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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-05- 1995年 千葉移転後初の2位躍進】

(写真 左・広岡達郎GM(右)とバレンタイン監督、右・伊良部のピッチングを見守る松沼博久コーチ(左)とバレンタイン監督)


(5)1996(平成8)年 球団改革断行、千葉移転後初のAクラス

 【1995年スローガン『Be Aggressive,Be a winner...Believe!!】

 【開幕前評価】

 千葉移転後、6位、5位、5位と低迷するマリーンズだったが、今シーズン、ロッテ本社は本格的な球団改革に取り組むことになった。
 まず、ヤクルトと西武で監督を務め、チームを改革し優勝に導いた広岡達郎氏を日本球界初のGMに迎え、監督にはレンジャースの元監督で1986年には最優秀監督賞も獲得したボビー・バレンタインを据えた。コーチ陣も大幅に入れ替えた。助っ人には1991年首位打者のフリオ・フランコ、183本塁打のビート・インカビリア、29歳の左腕エリック・ヒルマンを補強した。
 キャンプは4年連続アメリカ・アリゾナ州ピオリアで行われた。投げ込みを抑え、実戦メニューを増やすなど、これまでとは全く違うキャンプに注目が集まった。
◆オープン戦成績 13試合6勝7敗0分(.462)

 【4月 8勝14敗1分】

 1日、開幕戦は神戸でのオリックス戦だったが、目を引いたのは一新したユニホームだった。オープン戦までは前年と同じピンクを基調としたユニホームだったが、グレー基調に黒文字と全く違うデザインにファンは驚いた。
 その開幕戦は伊良部が3失点完投も終盤に逆転を許し、打線も一歩及ばず2-3で黒星発進。しかし、翌2日の2回戦は小宮山が8回粘投、延長10回に勝ち越し今シーズン初勝利を挙げた。
 4日はダイエーを迎え千葉マリンの開幕戦。ピンストライプに胸にMのエンブレムというユニホームで登場した。その試合はヒルマンが初先発。立ち上がりに2失点も2回以降はピシャリ。8回2失点と好投も打線が1得点で黒星を喫した。翌5日の2回戦は榎が先発。6回に集中打で逆転し、今シーズン本拠地初勝利を挙げた。
 ところが7日の3回戦から黒星が先行する。3連敗、1つ勝って3連敗、1つ勝って4連敗。4勝12敗で借金はいきなり8となり最下位に低迷する。しかし、21日のオリックス3回戦(千葉マリン)に勝利すると、25日からのダイエー3連戦(福岡D、北九州)に3連勝して連勝を4に伸ばす。最後の西武3連戦(西武)は2敗1分と連敗するも、8勝14敗1分と持ち直して4月を終了。最下位ながら首位西武とは6.5ゲーム差と踏ん張る。

 【5月 12勝10敗/20勝24敗1分】

 5月に入ると負け越しスタートからの脱出を図るチームにトラブルが発生する。「風疹」症状の選手が複数発生する。5日のオリックス戦(千葉マリン)が中止となったが、レギュラー選手も発症したために中止としたと抗議を受ける。ところが蔓延は止まらず、9日の日本ハム6回戦(宮城)では一軍登録されていた初芝、小宮山、猪久保、堀、西村、フランコが欠場する事態に発展する。しかし、この試合で代役出場した諸積が4安打と活躍して勝利する。以降、諸積は今シーズンのチームを支えることになる。
 そんな状況の中、チームは4カード続けて1勝1敗の5割と踏ん張りを見せる。
 風疹禍が治まるとチームも上昇気配を見せる。19日からのダイエー3連戦(福岡D)でヒルマンの初完投、フランコ、インカビリアの連続長打で逆転と助っ人陣の活躍で5月初の勝ち越し。続く西武3連戦(千葉マリン)も4連勝をマークして2勝1敗と勝ち越す。さらに30日からの近鉄2連戦(千葉マリン)に連勝。借金も4と戻し、首位西武に6.5ゲーム差の4位に浮上し5月を終えた。

 【6月 9勝10敗1分/29勝34敗2分】

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