鳴田麻未

ライター・編集者・プランナー。ex「音楽ナタリー」編集記者、渋谷ライブハウス店員。実績…

鳴田麻未

ライター・編集者・プランナー。ex「音楽ナタリー」編集記者、渋谷ライブハウス店員。実績は名前でググっていただくかブックのエントリーをご覧ください。2019年からエンタテインメントの修行として海外へ渡り、カナダ、アメリカ、ヨーロッパを巡った後コロナ禍のため帰国しました。

マガジン

  • 1955年生まれの父・稔が半生を振り返って綴り、娘の私が編集して公開していくエッセイです。執筆時期は2013年、57歳でした。

  • 鳴田麻未のブック

    自己紹介的なエントリーです。

記事一覧

固定された記事

鳴田麻未のブック

■プロフィール鳴田 麻未(なるた まみ) 1990年東京都出身。都立工芸高校グラフィックアーツ科を卒業後、2009年に株式会社ナターシャ入社。2016年まで7年半にわたりポップ…

鳴田麻未
4年前
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稔 第10回|電車で足を組むことについて

このマガジン「稔」は、父・稔が退職時に半生を振り返ったエッセイです。執筆時期は2013年、57歳。 これまでの稔 電車の中で足を組んでいる人がいる。すごく気になる。1人…

鳴田麻未
4年前
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稔 第9回|食べ物について

このマガジン「稔」は、父・稔が退職時に半生を振り返ったエッセイです。執筆時期は2013年、57歳。 <バックナンバー> ・第1回|M君とソフトボール ・第2回|30年前の帰り…

鳴田麻未
4年前
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稔 第8回|仕事と達成感

このマガジン「稔」は、父・稔が退職時に半生を振り返ったエッセイです。執筆時期は2013年、57歳。 <バックナンバー> ・第1回|M君とソフトボール ・第2回|30年前の帰り…

鳴田麻未
4年前
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稔 第7回|家のこと

このマガジン「稔」は、1955年生まれの父・稔が半生を振り返るエッセイです。執筆時期は2013年、57歳。 <バックナンバー> ・第1回|M君とソフトボール ・第2回|30年前の…

鳴田麻未
4年前
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稔 第6回|ピンボール

中学生の頃、ピンボールが好きだった。別名フリッパーという。中学校の同級生の足立区梅島のS君の影響である。梅島が特にピンボールが盛んということではないが。ピンボー…

鳴田麻未
4年前
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稔 第5回|エロ映画館

昭和39年頃、私は9歳の時のこと。従兄弟のY君が泊まりに来た。Y君は私より2歳年上、兄より1歳年下である。3人とも嬉しくてしょうがない。母から買い物を頼まれても…

鳴田麻未
4年前
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稔 第4回|スキーと連れ合いの話

昭和55年、25歳の時に建築技術職として私は区役所に入区した。所属は建築課。建築技術職員の区役所でのポストは、建築課、営繕課、教育委員会の施設担当などである。そのよ…

鳴田麻未
4年前
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稔 第3回|蒲田のK子さん

高校時代は恋愛と呼べるような付き合いはなかった。男子高だったので、学校外に相手を求めて友達に女の子を紹介してもらったりしたが、その後の発展はなかった。周囲の友達…

鳴田麻未
4年前
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Re: M君とソフトボール

学年内でもイケてる存在のM君に憧れと羨望を持ってたんだなあ、稔さん。あとこの「稔」全編に言えることだけど、忘れた頃にちょいちょい自慢というか自身のエクスキューズ…

鳴田麻未
4年前
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自担が結婚した日

※これは2018年3月17日に書いた文章です。自担が結婚したらその時の気持ち行動を温いうちにしたためようと決めてて書き残していました。蒸し返して微妙な気持ちになる方が…

鳴田麻未
4年前
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稔 第2回|30年前の借りは返したぜ。

中学校は日大系の私立に行った。兄が通っていたというのも理由だが、私には小学校の時に今一歩?届かなかった、ヒーローになりたいという願望があったので親に言った。 「…

鳴田麻未
4年前
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稔 第1回|M君とソフトボール

私が生まれたのは、東京の墨田区向島という所である。 南に行けば、あの世界の王さんを輩出した本所、錦糸町地区。今ではスカイツリーで一躍注目を浴びている押上・業平地…

