レイシストをしばき隊が最初に活動したのは在日特権を許さない市民の会の新大久保のデモ後の「お散歩」なのは有名ですが、最初にデモに対するカウンターを行ったのがヘイトスピーチをしないことで知られていた在日特権を許さない市民の会千葉支部であることは忘れてはいけません。
菅野完さんは、八木康洋在特会副会長(当時)の勤務先をバラして、「大変だろうなあ」などと付け加えて、それに触発されて何かやる人間が出てくることを期待するとしか考えられないポストをしていました。その時からとことん自分の手を汚さない人だと私の中では評価が定っています。
「ピースとハイライト」で在特会のデモとカウンターをMVに使った桑田佳祐さんをあれほど持ち上げていたのに、映画「永遠のゼロ」のテーマ曲を担当すると、それまでの称賛を無かったことにして、その後限界ネトウヨに絡まれているときにも無視。しばき界隈には義理人情がありません。
京都朝鮮第一初級学校が勧進橋児童遊園を校庭として利用していたことについて、上瀧浩子弁護士は「市長が挨拶」などと誤魔化していますが、街区公園の利用について定めた都市公園法のどこにもそのような長期間の独占的な利用や私物を公園に放置することを認める条項がないから仕方ないですね。
安田浩一さんが行動界隈の取材に乗り出したとき、荒井禎雄さんは「ホンモノのジャーナリストが関心を持って乗り込んできた、このジャーナリストに桜井誠はどう対応するのか」という趣旨のブログを書いていましたが、荒井禎雄さんの認識としては完全に黒歴史になっているのではないかと危惧しています。
社会運動の中で邪な目的を持つ者やどうしようもなくダメな者が加わるということは避けられず、しばき界隈も行動界隈も同じであったわけですが、ずば抜けてそういう者が幹部や団体のトップに多かったのがしばき界隈でした。それはしばき界隈が自分達の「正義」を疑うことがなかったのが理由と考えます。
「私はしばき隊ではない」「しばき隊は2013年に解散している」確かにそうなんですけれど、彼らしばき界隈が行動界隈を新社会運動も主権回復を目指す会も日本を護る市民の会ま全部「在特会」と呼んでいたことをどのように整理なさっているのか非常に関心があります。
京都の朝鮮学校の裁判で被告の西村斉さんが漫画「残侠実録ヤクザ伝三代目会津小鉄図越利一」を書証として提出してましたが、3羽の雀さんが「漫画?笑」レベルの批判をしたのを覚えています。彼を当時良心的な反差別論者と認める人が多かったわけですが、所詮この程度の人だったのかと思いました。
野間易通さんが、在日特権を許さない市民の会の初代副会長の新井和真さんがヘイトスピーチをしていたなどとデマをツイートしています。野間易通さんは、在日コリアン帰国問題について、桜井誠こと高田誠さんと新井和真さんがかなり激しい論戦をしたことなど知らないのでしょうね。
レイシストをしばき隊がでたらめなのは、彼らが二番目に標的にしたのが在日特権を許さない市民の会千葉支部主催の「定例街宣『日本を汚すバカタレを許さない!』」であることで分かります。在日特権を許さない市民の会千葉支部がヘイトスピーチをしないことは常識ですが、それすら知らなかったのです。
colabo騒動でナニカとか言い出したところでまーた下らんなあこいつらと思っていたら、往年の在特会ら「行動保守」と大差ない嫌がらせをしていて「俺達はブサヨ/パヨクはおろか暴力を振るうネトウヨとも違って冷静で中立で論理的で党派性とも無縁なんだぜハハハ」と言っていたのが懐かしく思える