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【百年ニュース】1920(大正9)4月29日(木)裕仁皇太子誕辰の祝宴(満19歳)。昭和期以降は天皇誕生日→昭和の日として祝日となった。山県有朋枢密院議長、原敬首相、波多野敬直宮内大臣ら出席。山県は前年スペイン風邪(インフルエンザ)で九死に一生を得たが、この頃までに体調回復し東京滞在が増える。

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山県有朋は1919(大正8)2月1日夜、小田原邸古希庵にて発熱し体調を崩す。5日に肺炎を発症、11日には39.7度の高熱に加え、脈拍が120を超え重態に陥った。流行性感冒(スペイン風邪)であった。12日より家族や見舞客が続々小田原に集まる。命は取り留めたが、翌1920年1月にも再び感冒を罹患し心配された。

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