見出し画像

《無料公開》【マリーンズ略史 92~05/-38- 前半快進撃支えた「ボーリック神話」(1999年)】

(写真 1999年4月14日、ボーリック初打席1号放つ(同日ОA千葉テレビ中継から)


(38)前半快進撃支えた「ボーリック神話」(1999年)

 今回は1999年の出来事から。このシーズン、マリーンズは開幕から好調を維持し7月7日に首位に立ったことは『(28)18年ぶり首位「七夕の歓喜」狂騒曲』(有料・冒頭試読)で綴った。

 その前半の快進撃を支えたのは、このシーズンから助っ人としてチームに加わったフランク・ボーリックの『ボーリック神話』だった。1年目で26本塁打61打点を記録したが、とにかく勝負強さが際立った。そして「ボーリックがホームランを打つと負けない」伝説が生まれたが、どの程度のものだったのかを改めて検証する。

【オープン戦不調で二軍スタート】

 山本功児監督の誕生とともに外国人は投手のクロフォードとウォーレンが残留し、3人が新たに入団した。投手にディーン・ハートブレイクス、外野手にブレント・ブレイディ、そして内野手としてフランク・ボーリックの3選手が加わった。
 キャンプではブレイディとともに快打を連発するボーリックに期待が高まった。両打も魅力だった。山本監督も「ボーリックは粗いところがあるが使えそうだ。一発もあるがコンパクトさもある」と安どの表情を見せていた。

 ところが、オープン戦でボーリックが打てない。9打数ノーヒットに終わり、山本監督は開幕二軍スタートを決めた。二軍でも開幕の2試合はノーヒットに終わった。しかし、タイミングが合いだすと徐々に本来のバッティングが出る。まずはミートに徹して3試合連続ヒット。そして二塁打と三塁打の長打を含む5打数4安打、翌日には一発も飛び出し4月13日の時点で10試合に出場して31打数9安打2本塁打、2二塁打、1三塁打、5打点を記録していた。
 一方、一軍は開幕3連敗も3連勝して取り返したが、再び2連敗を喫していた。そして14日、ボーリックはこの日もロッテ浦和球場の二軍でスタメン出場すべく準備をしていた。スタメンも3番・ファーストで発表されていた。しかし、試合開始直前に一軍合流の呼び出しがあり、急遽、千葉マリンに移動した。

【『ボーリック神話』の誕生】

 その夜、オリックス4回戦(千葉マリン)で初のベンチ入り。7回表からファーストの守備に入った。初打席は8回裏に回って来た。試合は4-4の同点の場面で一死1塁。そして2球目をライナーで右中間スタンドへ運んだ。これが決勝2ランとなり、いきなりお立ち台に上がった。来日初打席本塁打を放った外国人選手は14人目、ロッテでは1975年のバチスタ以来2人目だった。

ボーリックを出迎えるマリーンズベンチ(左から福浦、大塚、立川)
(同日ОA千葉テレビ中継から)

 翌15日の5回戦は6番・ファーストでスタメン出場。3-4と1点ビハインドで迎えた9回裏、連夜の一発となる2号は劇的なサヨナラ2ラン。4打数2安打2打点を記録した。
 4月、ボーリックは合流後4本塁打を放ったが、本塁打を放った試合でチームは全て勝利した。

【4月・4本塁打 4勝0敗】

◆1号 14日 オリックス4回戦(千葉マリン)〇6-4
◆2号 15日 オリックス5回戦(千葉マリン)〇5-4 ※サヨナラ本塁打
◆3号 17日 近鉄 〇8-1
◆4号 22日 西武 〇2-1 ※サヨナラ本塁打

 5月に入っても、ボーリックが本塁打を放つ試合は負けなかった。新聞には『ボーリック神話』の見出しが躍った。

【5月・6本塁打 5勝0敗】

◆5号 2日 近鉄 〇8-2
◆6・7号 21日 西武 〇7-1
◆8号 22日 西武 〇5-3
◆9号 25日 ダイエー △3-3
 そして、26日ダイエー戦(千葉マリン)でボーリックは1回裏に10号先制3ランを放つ。しかし、ダイエーは2回2点、3回2点、5回1点、3-5とリードを許し、ボーリック神話も終わりかと思われた。しかし7回裏に2点を奪って同点、8回裏二死満塁から酒井が押し出し四球を選び再逆転して勝利した。9試合で8勝1分とボーリック神話は続いた。
◆10号 26日 ダイエー(千葉マリン)〇6-5

 さらに神話は6月も続く。

【6月・6本塁打 5勝1敗】

◆11号 5日 西武11回戦(西武D)〇10-3
◆12号 12日 西武14回戦(千葉マリン)〇9-7
◆13号 15日 オリックス10回戦(福井)〇12-2
◆14号 20日 日本ハム11回戦(千葉マリン)〇8-4

