美大出身です。

美大出身です。 おかあさんです。 夫とともにゆかいな子どもたちを育てています。 これま…

美大出身です。

美大出身です。 おかあさんです。 夫とともにゆかいな子どもたちを育てています。 これまでのこと、これからのこと、日々のおもい、全部つながっていることを書いていけたらと思っています。

記事一覧

ふり返ると、
昨春くらいから最近まで、

カラダというかココロというか、とにかくいつも疲れていて、なにかに縛られているような、それでも尚、応えなきゃ。と力む日々だった。

眠れてないとは解ってなかったけど、眠れるようになったら、ただ、自分のいい塩梅をさがせばいいや。と思えた。

久しぶりに。

近ごろになって、料理をすること家族にごはんやお弁当をつくることのわたしの気負いが少なくなった気がする。

手抜きというのともちがう心持ちで、でも、なんか良かったなぁ、というか、ごはんを作れると自分が整う気がしている。

衣、食、住
ココロとつながっててどれも大事。

昨日長男に剥き出しで怒りすぎたので、
「昨日はごめんね。」と言うと、
『失敗してもあんなに怒るなよぉ。俺は息苦しいんだよぉ。』と返された。

真剣だから語気が強まったけど、だからってそんなに怒っちゃいけないけど、。長男がどうして嫌なのかを説明できて、自分に反省して長男に感動した。

憧れの職業であったり将来の夢を思い描いたりすることは良い事なんだけど、そこにもう一つ、自分の夢を通じて誰のためにどんなことをしながら生きていきたいかを見つけられたら、最初の夢が種となって枝葉となって木となって何かしらの実をつけるんじゃないかな。

夢の実らせ方はひとつじゃないよ。

わたしの信頼している子どものかかりつけ医から『お母さんもこれからは自分の時間を持ってね。』と先日言われたことが心に残っている。

子どもが生まれてからは余裕が無くて、がむしゃらに育ててきたとは言えるけど最善とは言い切れないとも思うようになった。

もっと、しなやかな心で。



我が家の寝室は外の音を心地よく遮断してくれる。

夜中から体調がわるくて、子どもを送り出してから洗濯の合間に布団にもぐり込んだ。ふと洗濯物を取り出してないことを思い出して、見に来た夫に聞いたら、見様見真似で干してみた、と。バリバリに乾いていてその不器用さが、なお嬉しかった。


洗濯物を干し終わってリビングに戻ると、ゆかいな長男が体育座りで日曜の昼下りにぴったりの顔でにこにこしている。点けていたテレビから反田恭平さんの演奏が流れてきて、その感想がその笑顔だったらしい。

音楽を選んで流すのもいいけど、たまたま流れてきて出会えたというのは、またいい。

ゆかいな次男が刺繍をするというので、ときどき行っていた手芸屋さんを調べると地域の再開発で仮店舗に移転していることがわかった。
黄色と橙色の糸をえらんでお会計の段になってから、仮店舗ではいつ頃までで移転先はどちらなのですか?と尋ねると、元の場所に戻られることがわかって嬉しかった。

学校(教育)については、
「自ら学ぶ場所」と考えるか「人から教わる場所」と捉えるかで、話の主人公が誰なのかが全く変わってくると思う。

いま思考力とか判断力とかを成績につけられるけど、それを気にするより、自分の意識の中心がどこかにあるのかを見つけられることの方が重大だと思った。

子どもたちの国語の「授業」から思ったこと。

文章から作者の意図を読み解くことは大切だけれど。

一人一人が発する言葉の力や重さを理解すること、伝えたい相手を意識しながら言葉を選ぶこと、ひいてはそれがコミュニケーションとなること、を考える時間になれば、生きた授業になる気がする。

いろいろな人間関係において、夫婦でも親子でも友人や仕事仲間でも、もっと広く考えれば流れてくる情報にでも、自分なりに感じ取ったりよく見たり話したりすることは大切だけれど、たまに、『ふーん、そうなんだね。』と受け流したり見てみぬふりしたりするのも、ちょっとは潤滑油になるのかな。なんて

すぐ側にいる人や周りの人たちを喜ばせられることや役に立てることを考えて、自分なりにおこないを重ねて行けるということが凄いのだと思う。

これは「ジャジャーン!」と盛大でも大袈裟でもなく、わざわざ計画するのでもなく、いつでも丁寧に淡々と当たることができるのはなかなか真似ができない。

子どものころ、お盆を過ぎると、暑さも過ぎて夏がおわって行く予感がした。

この夏はもう秋にかわって行くのだろうか?

