秀(1993年~2000年在籍)
(40)《有料・冒頭試読》7年目のブレーク「サンデー晋吾」(1994年~2013年在籍)
(43)《有料・冒頭試読》先発の柱サブマリン・渡辺俊介 (2001年~2013年在籍)
(44)《有料・冒頭試読》中継ぎ切り札から先発の柱へ・小林宏之(1997年~2010年在籍)
(47)《有料・冒頭試読》絶対的エースの信頼・清水直行 (2000年~2009年在籍)
(50)《有料・冒頭試読》球団創設年以来55年ぶりの快挙・久保康友(2005年~2008年在籍)

 【選手編/打 者】

(24)《有料・冒頭試読》二軍成長記・福浦和也(1994~2019在籍)
(29)《有料・冒頭試読》打線を支え愛された背番号6・初芝清(1989年~2005年在籍)
(31)《有料・冒頭試読》オリオンズ最後の戦士・堀幸一(1989年~2009年在籍)
(34)《有料・冒頭試読》マリーンズ初の新人王、盗塁王・小坂誠(1997年~2005年在籍)
(36)《有料・冒頭試読》「14打席連続出塁」の大記録樹立・南渕時高(1990年~1997年在籍)
(41)《有料・冒頭試読》裏から支えたバイプレーヤー・諸積兼司(1994年~2006年在籍)
(48)《有料・冒頭試読》千葉で途切れた連続記録・愛甲猛 (1981年~1995年在籍)
(51)《有料・冒頭試読》オリオンズ最後のタイトル・平井光親 (1989年~2002年在籍)

 【選手編/助っ人】

(53)《有料・冒頭試読》中4日のタフネスエース・ネイサン ミンチー(2001年~2004年在籍)
(54)《有料・冒頭試読》「神話」と「ナイト」の勝負強さ・フランク ボーリック(1999年~2002年在籍)
(56)《有料・冒頭試読》安定感抜群の助っ投・エリック ヒルマン(1995年~1996年在籍)
(58)《有料・冒頭試読》 窮地を救ったストッパー ブライアン・ウォーレン(1998年~2000年在籍)
(59)《有料・冒頭試読》「いつか必ずロッテに帰ってくる」の約束果たした フリオ・フランコ(1995年、1998年在籍)

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