 23日の近鉄12回戦(藤井寺)、1-5とリードされた6回表の第3打席で15号を放つ。この後、3-7とされるも7回表に7-7に追いつく。その裏2失点も8回表に9-9に追いつく激しい攻防。しかし、9回裏にサヨナラを許して9-10で敗れ、ボーリック神話は止まった。
◆15号 23日 近鉄12回戦(藤井寺)●0-10
◆16号 26日 オリックス12回戦(神戸)○6-1

【再び始まる『ボーリック神話』】

 神話は止まったものの、7月も17号を放ち首位奪取に貢献する。
【7月・1本塁打 1勝0敗】
◆17号 4日 近鉄15回戦(千葉マリン)○3-0
 ところが、ここで腰を痛めて離脱。チームは七夕に首位に立つも8連敗を喫して首位争いから後退する。30日のオールスター明けから復帰したが、2試合に出場して再び3試合離脱した。

 完全復帰は8月6日となった。8月も復活したボーリック神話は続く。

【8月・3本塁打 3勝0敗】

◆18号 7日 日本ハム16回戦(千葉マリン)○5-3
◆19号 8日 日本ハム17回戦(千葉マリン)○4-3
◆20号 11日 近鉄16回戦(神戸)○2-0
 ここでボーリックの一発が止まる。8月は以降の14試合で一発が出なかった。

 9月の声とともに再びボーリックの打棒が復活する。

【9月・6本塁打 5勝1敗】

◆21号 2日 ダイエー23回戦(千葉マリン)〇6-2
◆22号 5日 日本ハム23回戦(東京D)〇4-1
◆23号 7日 近鉄21回戦(千葉マリン)〇2-0
◆24号 9日 近鉄23回戦(千葉マリン)〇4-3
 そして翌10日のオリックス戦の第1打席で25号を放つも、投手陣が踏ん張り切れずに敗れる。6月23日以来の黒星で再び神話がストップした。
◆25号 10日 オリックス21回戦(千葉マリン)●4-6

【リーグ記録に迫るノーヒット】

 ここから、ボーリックが不振を極める。10日のオリックス戦は第1打席に25号を放ったが、第2打席以降は凡退。以降、本塁打どころかヒットも出なくなる。
 結局、9月の16試合はノーヒットが続いた。ボーリックは両打ちなので、右投手は左打席、左投手は右打席に立つが、左投手でも数字の高い左打席に立つなど自身も模索する。しかし、ヒットが出ない。

 ヒットが出たのは10月3日のダイエー27回戦(千葉マリン)。6回の第3打席でライト前に運ぶ。連続打席無安打は52打席に達していた。NPB記録は1964年の嵯峨健四郎(東映)の77打席だが嵯峨は投手。野手での記録は1993年のトーベ(オリックス)の53打席だった。ボーリックはトーベの記録にあと1打席に迫っていた。打率も.278から.244に急降下した。

 その後、ヒットを放ち打率は.250で終了。本塁打は1本を放った。

【10月・1本塁打 1勝0敗】

◆26号 11日 オリックス26回戦(神戸)〇5-2

 以上が1999年に起こった「ボーリック神話」だ。4番が一発を放つとチームは勝利に近づく。しかし、このシーズンのボーリックは、1試合2本塁打を記録した1試合を含めて『22勝2敗1分』。勝率は驚異の9割越えの.917だった。確かに、このシーズン「神話」は存在した。

2002年 マリーンズファンブックから

(次回)⇒『(39)あわや、開幕連敗記録に王手(2002年)