今夏は暮れていく空をながめることが多かったのだけれど、その色と気配から「もう終わっていくよ。」と挨拶でもしているような気がしている。

夏休みももうすぐ終わり。

ゆかいな次男の誕生日、せっせと製作をしている。何を作っているのか聞いてみたら『まぁ、お母さんはわからないだろうけどね。』と言いながらキャラクターの名を教えてくれた。そしてやっぱり私はそれは分からないのだけれども。

自分の誕生日にお父さんを喜ばせる何かを作っているんだそうです。

ゆかいな茄子

ゆかいな次男かブラックジャックを読んでみたいと言い出して、夫にどんな話なの?とたずねている。

道徳の教科書に載っていて興味が湧いたようで、こういう本に関心を持ったり惹かれるようになるとは、大人の階段のぼり始めているんだなぁ。とぼんやり感じる。

こうして段々に巣立つんだろうな。

ふり返ると、
昨春くらいから最近まで、

カラダというかココロというか、とにかくいつも疲れていて、なにかに縛られているような、それでも尚、応えなきゃ。と力む日々だった。

眠れてないとは解ってなかったけど、眠れるようになったら、ただ、自分のいい塩梅をさがせばいいや。と思えた。

久しぶりに。

近ごろになって、料理をすること家族にごはんやお弁当をつくることのわたしの気負いが少なくなった気がする。

手抜きというのともちがう心持ちで、でも、なんか良かったなぁ、というか、ごはんを作れると自分が整う気がしている。

衣、食、住
ココロとつながっててどれも大事。

昨日長男に剥き出しで怒りすぎたので、
「昨日はごめんね。」と言うと、
『失敗してもあんなに怒るなよぉ。俺は息苦しいんだよぉ。』と返された。

真剣だから語気が強まったけど、だからってそんなに怒っちゃいけないけど、。長男がどうして嫌なのかを説明できて、自分に反省して長男に感動した。

憧れの職業であったり将来の夢を思い描いたりすることは良い事なんだけど、そこにもう一つ、自分の夢を通じて誰のためにどんなことをしながら生きていきたいかを見つけられたら、最初の夢が種となって枝葉となって木となって何かしらの実をつけるんじゃないかな。

夢の実らせ方はひとつじゃないよ。

わたしの信頼している子どものかかりつけ医から『お母さんもこれからは自分の時間を持ってね。』と先日言われたことが心に残っている。

子どもが生まれてからは余裕が無くて、がむしゃらに育ててきたとは言えるけど最善とは言い切れないとも思うようになった。

もっと、しなやかな心で。



我が家の寝室は外の音を心地よく遮断してくれる。

夜中から体調がわるくて、子どもを送り出してから洗濯の合間に布団にもぐり込んだ。ふと洗濯物を取り出してないことを思い出して、見に来た夫に聞いたら、見様見真似で干してみた、と。バリバリに乾いていてその不器用さが、なお嬉しかった。


洗濯物を干し終わってリビングに戻ると、ゆかいな長男が体育座りで日曜の昼下りにぴったりの顔でにこにこしている。点けていたテレビから反田恭平さんの演奏が流れてきて、その感想がその笑顔だったらしい。

音楽を選んで流すのもいいけど、たまたま流れてきて出会えたというのは、またいい。

ゆかいな次男が刺繍をするというので、ときどき行っていた手芸屋さんを調べると地域の再開発で仮店舗に移転していることがわかった。
黄色と橙色の糸をえらんでお会計の段になってから、仮店舗ではいつ頃までで移転先はどちらなのですか?と尋ねると、元の場所に戻られることがわかって嬉しかった。

学校(教育)については、
「自ら学ぶ場所」と考えるか「人から教わる場所」と捉えるかで、話の主人公が誰なのかが全く変わってくると思う。

いま思考力とか判断力とかを成績につけられるけど、それを気にするより、自分の意識の中心がどこかにあるのかを見つけられることの方が重大だと思った。

子どもたちの国語の「授業」から思ったこと。

文章から作者の意図を読み解くことは大切だけれど。

一人一人が発する言葉の力や重さを理解すること、伝えたい相手を意識しながら言葉を選ぶこと、ひいてはそれがコミュニケーションとなること、を考える時間になれば、生きた授業になる気がする。

いろいろな人間関係において、夫婦でも親子でも友人や仕事仲間でも、もっと広く考えれば流れてくる情報にでも、自分なりに感じ取ったりよく見たり話したりすることは大切だけれど、たまに、『ふーん、そうなんだね。』と受け流したり見てみぬふりしたりするのも、ちょっとは潤滑油になるのかな。なんて

すぐ側にいる人や周りの人たちを喜ばせられることや役に立てることを考えて、自分なりにおこないを重ねて行けるということが凄いのだと思う。

これは「ジャジャーン!」と盛大でも大袈裟でもなく、わざわざ計画するのでもなく、いつでも丁寧に淡々と当たることができるのはなかなか真似ができない。

子どものころ、お盆を過ぎると、暑さも過ぎて夏がおわって行く予感がした。

この夏はもう秋にかわって行くのだろうか?

今夏は暮れていく空をながめることが多かったのだけれど、その色と気配から「もう終わっていくよ。」と挨拶でもしているような気がしている。

夏休みももうすぐ終わり。

ゆかいな次男の誕生日、せっせと製作をしている。何を作っているのか聞いてみたら『まぁ、お母さんはわからないだろうけどね。』と言いながらキャラクターの名を教えてくれた。そしてやっぱり私はそれは分からないのだけれども。

自分の誕生日にお父さんを喜ばせる何かを作っているんだそうです。

ゆかいな次男かブラックジャックを読んでみたいと言い出して、夫にどんな話なの?とたずねている。

道徳の教科書に載っていて興味が湧いたようで、こういう本に関心を持ったり惹かれるようになるとは、大人の階段のぼり始めているんだなぁ。とぼんやり感じる。

こうして段々に巣立つんだろうな。