鳴田麻未
4年前
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思い起こしnoteはじめます

28年間、生まれ育ち働いた東京を出て、“キャリアを豊かにするエンタテインメントの修行”という目的で海外で暮らすことにした。 こう宣言して、最初の拠点・カナダのトロ…

鳴田麻未
4年前
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海外に移住します

海外にしばらく居住します! 目的はエンタテインメントの修行です。エンタメが発展してる都市に何年かかけて何カ国か住むつもりで、まずは6月にトロントに発ち、アメリカ…

鳴田麻未
4年前
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鳴田麻未のブック

鳴田麻未のブック

■プロフィール鳴田 麻未(なるた まみ)
1990年東京都出身。都立工芸高校グラフィックアーツ科を卒業後、2009年に株式会社ナターシャ入社。2016年まで7年半にわたりポップカルチャーサイト「音楽ナタリー」編集記者として勤める。2009〜2012年にライブハウス「shibuya PLUG」スタッフも兼務。2017年に独立し、ライター、編集者、プランナー、ラジオパーソナリティとして活動中。2017

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稔 第10回|電車で足を組むことについて

稔 第10回|電車で足を組むことについて

このマガジン「稔」は、父・稔が退職時に半生を振り返ったエッセイです。執筆時期は2013年、57歳。
これまでの稔

電車の中で足を組んでいる人がいる。すごく気になる。1人おきぐらいに座っているようなガラガラ状態なら、まだ許せる。隣に座って足を組まれると、一言言ってやろうか、組んだ足が私のズボンに触ったらどうしてくれるのか、いや、むしろズボンに触ってから注意したほうが説得力があるのではないかと悩み、

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稔 第9回|食べ物について

稔 第9回|食べ物について

このマガジン「稔」は、父・稔が退職時に半生を振り返ったエッセイです。執筆時期は2013年、57歳。
<バックナンバー>
・第1回|M君とソフトボール
・第2回|30年前の帰りは返したぜ。
・第3回|蒲田のK子さん
・第4回|エロ映画館
・第5回|スキーと連れ合いの話
・第6回|ピンボール
・第7回|家のこと
・第8回|仕事と達成感

これまでの半生の中で、最大の好物は「たまご焼き」である。昭和30

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稔 第8回|仕事と達成感

稔 第8回|仕事と達成感

このマガジン「稔」は、父・稔が退職時に半生を振り返ったエッセイです。執筆時期は2013年、57歳。
<バックナンバー>
・第1回|M君とソフトボール
・第2回|30年前の帰りは返したぜ。
・第3回|蒲田のK子さん
・第4回|エロ映画館
・第5回|スキーと連れ合いの話
・第6回|ピンボール
・第7回|家のこと

平成25年10月13日の産経新聞の朝刊の朝の詩に「忙しいって、心をなくすことだよ」という

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稔 第7回|家のこと

稔 第7回|家のこと

このマガジン「稔」は、1955年生まれの父・稔が半生を振り返るエッセイです。執筆時期は2013年、57歳。
<バックナンバー>
・第1回|M君とソフトボール
・第2回|30年前の帰りは返したぜ。
・第3回|蒲田のK子さん
・第4回|エロ映画館
・第5回|スキーと連れ合いの話
・第6回|ピンボール

このネタは地元・足立区新田の話題が多くなり、内輪話になることをご容赦願いたい。昭和58年、私27歳、

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稔 第6回|ピンボール

稔 第6回|ピンボール

中学生の頃、ピンボールが好きだった。別名フリッパーという。中学校の同級生の足立区梅島のS君の影響である。梅島が特にピンボールが盛んということではないが。ピンボールはコインゲームで、ボーリング場やゲームセンターに設置されていた。右下から打ち出された金属球が盤面を転がり、プレーヤーは盤面下部はフリッパーと呼ばれるバットのようなもので球を打ち返す。球が最下部に落ちたらボールデッド。球があちこちに当たった