----- マリーンズ略史 92~05 INDEX ------

 【年度別出来事編】

【~1991(平成3)年】
(1)《全文無料》『千葉移転前夜』
  (25)《全文無料》 オリオンズ~マリーンズ ファンクラブ略史
【1992(平成4)年】
(2)《全文無料》『千葉移転元年 4月ダッシュも最下位に沈む』
  (42)《全文無料》移転直後の快進撃
  (57)《全文無料》5試合で4完封
【1993(平成5)年】
(3)《有料・冒頭試読》『最下位脱出も大差の5位に低迷』
  (54)《全文無料》1993年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録
【1994(平成6)年】
(4)《有料・冒頭試読》『八木沢監督休養、2年連続5位に終わる』
  (60)《全文無料》1994年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録
1995(平成7)年
(5)《有料・冒頭試読》『球団改革断行、千葉移転後初のAクラス』
  (21)《全文無料》風しん蔓延で主力が消えた14日間
  (45)《全文無料》胴上げ阻止、神戸3連戦
【1996(平成8)年】
(6)《有料・冒頭試読》『投手充実も、得点力不足否めず5位低迷』
【1997(平成9)年】
(7)《有料・冒頭試読》『中盤反攻も迫力不足否めず最下位に沈む』
【1998(平成10)年】
(8)《有料・冒頭試読》『18連敗「七夕の悪夢」もチーム力は向上気配』
  (20)《全文無料》なぜ18連敗を喫したのか?
  (22)《全文無料》ユニホーム応援が広がったのはロッテから
  (33)《全文無料》黒木2冠と小坂の盗塁王騒動
【1999(平成11)年】
(9)《有料・冒頭試読》18年ぶり「七夕首位」も、連敗喫して4位低迷』
  (18)《有料・冒頭試読》熱く育てた山本監督の5シーズン (1999年~)
  (28)《全文無料》18年ぶり首位「七夕の歓喜」狂騒曲
  (38)《全文無料》前半快進撃支えた「ボーリック神話」(1999年)
【2000(平成12)年】
(10)《有料・冒頭試読》『4月出遅れ5割届かず5位低迷』
  (52)《全文無料》乱打戦で連夜の日本タイ記録
【2001(平成13)年】
(11)《有料・冒頭試読》『世代交代、福浦首位打者、小林雅パ記録もエース後半離脱』
【2002(平成14)年】
(12)《有料・冒頭試読》『開幕11連敗が響き借金5の4位に終わる』
  (39)《全文無料》あわや、開幕連敗記録に王手
【2003(平成15)年】
(13)《有料・冒頭試読》『終盤に先発安定、9月快進撃も4位で山本監督辞任』
  (47)《全文無料》2003年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録
【2004(平成16)年】
(14)《有料・冒頭試読》『ボビー復帰、新制度プレーオフ進出に0.5ゲーム差』
  (17)《有料・冒頭試読》「ボビーマジック」とは何だったのか(2004年)
  (19)《有料・冒頭試読》巻き込まれた、球界再編騒動
【2005(平成17)年】
(15)《有料・冒頭試読》『プレーオフで逆転優勝、阪神破り31年ぶり日本一』
(16)《全文無料》(付録)『ポストシーズン詳細、二軍合わせて6冠王者成』
  (49)《全文無料》45年ぶりの12連勝(2005年)
-------------------------

 【選手編/投 手】

(23)《有料・冒頭試読》チーム支えたエースの苦悶・黒木知宏(1995~2007年在籍)
(26)《有料・冒頭試読》ルーキーからフル回転左腕・藤田宗一(1998年~2007年在籍)
(27)《有料・冒頭試読》低迷期支えたエース、復帰後はリリーフで日本一・小宮山悟(1990年~1999年、2004年~2009年在籍)
(30)《有料・冒頭試読》抑えの切り札への道・小林雅英(1999年~2007年在籍)
(32)《有料・冒頭試読》マリーンズ初タイトル剛腕エース・伊良部秀輝(1988年~1996年在籍)
(35)《有料・冒頭試読》強気なマウンド、マリーンズ初代クローザー・河本育之(1992年~1999年在籍)
(37)《有料・冒頭試読》マリーンズ初の最優秀救援投手から手術へ…・成本年秀(1993年~2000年在籍)
(40)《有料・冒頭試読》7年目のブレーク「サンデー晋吾」(1994年~2013年在籍)
(43)《有料・冒頭試読》先発の柱サブマリン・渡辺俊介 (2001年~2013年在籍)
(44)《有料・冒頭試読》中継ぎ切り札から先発の柱へ・小林宏之(1997年~2010年在籍)
(47)《有料・冒頭試読》絶対的エースの信頼・清水直行 (2000年~2009年在籍)
(50)《有料・冒頭試読》球団創設年以来55年ぶりの快挙・久保康友(2005年~2008年在籍)

 【選手編/打 者】

(24)《有料・冒頭試読》二軍成長記・福浦和也(1994~2019在籍)
(29)《有料・冒頭試読》打線を支え愛された背番号6・初芝清(1989年~2005年在籍)
(31)《有料・冒頭試読》オリオンズ最後の戦士・堀幸一(1989年~2009年在籍)
(34)《有料・冒頭試読》マリーンズ初の新人王、盗塁王・小坂誠(1997年~2005年在籍)
(36)《有料・冒頭試読》「14打席連続出塁」の大記録樹立・南渕時高(1990年~1997年在籍)
(41)《有料・冒頭試読》裏から支えたバイプレーヤー・諸積兼司(1994年~2006年在籍)
(48)《有料・冒頭試読》千葉で途切れた連続記録・愛甲猛 (1981年~1995年在籍)
(51)《有料・冒頭試読》オリオンズ最後のタイトル・平井光親 (1989年~2002年在籍)

 【選手編/助っ人】

(53)《有料・冒頭試読》中4日のタフネスエース・ネイサン ミンチー(2001年~2004年在籍)
(54)《有料・冒頭試読》「神話」と「ナイト」の勝負強さ・フランク ボーリック(1999年~2002年在籍)
(56)《有料・冒頭試読》安定感抜群の助っ投・エリック ヒルマン(1995年~1996年在籍)
(58)《有料・冒頭試読》 窮地を救ったストッパー ブライアン・ウォーレン(1998年~2000年在籍)
(59)《有料・冒頭試読》「いつか必ずロッテに帰ってくる」の約束果たした フリオ・フランコ(1995年、1998年在籍)

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 150

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?