人気の記事一覧

【百年ニュース】1921(大正10)年11月10日(木) 皇太子裕仁親王が東宮侍従長入江為守ら側近たちと新宿御苑でゴルフ。裕仁親王は渡欧中も現地でラウンドを廻り,帰国後頻繁にゴルフに出かけた。しかし日本が戦時下に入るとゴルフを捨て,戦後も二度とクラブを握ることはなかった。

【百年ニュース】1921(大正10)10月7日(金) 皇太子裕仁親王(20)が華族会館の御帰朝奉祝会に出席。能楽堂で「安宅」を鑑賞後,会員らと親しく歓談。華族会館館長の貴族院議長,徳川家達(58)が長途の欧州訪問からの無事帰朝を祝う言上。万歳三唱で散会。華族会館は現在の霞会館。

【百年ニュース】1921(大正10)11月17日(木) 皇太子裕仁親王が陸軍特別大演習視察で日野に。日野駅からは乗馬で野戦演習場に向かう。午後は八王子で戦況視察。陸軍特別大演習は天皇統監の軍事演習で例年秋に4日間開催された。2個以上の師団が対抗。1892(明治25)から1936(昭和11)まで計34回開催された。

【百年ニュース】1921(大正10)5月18日(水) 皇太子裕仁親王がケンブリッジ大学を訪問。セント・ジョンズ・カレッジで憲法学の権威ジョセフ・ロブソン・タナー教授の英国憲法史の講義を受講。立憲王国で王権の制限,世論と議会の支持が必要なことなどを学ぶ。のちの昭和天皇の君主制理解の基礎となった。

【百年ニュース】1921(大正10)6月22日(水) パリ訪問中の皇太子裕仁親王が市内に出かけ買い物。サンタントワーヌ通り100番地の有名な家具店メルシエ・フレールで絵画を2枚購入。また洋服店では裕仁親王自らネクタイを選択し,また自らフランス語で店員に価格等を尋ねて購入した。

【百年ニュース】1921(大正10)9月2日(金) 欧州歴訪を無事終えた皇太子裕仁親王を乗せた御召艦香取が予定より1日早く東京湾に到着。館山湾内に投錨。陸海を埋め尽くす奉迎者が君が代と万歳で迎える。夜は館山・北条両町民により館山海岸にて奉祝の紅提灯の大行列。皇太子は万歳奉唱のたびに挙手の礼。

【百年ニュース】1921(大正10)7月12日(火) 欧州訪問中の皇太子裕仁親王がローマに到着。ローマ市内テルミニ駅でイタリア皇帝ヴィットリオ・エマヌエーレ三世が出迎える。駅前広場の群衆が歓呼するなか宮廷馬車でクイリナーレ宮殿へと向かった。午餐会のあと午後はパンテオンを見学。夜も宮廷で晩餐会。

【百年ニュース】1921(大正10)6月20日(月) 欧州訪問中の皇太子裕仁親王がベルギーのリエージュ戦跡のロンサン砲台を見学した。リエージュは第一次世界大戦の緒戦における重要な戦い。1914(大正3)年8月3日ドイツはフランスに宣戦布告。独仏国境の要塞を避け,ベルギーに侵攻(シュリーフェン・プラン)。

【百年ニュース】1921(大正10)5月15日(日) 英国訪問中の皇太子裕仁親王が英国首相ロイド・ジョージ(Lloyd George)を訪問。同年に首相別荘となったばかりのチェッカーズへと足を運んだ。玄関の車寄せに続く道を最初に通ったのは皇太子裕仁親王である。当時英国内では日英同盟の廃棄論も出ていたが,表面上は両国は極めて友好的な同盟国であった。

【百年ニュース】1921(大正10)9月4日(日) 皇太子裕仁親王が宮城賢所を礼拝ののち,上野駅より日光に向かう。田母沢御用邸で大正天皇と貞明皇后に帰朝報告。海外巡遊土産として天皇へはステッキを,皇后にはダイヤモンド入り襟飾などを贈進。道中各地で多くの民衆が日章旗とともに奉迎に出て万歳を唱えた。

