北村紗衣の、卑怯な「ご都合主義」を立証。 : ツノ出せ、ヤリ出せ、シッポ出せ。
やっと、北村紗衣が、私の記事を「読んでいるという事実」を示す、ハッキリした反応を示してくれた。
要は、2度にわたる、デタラメな「削除要請の通報」を、公式に認めた、ということだ。「削除」だけでは、誤魔化しきれなかったからある。
・「北村紗衣というインフルエンサーの人がアメリカン・ニューシネマについてメチャクチャなことを書いていたのでそのウソを暴くためのニューシネマとはなんじゃろな解説記事」
のコメント欄に書き込んだ、私のコメントである、
に対して、同じコメント欄へ書き込んだのは、次のようなコメントだった。
つまり、私の上のコメントの「ごく一部」である、
だけを「切取り」、さらにこれを恣意的に「改変」して、
として、「note」管理者に通報したのである。
私の「原文」を読めば、私が言っているのは「北村紗衣の本を買って読み、こと細かに批判してやろうかな」という意味だというのは明白で、それをそのまま「通報」したところで、さすがに「note」の管理者が「削除」に応じるはずがない。
そこで北村紗衣は、「故意」に、私が「北村の本を物理的に切り刻む、器物損壊を予告して脅迫」した、かのように「書き換えて」通報したのである。
要は、自覚的に「事実無根の誹謗中傷による誣告」をしたのである。
したがって、北村紗衣とは、こういう「インチキ」を「故意」にやる人物だ、ということが、これで証明されたわけだ。
○ ○ ○
ちなみに、私がこれまで「削除された」と書いてきた、拙稿、
(1)北村紗衣という人:「男みたいな女」と言う場合の「女」とは、フェミニズムが言うところの「女」なのか?
は、正確には今のところ、「note」管理者によって「閲覧一時停止」の状態にされたまま、である。
私がそうしたのではなく、「管理者」が、北村紗衣からの「通報」によってそうしたのだが、この措置について、管理者から私への連絡が無かったので、北村紗衣の「通報」だけは知っていた私は、それで、「削除されたのだな」と思い、
(2)私の記事「北村紗衣という人」(2024年8月30日付)が、通報削除されました。
を書いて、アップしたのだ。
ちなみに、この記事をアップしたのは、見てもらえばお分かりのとおり、
だが、先の記事(1)「北村紗衣という人」が、「削除」ではなく、「閲覧一時停止」措置中だというのを知ったのは、その3日後で、そうと知った私は、(2)の記事のコメント欄で、そのことを「報告」している。
このような、ハッキリと説明しておいたのだ。
これを、北村紗衣は、故意か過失か、いつものように「無視」している。
なお、ここで言及されている。私のこの時の「note」管理者への「問い合わせと意思表示」については、「note」側から「受け付けました。回答は後日に」という趣旨の「定型の自動返信メール」は返ってきているものの、いまだ肝心の回答自体は受け取っていない。
よって、私としては、実質的には「記事を削除されたまま」だということである。
もちろん、「note」管理者としては、「武蔵大学教授」という、名のあるクレーマーたる北村紗衣から、このような「通報」があって、「面倒なことになったな」と思っている、というのは容易に察せられるところだ。
つまり、「削除」してもしなくても、どっちにしろ、非難される蓋然性が高い状況だからだ。
で、そうした事情を察し得ている私は、管理者に「考える時間的猶予」を与えている、ということである。
「北村紗衣のことを、よく調べてから、後悔の無いよう判断なさい」と。
なにしろ、記事「北村紗衣という人」のログは採ってあるのだから、まったく同じものをアップすることなど容易なのだが、それでは管理者のメンツも立つまいと考えたのだ。
それに、どっちにしろ、北村紗衣の「通報」で、「閲覧不能」にされた事実は変わらない、からである。
ちなみに、冒頭で「画像」を示したとおり、私の確認できた範囲で、北村紗衣は、今回、次のようなツイートをしている。
すでに説明済みのとおり、私は「X」のアカウントを凍結されており、要は、アカウントを持たない者として、そのごく一部しか閲覧できないので、上のような中途半端な記録しか採れないのだが、要は、北村紗衣がこのようなツイートを現にしている、というその事実を示せれば十分。
で、(B)についての事情はすでに説明したとおりから、次は(A)の、
について、説明反論しておこう。
私が『気持ち悪い』とのことだが、それはそっくりそのまま、お返しさせていただく。
「気持ち悪い」のは、お前、北村紗衣の方だ。
なぜなら、私のコメントの載った「須藤にわか氏の記事」の削除要請の「通報」をし、それに対して、直接「議論」しようと持ちかけた私を無視し、そのため仕方なく、その事実を書いた私の記事「北村紗衣という人」まで「削除要請の通報」をしたのは、北村紗衣・武蔵大教授その人だからである。
つまり、こちらとしては「二度の通報」について、当人である北村紗衣の口から、何の説明も無いままだから、「気持ち悪い」まま、なのだ。
どういう理屈があれば、私の、
という言葉を、
と書き換えて、「誣告」することなど出来るのか、その説明がぜんぜん無いから、私はずっと「気持ち悪い」ままなのである。
仮にも北村紗衣は、「武蔵大学の教授」である「教育者」であり、みずから「批評家」を名乗る人物だというのに、どうしたら、こんな「嘘っぱち」の「誹謗中傷」ばかりが書けるのか?
