むらさん(村田信之)|ONE KAMAISHI 3万人でひとつのまちに

岩手県釜石市に移住して3年目!長崎県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、大学院公共経営…

むらさん(村田信之)|ONE KAMAISHI 3万人でひとつのまちに

岩手県釜石市に移住して3年目!長崎県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、大学院公共経営研究科修了。田原総一朗スタッフ、早稲田大学客員准教授として「たくましい知性を鍛える」(大隈塾)を20年間担当。立教大学兼任講師、京都芸術大学客員教授なども勤めた。リーダーシップのことならお任せ。

最近の記事

犠牲者数にカウントされない死

東日本大震災では、いったい何人の外国人が亡くなったり、行方不明になったんだろうか。 答えは、41人。 1万8400人の犠牲者のなかで、41人は少なくないか? そしてもうひとつ数字がある。 外国人犠牲者は33人。 41人は厚生労働省の発表。 33人は検察庁のもの。 41人の内訳は、 韓国・朝鮮 15(男8 女7) 中国 16(男6 女10) フィリピン 4(女4) 米国 1(女1) その他の国 5(男5) 同じく33人の内訳は、 韓国・朝鮮 13 中国 12 フィリピ

    • ワールドキッチンでつながる地域コミュニティの輪

      釜石に住んで働いている外国の人たちといっしょに、 その国の料理をつくって食べよう! という、ワールドキッチンをやる、というので参加してきた。 企画したのは地域おこし協力隊のターニー。 今月いっぱいで札幌に帰っちゃうんだよね。 これが最後のイベントかな。 ワールドキッチン、料理をつくって食べよう、っていうことで、 女性がたくさん参加するのかな、と思っていたら、 参加者は全員男性。 フィリピンからエルマーとアルマン、ベラルーシのドミトリー、アメリカのスティーブン。 キッチンだ

      • 対話を通して「誰かの体験」が「わたしの体験」に上書きされていく 〜伝承とはなにか

        震災の伝承者になりたい、語り部になりたい、と思って、 「大震災かまいしの伝承者 ステップアップ研修会」を受講した。 そしたら、原爆の被爆者についての講義だ、と。 震災なのに原爆? テーマが「生きられる伝承・継承とはーー原爆体験の伝承・継承の現場から考える」。 講師は小倉康嗣さん(慶應義塾大学文学部教授)。 震災なのに原爆、ってだけで「?」なのに、 さらには「そもそも伝承ってなに?」 から研修はスタートした。 広島の美術系高校生たちの活動を通して考える、 「伝承ってなに?

        • はま留学から卒業へ:東北の地で学び、成長する物語

          大槌高校の「はま留学」で、初めての卒業生を送り出した。 ……、ってnoteを読んでちょっと感動した。 「はま留学」は、全国から入学する生徒を募集し、 普通高校のカリキュラムだけではなく、 学校設定教科の「三陸みらい探求」を3年間学び、 自分で設定した地域課題の解決に向けたプロジェクトを実行しながら、 学びを深める探究活動をやっていく。 海があり山があり川があり、っていうのは日本中どこでも同じだが、 人口減少、超高齢社会、という過疎地域の課題、 それを加速させた東日本大震災

          小さな習慣が運を呼び寄せる

          『運がいい人になるための小さな習慣』 を読んでいる。 著者はサチン・チョードリーさん。 投資家でコンサルタントでカンブリア宮殿にも出てて…… って朝の黙読会で紹介してたら、メンバーが 「あ〜、YouTubeの英語の先生ね!!!」 ということのほうが一発でわかるのか、ということがわかった。 インド生まれのサチン・チョードリーさんは、 小さいころにお父さんの仕事の関係で日本にいて、 23歳のときに再来日する。 今度は働きに。だけどカタコトの日本語での会社勤め。 まったくうまく

          こんなふうに議会で質問しました

          昨日、3月定例会で一般質問した。 釜石市議会の「一般質問」は、 国会でいうと本会議での代表質問と委員会での質問をミックスさせた形式。 壇上での議員の演説、そのあと市長と市職員、教育委員会からの答弁。 そのあと、双方向の質疑応答になる。 質問のようすはこちら 村田信之です。 まず冒頭に、3月11日に打ち上げられた花火「祈りと絆の白菊」へのクラウドファンディングの件について、お詫び申し上げます。 釜石市民のみなさま、石川県のみなさまには大変ご迷惑をおかけしました。大変申し

          え? 

