イ・ジュンイク監督 『金子文子と朴烈』 : 信念に殉じた人たちの背中
映画評:イ・ジュンイク監督『金子文子と朴烈』(2017年・韓国映画)
今年は「関東大震災」から100年ということで、大震災直後に発生した「朝鮮人虐殺」事件を扱った森達也監督の『福田村事件』が公開されるなど、あらためてこの事件が注目されている。
個人的な記憶としては、1988年に公開された実相寺昭雄監督作品『帝都物語』で描かれた、「関東大震災」のイメージが強く残っている。特に、ミニチュア特撮による「浅草十二階」こと「凌雲閣」の倒壊シーンが、強く印象に焼きついているのだ。
これはたぶん、凌雲閣のデザインのモダンさに併せて、「浅草十二階」が江戸川乱歩の名短編「押絵と旅する男」などに印象的に描かれており、ずっと大阪在住で「浅草」という土地に馴染みのなかった私が、浅草に「乱歩ワールド」的な異世界感を持っていたからであろう。凌雲閣は、その象徴的なメルクマールだったのである。
さらに言うと、荒俣宏による『帝都物語』の同名原作小説の初版である角川ノベルス版は、マンガ家・丸尾末広の個性的な装画によって飾られ、この小説の妖しげな魅力を何倍にも引き立てていたのだが、その丸尾が同じ頃、関東大震災にまつわる「甘粕事件」をモチーフにした無惨絵を発表しており、その背景に描かれていたのが、倒壊した「浅草十二階」であった。これが『帝都物語』のイメージとも重なって、強く印象に残ったのであった。
関東大震災の混乱に乗じて、虐殺されたのは「朝鮮人」だけではなく、「社会主義者」など、国家権力の側から「反社会分子」だと見られた人たちも含まれていたのだが、私の中では、この「伊藤野枝と大杉栄」のイメージが「金子文子と朴烈」のそれと曖昧にダブって記憶されていたのである。
私は、2006年の「在特会(在日特権を許さない市民の会)」の設立以降、インターネット世界に跋扈した「ネット右翼=ネトウヨ」の、「在日」外国人、特に、南北朝鮮人と中国人に対する「差別」に強く反発し、彼らネトウヨ のネット言説に反抗して、長らく喧嘩を繰り返してきた人間である。だから、当然のことながら「東京大震災における朝鮮人虐殺事件」についても、否応なく興味を持ってきた。
つまり、私の中では、関東大震災を背景として、江戸川乱歩と『帝都物語』と「甘粕事件」と「朝鮮人虐殺」が、一種の観念連合をなしていたのである。
以上のような事情で、私は大杉栄に興味を持って、その著書を数冊読んだし、金子文子についても、(読んだことのなかった伊藤野枝のイメージとダブらせながら)その印象的なタイトルの著書『何が私をこうさせたか 獄中手記』(岩波文庫)を何度か購入している。まるで戦前の探偵小説のタイトル、浜尾四郎か橘外男のそれのようではないか、などと感じたものだ。
だが、金子文子の本は、購入する度に積読の山に埋もれさせてしまい、いまだに読んではいない。
今回、イ・ジュンイク監督の『金子文子と朴烈』が、2019年の日本での初上映以来のリバイバル上映となったのは、無論、「関東大震災100年」と、たぶん『福田村事件』の公開に併せて、ということだったのだろう。私もそれで、この2本の映画を同日に観たのであった。
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そんなわけで私は、金子文子については、なんとなく程度のイメージはあったものの、朴烈については、まったく無知だったし、名前すら記憶してはいなかった。この映画を観て、いわゆる「朴烈事件」のあらましを初めて知ることになったのである。
本作『金子文子と朴烈』の「あらすじ」は、次のとおり。
しかし、これだけでは、この事件の広がりが理解できないだろうから、「Wikipedia 朴烈事件」からも、その経緯を紹介しておこう。
ほぼ全文を長々と引用したが、この「Wikipedia」の説明からすると、私の印象では、映画『金子文子と朴烈』は、かなり歴史的事実に忠実に作られている。
もちろん、事実関係に関する「解釈」については、視点の違いによって、おのずと相違はあるし、そもそもこの映画では、二人は「ヒーロー」として描かれているのだから、そこで当然、ニュアンスの違いは出てくる。
しかしながら、いずれにしろこの二人が、並大抵の人物でなかったのは、確かなことであろう。
二人して「死刑からの減刑を拒否する」というのは、朴烈に『「朝鮮民族独立の英雄」としての名声を得て死ぬ』という強い思いがあったから、という説明では不十分なものであり、また、そんな愛人に最後まで付き合おうとした金子文子の思いを説明するにも、まったく足りないものであると思うからだ。要は、信念があったからと言って、刑死の覚悟など、誰にでもできることではないということである。
じつのところ私には、この映画について、あまり語るべきところがない。「映画」としては、とてもよくできた「歴史的英雄の実話物語」だけれども、いまさら「この映画に学ばなければならない」ところなどなかったからだ。
ただし、それは、この映画を評価しないということでない。
