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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-30- 抑えの切り札への道・小林雅】

(写真 2005年、日本一を決め、ビールを浴びる小林雅英)


(30)抑えの切り札への道・小林雅英

 「6日6試合連続セーブ」「17試合連続セーブ」「33試合連続セーブポイント」「7年連続20セーブ」と数々のセーブ記録を樹立したマリーンズの守護神。
 1998年ドラフト1位入団。「幕張の防波堤」と呼ばれた抑えの切り札だ。山梨県立都留高校時代は甲子園とは無縁だった。が、日本体育大学時代に首都大学リーグで最優秀投手を獲得するなど頭角を現し、社会人・東京ガスで補強選手に選ばれるなど注目を集め、ロッテがドラ1での指名となった。
 抑えとして君臨したのは2年目の2000年シーズンの8月からだった。先発の柱として期待されたシーズンだったが3試合に先発し、打ち込まれてリリーフ再転向して花開いた、今回は小林雅の1年目から3年目、抑えに定着するまでを振り返る。

【ローテーション期待されるも…】

 1999年のルーキーイヤーから即戦力と期待され開幕から一軍登録された。5月には初勝利もマークするなど中継ぎとしてマウンドに上がった。前半は3勝2敗、防御率2.79と安定したピッチングを見せ、オールスター期間中に山本功児監督から先発転向を伝えられた。8月3日のダイエー16回戦(福岡D)に初先発、8回1失点と好投(試合は延長負け)し、9月には完投勝利も挙げる。シーズン最後までローテーションを守り10試合に先発し、先発としては2勝3敗、1年目の勝敗は5勝5敗だったが、防御率は2.68と好成績を残した。

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