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《無料》【マリーンズ略史 92~05/-25- オリオンズ~マリーンズ ファンクラブ略史】


(25)オリオンズ~マリーンズ ファンクラブ略史

 今回はファンクラブの歴史編。
(22)ユニホーム応援が広がったのはロッテから
https://note.com/orions_marines/n/nb0ae73de828e
にてマリーンズファンクラブについて触れたが、今回は少し歴史をさかのぼって「ファンクラブ」の歴史をマリーンズ時代だけではなく、オリオンズ時代から振り返り「ファンクラブ募集」の写真とともに改めて簡単に振り返ってみたい。

【東京球場時代からあった「子ども会」】

 ファンクラブがいつスタートしたのかは不明だが、東京球場時代の1970年代には「オリオンズ子ども会」が存在していた。はっきり記憶していないが年会費は数百円だったと思う。中学生までが入会対象で帽子がプレゼントされ、東京球場での内野自由席に無料で入場出来た。会員証を窓口に持参すると番号をチェックされて招待券をもらえたシステムは近年まで続いていた招待券の引き換えシステム。ただ、当時は莫大な番号表から会員番号を探し出し、赤鉛筆でチェックしてチケットを渡していたのでチケットを手にするまで時間がかかった。
 東京球場の前には荒川区立瑞光小学校があったが、この小学校に通う子どもたちがこの子ども会に入会して多く観戦に訪れていた(名札を付けているので分かる)。当時の試合開始は午後7時。子どもたちは自宅で夕食を済ませ、水筒を持って来場していた。これならお金は掛からないので毎日でも球場に来場出来るなと思ってうらやましく彼らを見ていた。したがって平日は試合時間が長くなると一気にスタンドが寂しくなることも多かった。

 1973年に金田正一監督が登場すると子ども会もサービスが増えた。「ファンサービスの充実」を本社に掛け合って様々な全来場者へのサービスを行ったが、子ども会も選手との写真撮影会、的当て競争の他、始球式などの参加権をもらえた。もちろん入場無料は継続。東京球場を失い関東地方の球場を間借りすることになったが、後楽園、神宮、川崎、そして宮城球場とどの球場でも内野自由席への入場無料と帽子がプレゼントされた。
 また、いつからは不明だが、ビジターゲーム(各チームの本拠地球場での試合に限り)でも外野席に無料入場が出来るようになった。

【大人の「ロッテオリオンズ友の会」発足】

1979年の「バブルボーイズ&ガールズ」募集要項

 ファンクラブが大きく変わったのは、川崎球場移転が契機だった。川崎球場を本拠地とした1978年には大人の後援会「ロッテオリオンズ友の会」が発足した。当初は一般に募集したものではなく、川崎市や川崎商工会議所などが主導して関係者で組織されたが、一般のファンも入会出来るようになり、年会費3,000円で川崎球場の全試合内野自由席に無料入場出来、ビジターゲームは割引入場が可能だった。
 移転2年目の1979年には長年の呼称だったオリオンズ子ども会は「オリオンズバブルボーイズ&ガールズ」に変更され、年会費は2,000円に上がったものの、帽子(女の子はサンバイザーも可)、シャツ、バッグとプレゼント景品が増えた。また、会員証が手帳形式になり、来場ごとにスタンプが押され、5回、10回と来場回数ごとにプレゼント景品が用意された。ただ、その商品はロッテのお菓子だったが…(5回来場で「小梅」をプレゼントされた)。
 1982年には名称が「ロッテオリオンズ子ども会」に戻り年会費も1,500円に減額。プレゼント賞品は帽子とリュックと小旗だったが、この年から「継続会員」がスタートした。前年会員だった中学生以下の子どもは500円で継続会員となる事が出来た。継続会員はプレゼントはないものの、手帳型の会員証が発行され川崎球場の全試合内野自由席無料、ビジターは外野無料と正会員と同等の入場が出来た。500円で全試合の内野自由席への入場が可能だったのだ。

1982年「ロッテオリオンズ子ども会」募集要項

 その後、プレゼント景品は年によって変わったが、同伴家族も内野自由席に割引入場出来る制度も加わった。
 1989年には子ども会は2,000円(継続は700円)で景品は豪華だった。オリジナル帽子、ナップザック、折りたたみ式スポーツスラス、飾り台付きのサインボール、ロッテリアの試食券だった。大人のファンクラブは「球友会」の名称で年会費は4,000円。帽子とテレホンカード500円分の会員証、川崎球場の内野自由席無料、川崎球場では指定席割引、ビジター球場でも割引入場が可能だった。