要は、「学ぶ学ばない」ではなく、「やれるかやれないのか」を問われたのだ。「映画」以前に実在した二人の生き様が、私個人にその覚悟を厳しく問うてくるものだったのだ。
「彼らのように生きられるか?」という自問の切迫性においてこそ、本作は私をつかんで離さない作品だったのである。
無論、私は「無政府主義者」ではないし、「爆弾テロ」を支持するものではない。
けれども、本気で「それが必要だ」と感じたときに、それを実行することが、私にできるか。また、それで捕まったときに、彼らのような振る舞いができるのかと言えば、それは「できないだろう」としか思えないのだ。
この場合、彼らの「それが必要だ」と考えた、その中身の正当性を問うても、意味はない。
そう信じてしまったのなら、それはそれで、当人にはどうしようもないことだし、そんな「避けがたい確信」を、外から批判することで、自身の覚悟のなさを正当化しようとするのは、卑怯な自己欺瞞しでしかないからである。
私は昔から、こうした非凡な生き方、死に方をした人たちの存在を知ったとき、「自分に、それができるか?」と問わずにはいられなかったし、同時に「できないだろう」と思わずにはいられなかった。
虐殺された無政府主義者や社会主義者だけに限った話ではない。例えば、キリスト教西欧における「異端審問」などで拷問死した人たちのことが描かれたりしていると「私なら、瞬殺でゲロしてしまうだろう」と思わざるを得ない。水責めにされたり、生爪を剥がさりして、どうしてそれに耐えられるというのだろうか。
無論、耐えられずに、自白したり転向したり仲間を売ったりした人の方が圧倒的に多いのだろうことは承知している。
しかし、私には、そんな人たちを責める資格などないとしか思えないし、そうした人たちの存在を自身のアリバイに使うことなどできないから、いつでも問題となるのは、そうした逆境に耐えて生き抜いた人、あるいは、最後まで抵抗し抜いて死んでいった、少数の非凡な人たちということになる。
少数とはいえ、そんな人が実在したという事実において、私はいつでも「おまえはどうか?」と問われている気になるのだ。
私が「文筆」において、しばしば「過激な本音主義」なのも、せめて「文筆での抵抗」くらいは妥協なく貫きたいという気持ちがあったからに違いない。
それで損をしたり、人から嫌われたり憎まれたりしたところで、命まで取られるわけではないし、「他の人が臆して書けない、書くべきことを書いた」という満足感が持てる。
「信念に生き、それに殉じて死んでいった人たち」に比べれば、私の抵抗など、お遊びのようなものでもあれば、アリバイ作りでしかないのだとしても、少なくとも周囲の大半の人間に比べれば「随分まし」だと、自己満足くらいはできるからである。
そんなわけで、私としては、この映画を観て、「日本人は、歴史を直視しなければならない」とか「主人公たちの、一途な生き方に衝撃を受けた」とかいった、どこか「他人事」のような感想は持てなかった。まして「映画として」よくできているとかいないとかいったことを論ずる気になど、到底なれなかったのだ。
「信念に生き、信念に殉じて死ぬ」というのは、もちろん「素晴らしい」と思うし、「美しい」とも思う。
「いやいや、平凡な生き方こそが」などというのは、所詮、覚悟の持てない者の、誤魔化しの自己正当化でしかないと思うから、そうした立場は採らないのだが、しかし、「素晴らしい」「美しい」と思っても、それが実行しきれないであろうというところに、私の抱える苦さがある。だがまた、それくらいは引き受けて生きるという妥協しか、私の能力では不可能だと思うから、それを生きているだけなのだ。
もちろん、何も考えずに、考えなくても済む、平凡かつ無知な人生を全うすることも、それはそれなりに価値のあるものではだろう。
しかし、知ってしまったものは、忘れてしまうことも無視することもできない。なぜなら、「忘れようとしている自分」「無視しようとしている自分」「逃げようとしている自分」だけは、無視することができないからである。
なぜ私には、金子文子や朴烈のような生き方ができないのであろうか?
無論それは、「持って生まれたもの」や「育ち」が違い、彼らのような「強靭な精神」を、私自身が育て得なかったからだろう。
だが、私にはそれが悔しいのだと思う。
どうして、彼らにできて、私にはできないのか…。
私は、それを「オリンピック選手のようには走れないのと、同じことだよ」とは思えない。
なぜなら私は「オリンピック選手」や「大金持ち」や「権力者」の「ように」なりたいとは思わないけれども、彼らのように生きたいという思いは、どうしても否定できなかったからだろう。
それほど私は、彼ら「信念に生き、それに殉じて死んだ」人たちに、魅せられているということなのだと思う。
これは、ひとつの「永遠の片思い」とでもいうべきものなのかも知れない。
(2023年9月25日)
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