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あしたの小窓から。

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小窓のむこうに、ちいさな「あした」が見える。 ここでは音楽、教育、投資、霊性などについて、考えたり感じたりしたことをつれづれに綴っています。
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#子ども

そそうを許す寛容さ。

そそうを許す寛容さ。

たとえば、ファミレスで隣の席の赤ちゃんが水をこぼす。
その時、あなたはどんな反応をしますか。

びっくりする? あらあらと思う?
それとも微笑む? 怒り出す?

あるいは、赤ちゃんのどんなそそうまでは、許容できるだろうか。
大きな声を出すこと、うんちをトイレでできないこと、夜泣きをすること...etc.

昨日、躾(しつけ)のことを考えていて、

どのようなしつけ方になるかは、親や周りの大人の寛容

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躾(しつけ)って怒んなきゃダメかな。

躾(しつけ)って怒んなきゃダメかな。

昨日アルバイトに行った障がい者施設に、おなじ言葉を何度も繰り返す利用者さんがいた。

発音が不明瞭だったので、最初は意味のあることは言っていないのかと思ったが、しばらく聞いているとそれは

「うるさい!」
「いい加減にして!」
「こっち!」
「帰るよ!」
「だまれ!」

だった。

彼はこうした言葉を周りの大人たちからぶつけられてきたのだ。

その言葉をききながら、躾(しつけ)のことを考えた。

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グッドのバイである。

グッドのバイである。

今日の夜の児童館では、今月いっぱいで退職するぼくの「最期の日」と称して、中高生たちがパーティーを開いてくれた。

彼らはときどき口げんかをしながら、長いことバタバタと準備していた。サプライズのため、ぼくは中をみることができないが「最期」なので、葬式ごっこをすると聞いていた。

しばらくして呼ばれると、こんなホワイトボードが出迎えてくれた。

Arigatoo(笑)
いいなあと思いながら、まじまじと

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むなしくなりませんか。

むなしくなりませんか。

「木村さんは全国に『みんなの学校』のことを伝えて回っているけど、それで日本社会は変わったと思いますか?

 僕は全然変わっていないと思います。
 木村先生は一生懸命伝えてくれていて、僕は今日の授業が大学に入っていちばん考えさせられた時間だったけど、でも社会は変わっていないと思う。
 先生はここまで一生懸命にやっているのに、むなしくなりませんか?」

この対談を読んでいて一番印象に残ったのは、龍谷大

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9割と1割。

9割と1割。

友人がシェアしていたこの記事が、とても印象に残った。

誕生学がどんなものなのかは、よく知らない。
けれど、ここに書かれた態度は、身におぼえがあった。

考えてみれば、学校の教壇に立ち、あるいは講演会の講師として登壇する大人の多くは「9割側」の子どもだった人たちです。そういった人たちのメッセージは、「生きづらさ」を抱える子どもを無視した「幸せな大人の自己満足」になってしまう危険性があるのかもしれま

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大事な一日。

大事な一日。

日本の新しい元号が「令和」に決まった頃、僕は愛知県岡崎市にいた。

友達のよしみんが「影舞の種〜花の宴」という会を開いてくれて、それに参加したのだ。

これがまあ、本当に楽しかった。

まず、なんたって、桜がきれい。

空もあざやかな青の快晴で、暖かくてとても過ごしやすかった。

それに「おかず一品持ち寄り」にしたごはんの豪華なこと!