          一瞬見て、東日本大震災だと思った。 能登半島地震での避難者は1万人を切った。 だけど、震災からの復興はまだまだ終わらない。 忘れてはいけない。

          2024年3月11日

                         忘れない。

          チームが役割を果たせた試合

          釜石シーウェイブスが勝った。 九州電力キューデンヴォルテクスに28-11。 ホントにひさしぶりに勝ちゲームで、 寒かったけど気分が良くて、 試合の途中だったけど焼き鳥とカップ酒を買って、 ゴールポスト裏の土手で一杯。 インターンで釜石に来ている大学1年生のひなちゃんは、 「食べながらスポーツ観戦するの初めてです〜」 っていってたけど、スタジアムではそれが日常。 4000人のお客さん、キッチンカーとテントでのグルメエリアの充実、 2019年のワールドカップ以来の盛り上がり。

          津波が来るとは想像したこともなかった

          金曜日土曜日と一人芝居を観た。 金曜日は『釜石の風』(演者 小笠原景子 劇団もしょこむ) 土曜日は『もう一人の私へ』(演者 内沢雅彦 劇団黒テント) 『釜石の風』は照井翠さんのエッセイ、 『もう一人の私へ』は沢村鐵さんの短編小説。 お芝居はジャズバーと喫茶店を会場にして公演。 直ぐ目の前で演者が演じる迫力はたまらない。 といっても、『もう一人の私へ』は一番うしろのほうで立ち見していたが。 満席のお客さんがうんうんうなづく。 そうだったのか。 みんな津波が襲ってくるとは思

          津波が来るとは想像したこともなかった

          役に立つ「苦行」

          一般質問が始まった。 今回の定例会では10人が質問に立つ。 前回が15人だったから大幅減。 新人議員5人中、質問するのはわたしだけ。 もったいないなあ、1年に4回しかチャンスないのに。 とは思うけど、まあ、新人代表として13日の14時ごろにに立つ予定。 初日は4人。 一人1時間で、二人連続して行うから、 2時間もじっとして聞いてないといけない苦行。 議場の椅子は座る高さと座り心地が中途ハンパすぎて、 ずっと座っていると腰の調子がどうにかなってしまう。 苦行、と書いたが、

          最初は夢と根拠のない自信だけ

          でもね、 「釜石から海外へ一歩踏み出すマインドセット」 っていってもね、 「海外ビジネスの勝ち方」 っていってもね、 釜石なんですよ、ここ。東京とか横浜とか大阪とか福岡とかじゃなく。 仙台でも盛岡でもないんですよ。 わ〜、人口が3万人切っちゃった〜。 わ〜、産婦人科がなくなって子どもが産めない街になった〜。 っていってるわけですよ、釜石。 「海外ビジネスの勝ち方」って必要ある? 超ドメスティックなんですけど? ……っても思うわけです。 (昨日の続きですよ、今日は) 講演のマ

          「枠を超える」

          話半分に聞いておこうかなと思っていた。 サチン・チョードリーさんが釜石で講演。 アヤシすぎる〜、うさんくさ〜。 でも、100人の定員に140人が集まった。釜石では異例のこと。 中学生、高校生も20人ほど来ている。 これはちょっと、いつもと違う。 講演の演題は「釜石から海外へ一歩踏み出すマインドセット」。 たしかに、中学生高校生にはぜひぜひ聞いてもらいたいし、 実際に一歩踏み出してもらいたい。 でもなあ……。 疑念は講演のマクラで消し飛んだ。 この日は朝から、東

          【満腹放浪記14】 岩手釜石から全国へ!サンマの味醂干しの虜になる旅

          どうも、釜石の新米移住者、〇〇(依頼者の名前)です!毎日ノートを書きまくっている中年男性、そう、私ですよ。今回は岩手の美味しいネタ、サンマの味醂干しについて書かせていただくことになりました。ついでに、岩手弁とかも交えて、カジュアルに楽しんでいきましょう! 釜石に来てから、何度か友達のがんちゃんとランチ会を開いています。美味しいものを求めて、市内の飲食店をハシゴ。そんな中で、出会ったのがこのサンマの味醂干し。まさかの、口に入れた瞬間に「おおっ!」って声が出るほどのヤツですよ。

          【満腹放浪記14】 岩手釜石から全国へ!サンマの味醂干しの虜になる旅

          大切な人を想う「白菊」

          今年の3月11日、花火が上がる。 「白菊」という名前の花火で、 白一色の尺玉。 3月11日は慰霊の日でもあり、 発災の14時46分を「大切な人を想う時間」、とされている。 日が暮れると、「とうほくのこよみのよぶね」が根浜の海に浮かび。 19時には、その上に「白菊」が花咲く。 1月7日、阪神淡路のみなさんが、能登半島の被災者へのメッセージとして 「ともに」 と送った。 根浜(釜石)からも、同じく「ともに」を小さなライトを並べて描いて灯す。 阪神淡路、岩手三陸、能登半島。

          避難訓練がリアル過ぎた

          昨日、3月3日は昭和の三陸大津波の日だった。 1933(昭和8)年、今年で91年目になる。 釜石では毎年その日かその日の前後で、避難訓練が行われる。 朝8時30分、防災無線が「訓練」であることを前置きして、 地震発生→津波に注意 10分後→大津波注意報、逃げろ 20分後→大津波警報、高いところに急いで逃げろ みたいに段階的に警告を流した。 わたしやご近所さんたちは、高台にあるお寺(仙寿院)に避難した。 このお寺は、避難場所であって避難所ではない。 避難場所は、緊急避難