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大磯城山公園で「もみじのライトアップ2023」が開催されます

7か月前

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【百年ニュース】1921(大正10)3月21日(月) 田中義一陸相が小田原古稀庵の山県有朋を訪問。原敬首相と田中陸相が山県を支援することを伝えた。当時山県は宮中某重大事件により小田原で自ら謹慎し窮地に陥っていたが,原の支援メッセージで大いに勇気づけられ,また原を高く評価し,また頼るようになる。

【百年ニュース】1920(大正9)4月29日(木)裕仁皇太子誕辰の祝宴(満19歳)。昭和期以降は天皇誕生日→昭和の日として祝日となった。山県有朋枢密院議長、原敬首相、波多野敬直宮内大臣ら出席。山県は前年スペイン風邪(インフルエンザ)で九死に一生を得たが、この頃までに体調回復し東京滞在が増える。

【百年ニュース】1921(大正10)4月21日(木) 山県有朋の健康状態が良好で,葡萄酒を飲み食欲も旺盛と報じられる。「平生から明晰な頭脳が一層明晰」と。しかし実際には宮中某重大事件で打撃を受けた山県は小田原古稀庵で謹慎し,恒例の京都無鄰菴訪問も断念。同年秋から体調を崩し翌年2月1日に亡くなった。

【百年ニュース】1921(大正10)2月13日(日) 田中陸相が小田原古稀庵の山県有朋を訪問。山県は栄典拝辞のうえ謹慎する意向。田中は帰京後原敬首相に内容報告。原は宮中某重大事件の善後策を検討,山県に代わり宮中に影響力を及ぼすようになる。まずは3月3日の皇太子裕仁親王の訪欧無事出発が目下の課題。

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【百年ニュース】1920(大正9)8月9日(月)原敬首相が小田原古稀庵の山県有朋を訪問。第43議会の次第,第一次世界大戦後の昇爵案を説明,平民宰相にこだわる原自身は今回も辞退。山県は原政権の長期化を希望。裕仁皇太子洋行と摂政設置方針を確認。山県は左翼思想過激化を心配。

【百年ニュース】1920(大正9)9月19日(日) 田中義一陸軍大臣が小田原古稀庵に山県有朋を訪問。田中が辞任を思い止まる代わりに自由に行動する、すなわち参謀本部(上原勇作参謀総長)に対する陸軍省の優位を認めるよう山県から言質を取る。原敬首相と田中の想定通りの展開に。マスコミは相変わらず会談内容知らず。