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馴染めない移民ファミリーとなくならないヘイトクライム

埼玉県の一部のクルド人の話に触れたので、私の地元であった移民と差別の話をしたいと思う。

トルコ人集合住宅放火事件 

私の住んでいた地域からそう遠くない場所。これは15年以上前の2008年2月の頃でのことある。9人のトルコ人の死者が出た事件だ。この季節はカーニバルがあり、現場の近くではパレードが行われていたため、事件の発見が早かった。しかし集合住宅の階段が、現地にしては珍しく木造だったため早い段階で焼け落ち、住民は脱出困難になった。死者のほとんどは上階の住人で、乳児が窓から投げ出される様子をとらえた写真が有名になった。消防隊は長く建物内にとどまれず、水蒸気が負傷の原因となるとして消化活動も難航した。住人全員がイスラムの特定宗派であり、攻撃を予告されていたことでも注目された。後にネオナチの刻印が発見されたが、それが刻まれたのは事件発生前だったという。少女2人が放火を目撃したと証言したが、証言が食い違っており有効とは言えないと判断され、後の更なる取り調べで誤りと認定された。
結果、捜査が難航し、多くの憶測を呼んだが、原因は分からず、裁判所は何かしらの過失による発火とした。

その後、トルコのメディアでは早い段階で放火の可能性を示唆し、誤報を元に警察と消防の対応が遅すぎたと非難し、これがトルコ人コミュニティの中で騒ぎを読んだ。結果として現地人の消防士が殴られる、支援機関の職員が唾を吐かれるという二次被害も発生した。消防組合は「住人がドイツ人でも結果は変わらなかった」と声明を出すまで追い込まれた。トルコ政府は調査団を派遣した。

事件後の2週間程度、トルコ人の住む住宅の火事が相次いだ。当然ながらトルコメディアは外国人排斥運動を疑い続けた。1年前に類似した事件が発生していたことも原因である。

後に現地はトルコの都市と姉妹都市になり、生存者の一人は表彰された。2011年になると、ネオナチ系テロ組織が関与したと報じられたが、裁判所がこれを否定した。

類似事件

他にも大きな類似事件はあった。
90年代初頭には別の場所で5人が犠牲となった襲撃事件があった。現地の東西統一後の90年から91年頃以降極右勢力による暴力沙汰が発生していた歴史的背景があり、当時、外国人、特に難民が集中的に狙われた。
この事件では4人がトルコ人宅に押し入り、ガソリンを撒き放火した結果、窓から飛び降りた犠牲者1人が死に至り、家族14人が負傷した。5人の遺体はトルコに無言の帰国をし、現地では盛大な葬儀が執り行われ、そこには私の地元の外務大臣も参列したという。

近年では移民である犯人が捜査撹乱のためにネオナチの犯行に見せかけたケースもあり、こちらは短いが記事を見つけたのでリンクしておく。こちらも移民の住む住宅の放火である。

所感

まず、双方に協力して暮らす意思がないと、外国出身者と生活することはそもそも難しい。受け入れる側が偏見なく接することが声高に叫ばれるが、私の経験からして、受け入れられる側も現地人と「うまくやっていく」ことを強く意識し、現地のルールやしきたりを受け入れない限り、お互いに取って平穏な暮らしを送ることはできない。
そしてこれは「差別をしてはいけない」というスピーチだけでは解決しない問題である。日本では上記のような事例は目立たないが、現地でも「差別=悪いこと」であるという言説は浸透している。それでも「差別的」な事件は無くならない。「ごめんで済んだら警察いらんねん」と全く同じで、異教徒や異国の人間同士が一緒に暮らしていくことは「差別はやめましょう」の一言で困難がなくなるわけではなく、そこには多くのハードルがある。個人的な意見だが、日本で「声をあげる外国人」を見ていると、現代リベラル的な「自分たちの主張、習慣を受け入れろ」と声高に叫んでいることが多く、これを私はフェアな関係だとは思わない。上の投稿にも書いたとおり、まず現地の法律を遵守することが第一歩であり、それを実現できない限り共存は難しいというのが私の強い意見だ。
なぜなら、お互いの信頼もかなりの重要課題で、その信頼はどこからやってくるのかと言えば結局のところ共通のルールの遵守である。それが法である。「法律は国民を縛るもの」という誤解が世間にはあると思っている。しかし私は異議を唱えたい。法とは民を守る盾であり、民同士の平穏な共同生活を可能な限り実現するために存在していると思っている。
また、最初の事件でトルコのメディアがトルコ人たちを焚き付けたように、現地に住んでいても出身地のメディアの影響はとても大きい。よって良好な外交関係も重要である。その点、上記の投稿の通りクルド人は日本では圧倒的に不利である。国を持たず、トルコからは排除され、トルコと友好関係にある日本では良好な外交関係を築きようがなく、後ろ盾が日本の「支援団体」を名乗る人たちである。しかしこういった「支援団体」には気をつけてほしいと私は思っている。彼ら/彼女らは支援対象である人々には優しく接するかもしれないが、一方で「被害者ビジネス」である。つまり支援を受ける人々は「支援団体」に政治的に利用される恐れがあり、うっかりすると支援を受けるだけのはずが現地人への加害者になってしまうことがないとも言えない。外国に行ったら尚更、人付き合いをよく考えなければいけない。

#移民 #難民 #トルコ #差別 #レイシズム #ヘイトクライム

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