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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-58- 窮地を救ったストッパー・ブライアン・ウォーレン】


(58) 窮地を救ったストッパー・ブライアン・ウォーレン

 ライトスタンドのファンは9回にリードしてウォーレンが登場する場面になると、多くのファンが最上段に駆け上がり、「ウォーレン!(ドン、ドンと壁を叩く)ウォーレン!(ドン、ドンと壁を叩く)」とコールした。宮城球場では看板が倒れるのではないかと球団側から禁止命令が出たほどの名物だった。ウォーレンは「あのコールが自分に気合を入れてくれるんだ」とファンの登場コールを背にマウンドに上がっていた。

 1998年、チームは18連敗を喫した。原因の一つは抑え役の不在だった。本来なら12球団に誇るダブルストッパーである成本年秀と河本育之がいたが、成本は前年1997年に右ヒジを痛めてオフにメスを入れていた。一人で奮闘した河本は開幕直後に左肩痛で離脱していた。
 米ではメジャー昇格はならず、この年は台湾でプレーしていたウォーレンは防御率2.49と好投しており、急遽、抑え役候補として入団した。
 合流後は18連敗直後だった。合流があと1週間早ければ、18連敗の屈辱もなかったと今でも確信している。

 【チームの窮地を救う】

 入団会見は18連敗のさ中だった。7月3日にウォーレンは入団会見を行ったが、その夜の試合に敗れて連敗は14に伸びていた。本来ならば二軍に合流して調整してから、というところだろうがチームは緊急事態。千葉マリンで調整を行い出番を待った。

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