【百年ニュース】1921(大正10)6月23日(木) フランス訪問中の皇太子裕仁親王がアルザス・ロレーヌ地方の中心都市ストラスブールを訪問。1871普仏戦争でドイツ領となったが,1919第一次世界大戦の結果フランス領に復帰した。裕仁親王も訪問したストラスブール大学には多くの予算が充てられ急速に発展。

【百年ニュース】1921(大正10)3月1日(火) 皇太子裕仁親王の欧州視察出発を祝うため,東京駅などの飾りつけが完了する。高さ63尺(19m)の奉送塔2基が完成。出発当日の3月3日には近隣の府立中学校から1校50名の選抜生徒,小学校からは各校2名の選抜児童が東京駅前から芝増上寺山門まで整列し奉送予定。

【百年ニュース】1921(大正10)6月28日(火) 下田歌子が原敬首相を訪問。皇太子裕仁親王の欧州訪問に反対していた母親の貞明皇后は,今や訪問の成功を見て大変満足していると原に伝えた。原はこの時期元老山県有朋だけではなく,皇室の中心的存在の貞明皇后の信頼をも勝ち取った。

【百年ニュース】1921(大正10)7月7日(木) 欧州訪問中の皇太子裕仁親王の庶民的姿を伝える報道を受け,帰国後も同様に自由なスタイルで国民と接する方針との宮内省談話。式部次長の伊藤博邦より。背広を着て電車に乗り銀座で買い物をする位が良い。大正デモクラシーの一側面。

+9

【百年ニュース】1921(大正10)3月6日(日) 渡欧途上の皇太子裕仁親王が沖縄に上陸。与那原港から軽便鉄道で那覇に向かい首里を訪れ,尚典侯爵邸で中学校生徒の演武見学。半日の滞在であった。昭和天皇は戦後沖縄訪問を強く希望し続けたが果せず,皇太子時代のこの日が生涯唯一の沖縄訪問となった。

【百年ニュース】1920(大正9)4月29日(木)裕仁皇太子誕辰の祝宴(満19歳)。昭和期以降は天皇誕生日→昭和の日として祝日となった。山県有朋枢密院議長、原敬首相、波多野敬直宮内大臣ら出席。山県は前年スペイン風邪(インフルエンザ)で九死に一生を得たが、この頃までに体調回復し東京滞在が増える。

【百年ニュース】1921(大正10)2月11日(金) 紀元節に3,000名の右翼活動家が明治神宮に集結,「東宮殿下の御婚儀を速やかならしむること」「東宮御外遊延期のこと」を祈願。黒龍会の内田良平や病身の杉浦重剛も姿を見せた。内田は五尺五寸の太刀献上。昨日の婚約続行報道により大きな混乱は起きなかった。

+3

【百年ニュース】1920(大正9)4月14日(水)「閣議(官邸)、内田外相の談に、本日皇太子殿下が陛下に代わらせられ英国大使始め三ヵ国の公使に謁見を賜い国書を御受理ありたるが、御態度ならびにお言葉等実に立派にて宮内官一同と共に実に感嘆せりと云えり(原敬日記)」

+3

【百年ニュース】1920(大正9)5月9日(日)「午前10時御出門、新宿御苑に行啓され、ゴルフ競技を行われる。午後3時45分還啓される。この頃より皇太子はゴルフへの興味を強められ、御学問所の休憩時や放課後にもしばしば練習を行われる(昭和天皇実録第二 東宮御学問所時代)」

+3

【百年ニュース】1921(大正10)2月27日(日) 皇太子裕仁親王欧州訪問の御召艦「香取」が横浜に入港。指揮官は小栗孝三郎第三艦隊司令長官。同盟国である英国との友誼を示すため御召艦は国産の主力戦艦ではなく,英国製の香取を選択。3月3日横浜出航,9月3日帰国で欧州を半年歴訪。