それは無論、北村紗衣が「確信犯的な、嘘つき」だからだ。
一一今回のツイート(A)(B)も、そのことをハッキリと証明している。
北村紗衣はここで、私に「フォロー」されたのが「気持ち悪い」と書いているだけで、「そもそもの、自らの嘘」については、まったく触れていないのだが、これが北村紗衣の「いつもの手口」なのだ。
要は、自分に「不都合な事実」については、いっさい「沈黙無視」して(あるいは「削除させて」)、批判者を「気持ち悪い」だのどうのと「女の子ぶって」、主観的に誹謗中傷する「お気持ち」を書くだけ。
「単純幼稚な悪口」で、批判者を貶めることしか、北村紗衣の頭にはないのである。
そもそも、私の批判が「誹謗中傷」なのであれば、北村紗衣は私を「スラップ裁判」にかけているだろう。
それで、200万円以上も儲けて、味をしめた成功体験があるのだから。
・武蔵大・北村紗衣教授を「ツイッターで名誉毀損」男性に220万円の支払い命令 東京地裁
ちなみに、私が「気持ち悪い」北村紗衣を、嫌々「フォロー」したのは、昨夜の「5秒間ほど」のことである。
衆知のとおり、私は、
(2)私の記事「北村紗衣という人」(2024年8月30日付)が、通報削除されました。
の後にも、
(3)北村紗衣に捧ぐ 「ミソジニー ファンネル集めて キャッキャしたい (五七五)」
を書いてアップし、さらに昨日は、
を書いてアップしているのだが、私が確認できる範囲の「X」では、北村紗衣は、これらの記事を無視していた。
そこで私は、北村紗衣がこれらを「ちゃんと読んでいるのかいないのかを確認するため」に、嫌々、汚いものにでも触れるように(と書いては、カタツムリに失礼だが、私は軟体動物が苦手なのだ)「フォロワー」ボタンを押して、約5秒後には「フォロー」を解除したのだ。そのままでは「気持ち悪い」から。
したがって、北村紗衣が上のツイートをした頃には、すでにフォローはなされていない、ということである。これが「事実」。
そしてこれが、本稿のサブタイトル「ツノ出せ、ヤリ出せ、シッポ出せ。」の意味だ。
要は、読んでいるのなら「反応しろよ」と「挑発」したのである。
ともあれ、こうすれば、北村紗衣へフォロー通知だけは行くから、それに反応するかも知れない、と期待したのである。
ちなみに、北村紗衣は、
と、まるで自分が「男に追い回されるほどの美女」でもあるかのような、勘違い野郎らしい「自意識過剰」な自己アピールをしているが、そもそも「北村紗衣のnoteアカウント」は、フォローに値する中身など、これっぽっちも無いシロモノなのだ。
というのも、須藤にわか氏の記事を「通報するためだけに、わざわざ作ったアカウント」なのだから、いまだに「フォロー1、フォロワー1」で「記事はゼロ」の、「からっぽなアカウント」で、当然、こんなクズアカウントは、フォローに値しないのである。
だからこそ、5万人もいるはずの「北村紗衣ファン」でさえ、このアカウントをフォローしていないのだ。
もっとも、北村紗衣自身が故意に、自分の「note」アカウントはフォローするな、とそう手下どもに指図したから、ずっと「フォロー1」なのかも知れない。
なぜなら、北村紗衣の「note」アカウントをフォローして「取り巻きアカウントだと確認されては、あとあと損だから」である。
つまり、「北村紗衣関係者」だとバレると、「ファンネル・オフェンス」に使いにくいからだ(でないと、不自然に少なすぎる)。
・「ファンネル・オフェンスの諸問題(前回の記事を一部訂正します)」(※ 以下「諸問題」と略記する)
そんなわけで、私が一瞬だけフォローしたのは、もっぱら、
「北村紗衣よ、知らん顔したってダメだぞ。読んでるなら読んでるで、みんなにわかるように反応しろよ」
という意味合いのものであった。そういう趣旨の、シグナルを送ったのである。