1989年「ロッテオリオンズ球友会」「ロッテオリオンズ子ども会」募集要項
千葉移転までこの形式が続いた

【千葉ロッテマリーンズファンクラブ】

 千葉移転の1992年からファンクラブも大幅リニューアルされた。名称を「千葉ロッテマリーンズファンクラブ」とし、大人の男性向けに「マリーンズクラブ」、大人の女性向けに「レディースマリーンズ」、中学生以下は「ジュニアマリーンズ」と改称し会費は3,000円で統一された。ジュニアマリーンズは内野自由席無料、ビジターの外野席無料は変わらなかったが、大人向けは内野自由席無料招待券2枚となった。
 そして、1996年からレプリカユニホームが景品に加わったが、もう一つ、マリーンズファンクラブ会員の人気となったのが「ピンバッジ」だった。どの球団が初めて景品として出したのかは追えなかったが、現在でもプレゼントされるピンバッジの先駆けもロッテだったことは間違いない。

1998年「千葉ロッテマリーンズファンクラブ」募集要項

 登場したのは1996年、ピンストライプのユニホームを模したピンバッジがファンクラブ入会の特典景品としてプレゼントされた。そして、来場プレゼントとして主力選手の背番号を模したデザインが中心だった。その後、徐々に製作される選手の数も増えデザインも凝ったものになり2000年には全選手のピンバッジが登場した。選手が発表された試合もあったが、多くはどの選手のピンバッジがもらえるのかは分からず、残念ながら同じ選手のものがプレゼントされることもあった。そこで、球場では「ピンバッジ交換会」なるイベントも開催され、ピンバッジをトレードする多くのファンクラブ会員が参加した。その他、地方球場開催試合やビジター試合(ビジターデー)でも記念のピンバッジが配布された。
 また、デザインも当初は背番号を模したものだったが、各選手の特徴やニックネーム、出身地などをデザイン化し、ファンクラブの拡大に寄与した。

2005年「千葉ロッテマリーンズファンクラブ」募集要項

(次回)⇒(25)選手編《有料・冒頭試読》
ルーキーからフル回転左腕・藤田宗一( 1998(H10)年~2007(H19)年在籍)


【マリーンズ略史 92~05 INDEX】

◆~1991(平成3)年
 (1)《無料》『千葉移転前夜』
 (25)《無料》 オリオンズ~マリーンズ ファンクラブ略史
◆1992(平成4)年
 (2)《無料》『千葉移転元年 4月ダッシュも最下位に沈む』
◆1993(平成5)年
 (3)《有料・冒頭試読》『最下位脱出も大差の5位に低迷』
◆1994(平成6)年
 (4)《有料・冒頭試読》『八木沢監督休養、2年連続5位に終わる』
◆1995(平成7)年
 (5)《有料・冒頭試読》『球団改革断行、千葉移転後初のAクラス』
 (21)《有料・冒頭試読》風しん蔓延で主力が消えた14日間(1995年)
◆1996(平成8)年
 (6)《有料・冒頭試読》『投手充実も、得点力不足否めず5位低迷』
◆1997(平成9)年
 (7)《有料・冒頭試読》『中盤反攻も迫力不足否めず最下位に沈む』
◆1998(平成10)年
 (8)《有料・冒頭試読》『18連敗「七夕の悪夢」もチーム力は向上気配』
 (20)《有料・冒頭試読》なぜ18連敗を喫したのか? (1998年)
 (22)《有料・冒頭試読》ユニホーム応援が広がったのはロッテから (1998年~)
◆1999(平成11)年
 (9)《有料・冒頭試読》
    『18年ぶり「七夕首位」も、連敗喫して4位低迷』
    (18)《有料》熱く育てた山本監督の5シーズン (1999年~)
◆2000(平成12)年
 (10)《有料・冒頭試読》『4月出遅れ5割届かず5位低迷』
◆2001(平成13)年
 (11)《有料・冒頭試読》『世代交代、福浦首位打者、小林雅パ記録もエース後半離脱』
◆2002(平成14)年
 (12)《有料・冒頭試読》『開幕11連敗が響き借金5の4位に終わる』
◆2003(平成15)年
 (13)《有料・冒頭試読》『終盤に先発安定、9月快進撃も4位で山本監督辞任』
◆2004(平成16)年
 (14)《有料・冒頭試読》『ボビー復帰、新制度プレーオフ進出に0.5ゲーム差』
 (17)《有料・冒頭試読》「ボビーマジック」とは何だったのか(2004年)
 (19)《有料・冒頭試読》巻き込まれた、球界再編騒動 (2004年)
◆2005(平成17)年
 (15)《有料・冒頭試読》『プレーオフで逆転優勝、阪神破り31年ぶり日本一』
 (16)《無料》(付録)『ポストシーズン詳細、二軍合わせて6冠王者成』
-------------選 手 編------------
(23)《有料・冒頭試読》チーム支えたエースの苦悶・黒木知宏(1995~2007年在籍)
(24)《有料・冒頭試読》二軍成長記・福浦和也(1994~2019在籍)
(26)《有料・冒頭試読》ルーキーからフル回転左腕・藤田宗一(1998年~2007年在籍)
(27)《有料・冒頭試読》低迷期支えたエース、復帰後はリリーフで日本一・小宮山悟(1990年~1999年、2004年~2009年在籍)

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