僕は料理をする人ではないので、ふだん好んで食べているレトルト

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支援と支配。

支援と支配。

弱い者たちが夕暮れ
さらに弱い者を叩く
その音が響きわたれば
ブルースは加速していく
(THE BLUE HEARTS『TRAIN TRAIN』より)

先日、ある話を聞いた。

詳細は書けないが、強い立場の人が弱い立場の人の思いを聞かず、力をつかって持論を押し通し、ぐちゃぐちゃにしてしまう話だった。

弱い立場の人の良心や葛藤は、強い立場の人の「正しさ」によって粉砕された。強い立場の人は、弱い立

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僕は「子ども好き」ではなくなったらしい。

僕は「子ども好き」ではなくなったらしい。

自由ってやつは 楽しいもんだぜ
僕も昔は 縛られてた
(映画『ピノキオ』より)

昨日、自分がもはや「子ども好き」ではなくなっていると気づいて驚いた。

僕は長年、自分のことを「子ども好き」だと思って生きてきた。

身内であるめいだけでなく、ショッピングモールや地下鉄の車内、エレベーターの中なんかでよその子を見かけても、自分から微笑みかけてしまうくらいの「子ども好き」だった。

そして、僕は誰より

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大人が大人とかかわること。

大人が大人とかかわること。

僕はいま児童館で、主に勉強する子どもたちの支援をしている。
児童館自体は、遊ぶことを通じて、子どもたちが「好きなことを好きなようにしてもいい」余白を提供している(すべての児童館がそうではないようだけれど)。

そんな環境に二年いて、いまさらなのだけれど、子どもの支援の対象っていつでも「大人」なんだなあと思う。

子どもに関わっていると、そこに必ず大人の影をみる。
親だったり、先生だったり、彼らの考

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連鎖を断つ人。

連鎖を断つ人。

昨日、この記事を読んで、今日も読んでいる。

以前なら「重たいな」と思って、途中で読むのをやめていた記事だと思う。
でも、いまは他人事とは思えない。

児童館に、そして身のまわりに、そういう子どもや元子どもたちがいるからだ。はじめて聞いたときには信じられなかったが、そういう現実がある。

と、そこまで書いて、しばらくそれ以上なにも書けずにいた。
なにを書いても、この記事に付け加えるには薄っぺらく思

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Sketches.

Sketches.

ぐだぐだしていた。

夜の児童館だ。

一人、二人と子供が帰り、あとには家に帰りたくない子供たちが残った。

帰りたくない事情は様々だ。
大抵、親とうまくいっていない。

学校が嫌いだと言い、友達がいないと言い、児童相談所は役に立たないと言い、鳥のおなかが膨れてもうすぐ出産だといい、プリンのカラメルはこう作るんだと言い、シェアハウスっていいなと言った。

受験はどうしようと言い、部活が大変だと言い

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僕たちは知ってるよ。

僕たちは知ってるよ。

誰かの立場になってみて、はじめて分かることがある。
その視線から、かつての自分を見ることで「ああ、そうだったのか」と得心するようなことが。

先日、僕は児童館に来る子どもがとった態度について、強い口調で指摘した。

「そんな態度でいるともったいない」と。

「ダメだよ」ではなく「もったいない」であり、伝えたかったのは「君はもうそんな態度をとらなくても十分にできる」ということだった。

しかし、彼は

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問題と人との幸福な関係。

問題と人との幸福な関係。

「これ、なあんだ?」

と、ちいさな子どもがお母さんに問題を出している。
お母さんが答えると、子どもはけらけらと笑いながら、次の問題を出そうとする。

児童館にいると、そんなやり取りをよく見る。
問題と人とが仲良く遊んでいるみたいな光景。

でも、それはちいさい時だけのこと。
そう思っていたのだけれど、似た光景が中高生の学習会で繰り広げられて、かなり驚いた。

おとといと昨日は、ハロウィンというこ

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むしろそのスパゲティーを食べたい。

むしろそのスパゲティーを食べたい。

「こう、スパゲティーなんです」

と、若いスタッフが言ったとき、頭の中にアルデンテのパスタが浮かんだ。

麺はストレートではなく、けっこうちぢれている。大きめのトングでつかまれて、ぶらぶらと垂れ下がっている。

といっても、今日はミートソースやナポリタン、ましてやイカスミの話をするわけではない。なぜなら、この発言があったのは、職場の仲間たちが研修の振り返りをしていた席だったから。

この日の午前中

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