マガジンのカバー画像

トウキョウ百景

58
東京生まれ東京育ちの30代。 太と環は、それぞれの東京で生まれ育ち、二十歳の時に東京で出会いました。 2人が見てきた東京の景色、東京での物語を、紹介していきます。 ぼくらが育…
運営しているクリエイター

#自分

代々木上原で心が開けない

代々木上原で心が開けない

代々木上原にある書店でアルバイトをしていたことがある。店長は穏やかで良い人だし、アルバイトの人たちも分け隔てなく話してくれるのが心地よかった。ただし、ずーっと馴染めないなぁという気持ちを抱いていた。

「環くん、今度飲み会やるんだけど、こない?」
年の近い和田さんに声をかけてもらう。
「いいんですか?行ってみたいです」
そう答えはしたものの、馴染んでない自分が行って、本当に楽しめるのかと少し不安だ

もっとみる
下高井戸での違和感は私のアラーム?

下高井戸での違和感は私のアラーム?

声が大きいなと思った。
下高井戸駅の本屋で待っていると、吉田くんが若干の汗を滲ませながら「遅くなりました」とはにかんだ。時間に遅れたことは本当にどうでもよかったものの、なぜこんなにも本屋で声が大きいのだろうと少しひっかかった。

それから下高井戸駅の周りを散策して、カレー屋さんへ行く。クラフトビールを飲みながら、仕事やジェンダーのことに話が進む。同じソースから情報を得ていることや、大切にしたい考え

もっとみる
西新宿の夜が明ける

西新宿の夜が明ける

引っ越すことになった。例によってまた転職をするのだ。しかも前に勤めていた会社に戻る。なかなか変なキャリアを辿るなあと自分で自分を思っていたが、引っ越し当日を迎えて感じたのは夜が明けるときのような期待感だった。

転職の理由は非常にシンプルで、仕事が耐えられなくなったのだ。それは今の仕事が嫌いだということではなく、前にしていた記者の仕事があまりにも面白かったから、毎日の9時間の拘束が窮屈で仕方なく、

もっとみる
杉並で静かな正月を過ごせたこと

杉並で静かな正月を過ごせたこと

2023年12月31日。私は東京駅行きの上り新幹線に乗っていた。パートナーの実家から一人、自宅に戻っていたのだ。パートナーの実家、そして自分の実家でも年越しをすることはできたのだが、私は一人になることを選んだ。

理由は特にない。なんとなく一人になる時間が必要だなと感じたからだ。本来、私は人と過ごすことが好きで、毎年パートナーや親友、普段会えない友達にも片っ端から会い忙しい年末年始を過ごしていた。

もっとみる
西新宿でふと気づく役割

西新宿でふと気づく役割

縛られるのがこの上なく嫌いだ。
誰でもそうかもしれないが、自分は特にその気持ちが強いと思っている。日々生きてて困るのは、定時という概念による束縛だ。

定時。それはこの時間からこの時間まで働くという会社との契約を指す。誤解のないように言っておくが、定時退社するやつが嫌だとか、そういうことではない。なんで私が生活する時間を、相手に決められないといけないのだと思っているだけだ。

ただ一応、社会でどう

もっとみる
吉祥寺で表舞台に立って泣いた日

吉祥寺で表舞台に立って泣いた日

体調は悪かった。正直なところ外に出ていいかどうかはギリギリな日だった。

2023年10月28日、吉祥寺のPARCOでやったZINEフェスに出展した。太と3年以上にも及ぶこのOLiの活動を、手のひらサイズの折本にまとめてみたのだ。一人で出展するのは心許なかったので、親友の美香とマサにも絵を販売してもらい、一緒に当日を迎えた。ただし、私は5日ほど前から体調を崩し、ようやく稼働できるようなギリギリの体

もっとみる
練馬の環状8号線でチャリに乗っていた高校生は高円寺に行かないそうです

練馬の環状8号線でチャリに乗っていた高校生は高円寺に行かないそうです

環状8号線を走っていて練馬あたりを通るとむずむずする。それは高校生の頃の恥ずかしい記憶がいまだにちらつくからである。

私は高校生の頃、本格的に古着文化が好きだと自覚した。そして、古着を買うためにいろいろな街に繰り出すようになった。練馬あたりに住んでいた私は、古着屋の多い高円寺にチャリで行くようになったのだった。

しかし、中学生のころと打って変わって古着が好きだとしっかりと自覚すると、雑誌を読ん

もっとみる
浅草にある橋のたもとのお寿司屋さん

浅草にある橋のたもとのお寿司屋さん

幼少期の記憶は「前世の記憶か?」と思ってしまうほどに薄い。しかし小学生になる前、父と浅草にあるお寿司屋さんで食べたマグロの握りのことだけは覚えている。橋のたもとにある数段の階段を降りて、左にくるりと回ると引き戸に紺色の暖簾がかかっていたお店だった。

店内は白っぽい電気で、白い服を着たすし職人がいたと思う。すごく活気があるわけでもなんでもなく、和食屋やそば屋的な馴染みやすい雰囲気だった記憶がある。

もっとみる