で、私がどうして、昨夜になって、こんなことを思いついたのかというと、北村紗衣は、その前に、次のようなツイートをしていたのを見かけたからだ。
つまり、これはたぶん、私の記事、
を、さっそく読んで、それが頭にあったからであろう。
だが、そう「察し」はついたのだが、そうならそうとハッキリさせないと「気持ち悪い」ので、「バッくれ・さえぼう」を「フォロー」ボタンで一瞬だけ嫌々ながら突いてみたら、「ちゃんと、すぐに読んでますよ」と言わんばかりに、上のような「自意識過剰なアピール」のかたちで、返事を返してきた。
「ツノを出した」というわけである。
よって、このことからわかるのは、
ということだ。
これが、反言論人である「北村紗衣の正体」であり、北村のツイートはすべて、『蓋句智女の呟』だったということになるのだ。
北村紗衣は「二口女」に憑かれた人なのである。可哀想に。
そのことが、今回の(A)(B)2つのツイートによって、証明された。
もちろん、こうしたことは、「読めない読者」である「北村紗衣教の信者」には理解できないだろうが、世間一般には理解してもらえよう。時間はかかっても、このような事実は浸透していく。
北村紗衣・武蔵大教授は、他人の意見を「切取り改変して紹介」し、それに「気持ち悪い」といった、悪意にもとづく印象論の「レッテル」を貼り付けることで、「論理的に物事が考えられない人たち」を「味方につけようとしているだけ」なのだ。
しかし今回のことで、北村紗衣が、私の記事を「ぜんぶ、すぐに読んでいる」というのが、ほぼ証明された。
ということは、北村紗衣は、これまではずっと、「読んでいながら、あえて無視していた」のであり、それは端的に言って、私の批判に対して、「反論できなかった」からだと言えよう
だが、もともと「堪え性」のない北村紗衣は、「フォロー」ボタンで突かれて、カタツムリのように「ツノを出した」ということなのである。
つまり、これからも、
ということだ。
北村紗衣は、私の「批判」をぜんぶ読んで、その内容をすべて承知していながら、反論できないからこそ、無視黙殺していた、のである。
要するにこれは、「私の、北村紗衣批判は正しい」というのが証明がなされた、ということだ。
「そうではない」と反論できると言うのであれば、何の説明もない「X」の短文で誤魔化すのではなく、須藤にわか氏に反論した時のように、ブログで反論文を書いて見せてはどうかな、北村紗衣教授?
・須藤にわかさんの私に対する反論記事が、映画史的に非常におかしい件について
でも、それが出来るくらいなら、これまでだって、私から「逃げ回って」ばかりはいないよね?
しかし、論戦を避けて逃げ回るだけなのなら、そろそろ、「批評家」を名乗るの、辞めたらどうです?
批判者に対し、レッテルを貼って「印象捜査」で貶め、その「誹謗中傷」に、「取り巻き」による「ファンネル・オフェンス」を動員することで、信憑性を演出する、という「ペテン」。
何度も指摘されているとおり、北村紗衣は「ファンネル・オフェンス」を自覚的な利用しており、それを止めるつもりなど、毛ほどもない。
なぜなら、ご当人は、論理的な議論については、完全に「無能」だからである。
まともに議論すれば「負け」だと自覚しているから、「卑怯な手」を使うことも辞さず、むしろ、自覚的にそれをやっているのだ。
一一北村紗衣とは、そういう「ヒト個体」なのである。
そんなわけで、北村紗衣さん、
あなたは「研究」だけしてれば良いんですよ。シェイクスピアや映画を「研究」しているのは事実だし、その「研究結果の質が低くても、研究者であることは間違いない」のだから。
テレビコマーシャルではないけど、「嘘は良くない」。
ましてあなたは、「武蔵大学の生え抜きの大学教授」であり、それでも、教育者の端くれ、ではあるのだから。
(2024年9月22日)
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