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【百年ニュース】1921(大正10)2月13日(日) 田中陸相が小田原古稀庵の山県有朋を訪問。山県は栄典拝辞のうえ謹慎する意向。田中は帰京後原敬首相に内容報告。原は宮中某重大事件の善後策を検討,山県に代わり宮中に影響力を及ぼすようになる。まずは3月3日の皇太子裕仁親王の訪欧無事出発が目下の課題。

田中(義一*)陸相小田原より帰京来訪,山縣(有朋*)は官位爵すべて辞するの決心を翻さざるにより,やむを得ずいよいよ決行の場合にはその前に申し越しあることを内約せりと言えり。

また山縣は原(敬*)は居座るかと言うにつき,田中は他日は知らず今日は断固として陰謀に動かさるる如きことなかるべしと言えりと。

山縣の内話に,中村(雄次郎*)宮相辞職につき侍従長来談ありたるも,意見を申し出ることは断りたり,松方来訪のはず,辞任を言うならばそのことは御随意にて可なりと言うつもりなり。

1日17日中村宮相山縣を訪問せしとき,久邇宮よりは御辞退なき由なることを山縣に告げたるにより,枢密院に御諮詢となれば聖旨を伺わざるを得ず,このことを甚だしく苦慮したり,1月31日平田東助(宮内省御用掛,山縣側近*)山縣を訪問して,この問題はにわかに決定せらるる如きことを避け,徐々に解決せらること然るべしと言いたりと(平田がかくして下岡忠治(衆議院議員,野党憲政会幹部*)に山縣も御遂行の内意なりと告げたるものの如し)。

2月9日,中村宮相山縣を訪問して,この問題速やかに解決なければついに累の皇室に及ぶこともあらん形勢にて,奥(繁三郎*)衆議院議長よりも内談あり,政府においても速やかに解決を望むにつき,自分は責任を持って御遂行と決定し,而して同時に辞職することとなせりと山県に告げたる趣なりと言う。

山縣は皇室および国家のため痛嘆しおれりと物語りたり。

原奎一郎編『原敬日記 第五巻 首相時代』福村出版,1981年,350頁 〔*は引用者註〕

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下岡忠治


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