しばき界隈が「ヘイトスピーチ」や「ヘイトクライム」という行為ではなく「レイシスト」を批判するのは、何がヘイトスピーチで何がヘイトクライムなのかを理解する能力がないからではないかと思うようになりました。批判すべきは人ではなく行為であるという意識がなければ在特会と変わりません。
青木某に津田某の思考回路もそんな反日国家に迎合 したような調子だし中立などと標榜する当局も含め こんなヘイトクライムを正当化したいだけかという ものだから許せない。
反差別界隈の主張の中で最も信用できないのが、「内なる差別と向き合え」というものです。頭や心の中がヘイトだらけであったとしてもそのヘイトを言動として出さないというのが差別の解消であって、「お前の頭や心のヘイトを消せ」というのはただの全体主義でしかありません。
7月なので、重度障害者施設「津久井やまゆり園」の殺傷事件を題材にした詩『レクイエム』をトップ固定記事にしました。 今年で、あの事件から7年が経ちます。事件そのものだけでなく、事件の遠因となった施設のあり方や社会構造も含めて、多くの人に考えてほしいし、忘れないでほしいのです。
恋愛をしていると私は女性なのだよなぁと思うし、女性として扱われることに違和感を感じることがある。そのままに嬉しいとは受け取れない私がいるし、私たちは“偶然に”男女だったのだと言いたくなる。恋愛が男女を基調として成り立つみたいな認識が当たり前でなくなればいいと強く思った今日です。