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不法難民に理解を示す必要があるのか

Xでこんなポストが話題になっていたので色々考えてみる。

「難民の人たちは他人のパスポートで来る人が多いことも知ってほしい。」

これはかなり強烈な一文である。「知ってほしい」ということは私の知る福島さんの立場から推測するに「理解を示してほしい」という意図だと思うのだが、これは「不法難民の存在に関する警告」にも取れる。
偽造パスポートを作る、所持、使用することはれっきとした犯罪である。そういった方々は難民であっても国内からはなんらかの形で追放する方が(帰る場所がなくとも)国民のためだと私は考える。なぜか。「渡航のためにパスポートを偽造する」という行為を行う時点で犯罪に手を染めるハードルが低く、法律遵守意識が低いため、法治国家で暮らしていくことがとても難しい点にある。もちろん世界には警察官や取締りに来た公職の人間にタバコや金、酒を渡せば見て見ぬふりをしてくれる国は少なくない。しかし日本は決してそういう場所ではないし、私はそういう場所になってほしくないと思っている。

私の出身国でも中東からの移民・難民が増えているが、文化間衝突や財政の問題等をうまくhandleできず、外国人全体の受け入れが一律で非常に厳しくなった。私の知人(現地人と結婚した日本人)が永住許可を申請しているのだが、アルファベットもわからない中東からの難民と同じ講座(現地の生活、一般常識、歴史に関するもの)を受けなければならず苦労しているようだ。

話を戻そう。福島さんの引用している読売新聞の記事の「在留資格のない子どもに在留特別許可を”条件付きで”与える」ことは悪くないと思う。一方でこの記事では

 現在、強制送還対象となった外国人のうち、帰国を拒む「送還忌避者」は2022年末時点で4233人に上る。このうち、日本で生まれ育った18歳未満の子どもは201人だ。

「短期滞在」や「留学」の在留資格で入国した親が、在留期間が過ぎて不法滞在になった後も、難民認定申請を繰り返すなどして日本にとどまり、結婚、出産をしたケースが多いとされる。
 今回の特別許可では、201人の約7割に当たる140人程度に、「定住者」などの在留資格が与えられる方向だ。
(…)
201人の大半は現在、一時的に収容を解く「仮放免」とされている。国民健康保険に加入できず、公立学校には通えるものの、許可を得なければ、居住する都道府県から移動できないなど、多くの制限がある。「定住者」の資格が得られれば、働くことも可能となり、制限は大幅に緩和される。

日本で生まれたが強制送還対象に、在留資格ない子ども140人に異例の「在留特別許可」へ : 読売新聞

としており、不法滞在後も難民申請を繰り返しながら出産した子どもたちに「定住者」などの資格を与えるという話のように読める。そもそもなのだが「不法」滞在というだけあって、滞在許可を得ずに難民申請を繰り返すことで『延命措置』をしながら子どもを産んで「家族として暮らしたい、人道的ではないから引き剥がすな」という圧をかけるのは非常に悪質ではないのか。

難民を助けるのはなぜか

私たちはなぜ難民を受け入れることを強いられているのだろうか。それはやはり「居場所を無くした人をどこかの国で受け入れてあげなければならない」という人道的支援のためである。しかし人を助けるとき、ついて回るのが「かわいそうだから」という理由付けだ。
「かわいそう」という感情は非常に厄介で、もしその難民が騒ぎを起こしたり、窃盗などの犯罪を犯したり、あるいは実はただの難民ではなく不法入国した人であるとわかり「かわいそう」でなくなったとき、私たちは助ける理由を失うのである。上記のような策略的な「延命措置」もそうだ。これを「かわいそう」と思ってもらうことはなかなか難しい。
そしてより厄介なのが難民自身が「かわいそう」という感情に甘んじて自分のやりたいように、現地人のルールや感情を無視した行動をとったときである。

外人局の職員

私の地元は「外人局」と呼ばれる役所があり、滞在許可、就労許可など諸々、外国人の滞在にまつわること全てを扱っている。日本の役所の人は最近は優しい人が多いので、日本だけで暮らしている人はイメージが湧かないだろうが、外人局というのは「この外国人が滞在するにふさわしいか」を見極める役所であり、職員たちは幹並み意地悪だ。
父が私の母の滞在許可をとりに行った時の話。職員は父の目を見て話しかけ、質問をしたので父が答えた。すると職員は言った。「ほら、彼女は〇〇語を話さない。」父は「今あなたは私の目を見て話した」と抵抗したが、「それでも私は彼女に話しかけた」と譲らない。つまり職員は私の母は現地語が話せないため滞在不適格であるとするために、わざと父に目を向け母への質問をしたのである。もちろん結論母は現地で労働する父の配偶者として滞在許可を得るのだが、すんなり降りるものではないということを、外国人として暮らしたことのない日本の方には知っておいてほしい。

ここ最近話題のクルド人問題

私は埼玉県民ではないので、現状がよくわからない。調べるのも気分の悪いニュースが入ってきそうでシャットアウトしている。しかし日本がクルド人にとって本来は適切な移住先でないことをクルド人は知っておくべきだと、正直思っている。
その理由は決して「日本人がクルド人を嫌っているから」ではない。根本的は理由は日本がトルコと非常に友好的な関係にあることにある。トルコはクルド人を排除する立場であり、そのトルコと友好的な日本政府がクルド人を手放しで歓迎できるわけはない。厳しい現実だが、初めから彼ら/彼女らに居場所はなかったのである。

先日埼玉県内でデモがあったようだ。かなりの人数が集まっていたように見える。しかし数の暴力で「大勢いるのだから受け入れるべき」とするのも正しくないと私は思う。
話は逸れるがXで話題の「彼らがなんと叫んだか問題」だが、私には「日本人死ね、日本人死ね、精神病院に行け、レイシスト」と言っているように聞こえる派だ。
中指を立てながら「日本人死ね」は論外なので、もう議論しない。外国人として現地人とうまくやっていく意思がないなら、もっと居心地のいい場所を探していただくしかない。
私が問題視したいのは「精神病院に行け、レイシスト」の部分で、精神科に通っている身として、これはとても失礼に感じる。
まずレイシズムは思想なので精神病院に行っても治らない。そもそもレイシズムでクルド人を受け入れないという話ではないと思う。前述したように「不法入国者は出ていってほしい」という意図のようだから、法治国家の基準に従ってほしいという考えなのではないだろうか。
そして「精神病院に行け、レイシスト」と言うからには「精神病院に行っている人間=頭がおかしい」と言いたいのだろうが、少なくとも私は頭がおかしくなりたくておかしくなったわけではない。精神障害者になりたくてなったわけではない。過去の投稿で語っているが、レイシストによって精神病院行きになったのである。再三投稿しているが、外国人として生きることはどう頑張ってもストレスが伴う。そのストレスをmanageできない限り外国人として現地人とうまくやっていくことは困難なのだ。

私は、外国人しながら「精神病院に行け」と気楽に叫べる元気が、心底羨ましい。

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