支援メモ📝【福祉は選ばなくてはならない】

今回は一人間が行動で示せる福祉の限界について。

福祉を志す人の多くは、じぶんは誰に対しても、支援できると思っているはず。しかしそれは理想と現実を履きちがえている。

誰を助け、誰を見捨てるか。あるいは優先順位を後列にまわし、時間の制約もあるから結果的に最終誰を助けられないか

福祉の専門家にしてみれば、とてもまずい真実なので、ほとんど触れられずにいるけど、福祉の道を歩む人間であればかならず打ち当たる壁だ。

むかし流行ったハーバード大学マイケル・サンデル教授の哲学講義にたしかこのような例題があった。

旅客機に白人種の客と黒人種の客が搭乗している。その旅客機が事故に遭い、今にも墜落しそう。しかし助かる道がひとつだけある。それは乗客数を減らすことだ。さてもしあなたがそこに同乗してるとして、あなたならどんな行動をとりますか?

これは主流の白人に対し黒人差別を例にとって交わされた議題だったが、いろんな問題に置き換えることができる。

たとえば「金持ちと貧乏人」「権力者と一般庶民」「健常者と障がい者」「イスラエル人とパレスチナ人」、、、

哲学者ジェレミー・ベンサムの有名な言葉に【最大多数の最大幸福】がある。端的にいうと 集計をとり、最も多くの者が望んでいる結果が、社会の幸福であると説く考えかただ。

民主主義がそうなっているのだけど、欠点として、少なからず少数意見をもつ人間が犠牲になってしまう

じぶんが主流派にいるなら事なきを得るだろうけど、もしじぶんが、じぶんの家族が少数派にいて、多数派の意見で見捨てられそうになったとしたら世の不条理を嘆き哀しむことだろう。

あまり意識してはいないと思うのだけど、われわれはいつも誰を選ぶ選択を迫られている。たまたまじぶんの選んだ仕事が障害者福祉だったから、自然に障害者の味方をしているけど、これにだってちゃんと優先順位はある。

じぶんの職場で支援する利用者はいち早く助け、職場の外にいる部外者は、よほどのことがないと手に負えない。どころかマナーの悪い障害者だったら迷惑そうにしてたりもする。震災に遭い、家族も巻き込まれてしまったら、真っ先に家族を助けに行くかもしれない。

上をみればキリがない。
下をみればキリがない。

慈善活動に粉身する杉良太郎さんがTVでこう話されていた。

これに気づくか気づかないかで多様性への寛容度、覚悟が変わる。

やむを得ず選ばなかった人たちへの敬意はあるだろうか。

ただ見捨てるたのか、優先順位として今は救えなかっただけなのか。

金銭的余裕も気力も体力もないわたしは 世界じゅうの弱者を助けには行けない。

すこしドライに思われるかもしれないけど、これが現実だ。世界平和を祈りつつ、合縁奇縁を大事にして身の回りの弱者救済に注力すること。これがわたしの福祉観であり、平和運動だ。


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