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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-18- 投打の礎、山本功児監督】


(18)熱く育てた山本監督の5シーズン(1999年~2003年)

 1997(平成9)年、引退後一軍と二軍で打撃コーチを務めていた山本功児が二軍監督に就任した。キャンプで若手の打撃を見て確信したという。「彼らは必ずチームの主軸になる」。イースタンの開幕戦で前年二軍の本塁打王に輝いた4年目の立川の他、まだ一軍の経験のない同じく4年目の福浦、大塚、3年目のサブロー。一軍に近いメンバーもいる中、コーチの反対を押し切って彼らをスタメンに起用した。そして、彼らを育てることに集中した。何より、彼らの素質を信じて我慢して試合で使い続けた。その結果、二軍監督としては2年連続5位とチームの成績は低迷したが、投手も打者も若手が着実に成長していった。
 とにかく人が良く情けに熱い男だった。一軍に引き上げた選手は必ずチャンスを与えた。力不足と一目で分かっても、熱心に指導して使ったこともあった。それが「選手を見る目がない」と批判されたこともあった。ただ、だからこそ、その後にレギュラーを勝ち取ることが出来た選手がいたことも間違いなかった。
 2005(平成17)年、バレンタイン監督が日本一を達成したが、その礎を築いたのは山本監督の5年間だったことは間違いない。その5シーズンを振り返る。

【監督就任と七夕首位】

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