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稔 第5回|エロ映画館

稔 第5回|エロ映画館

昭和39年頃、私は9歳の時のこと。従兄弟のY君が泊まりに来た。Y君は私より2歳年上、兄より1歳年下である。3人とも嬉しくてしょうがない。母から買い物を頼まれても、オレが行く、ボクが行くと喧嘩になってしまい、大した買い物ではないのに結局3人で行った。買い物は曳船にあるスーパーマーケットに行くのだが、その道中にエロ映画館があった。

大きな看板には、和服の裾が乱れて、太ももがあらわになった色っぽい女性

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稔 第4回|スキーと連れ合いの話

稔 第4回|スキーと連れ合いの話

昭和55年、25歳の時に建築技術職として私は区役所に入区した。所属は建築課。建築技術職員の区役所でのポストは、建築課、営繕課、教育委員会の施設担当などである。そのような職場は圧倒的に男性が多い。最近では建築や土木の分野へも女性がどんどん進出しているが。男性ばかりの職場で親睦といえば、スキーと野球が盛んな時代だった。同僚との親睦という名目ながら、職場の伝統や封建的な先輩後輩の関係もあり、表向きは強制

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稔 第3回|蒲田のK子さん

稔 第3回|蒲田のK子さん

高校時代は恋愛と呼べるような付き合いはなかった。男子高だったので、学校外に相手を求めて友達に女の子を紹介してもらったりしたが、その後の発展はなかった。周囲の友達が自信満々に見えて自己嫌悪になったり、実際知り合ったあとのプロセスを想像することもなく実行力に欠け、願望として「相手がいたらいいなあ」という程度の気持ちしかなかったのだろう。

転機は大学に入ってすぐに来た。ディスコで軟派した女性となりゆき

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Re: M君とソフトボール

学年内でもイケてる存在のM君に憧れと羨望を持ってたんだなあ、稔さん。あとこの「稔」全編に言えることだけど、忘れた頃にちょいちょい自慢というか自身のエクスキューズが入ってくるところが、らしい。稔さんはええかっこしいである。外ヅラがよく、実際スポーツも勉強も、なんでもやれば中の上くらいを出せたのだと思う。

「ぼくの行くところへ~~~ついておいでよ~~~。夜空にはあんなに星が光る~~〜」
「ショック(

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自担が結婚した日

自担が結婚した日

※これは2018年3月17日に書いた文章です。自担が結婚したらその時の気持ち行動を温いうちにしたためようと決めてて書き残していました。蒸し返して微妙な気持ちになる方がいたら申し訳ないですが、個人的な記録として。

3月16日11:00、目覚めてiPhone手に取ったら、一番親しいジャニオタからのLINE。

「えっ」

この文面を見た瞬間に「剛くん結婚したのか」と直感で思った。そしたら涙がポロッと

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稔 第2回|30年前の借りは返したぜ。

稔 第2回|30年前の借りは返したぜ。

中学校は日大系の私立に行った。兄が通っていたというのも理由だが、私には小学校の時に今一歩?届かなかった、ヒーローになりたいという願望があったので親に言った。

「自分のことを周囲が知らない世界(学校)に飛び込みたい」

しかし、自分のことを周囲が知らない所へ行ったからといっていきなりヒーローになれる訳ではない。自分から私立の学校を望んで行ったのだが、新しい環境や友達になじめなかった。今思えば、地元

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稔 第1回|M君とソフトボール

稔 第1回|M君とソフトボール

私が生まれたのは、東京の墨田区向島という所である。

南に行けば、あの世界の王さんを輩出した本所、錦糸町地区。今ではスカイツリーで一躍注目を浴びている押上・業平地区も歩いて10分ほどの距離だ。西に行けば隅田公園、さらに橋を渡れば台東区浅草。浅草にはデパートの松屋があり、東部電車の浅草駅は松屋の2階部分であった。今では駅ビルなど珍しいものではないが、当時、隅田川を渡った電車が厳かに松屋ビルに吸い込ま

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思い起こしnoteはじめます

思い起こしnoteはじめます

28年間、生まれ育ち働いた東京を出て、“キャリアを豊かにするエンタテインメントの修行”という目的で海外で暮らすことにした。

こう宣言して、最初の拠点・カナダのトロントに来て4カ月が経とうとしている。やっと落ち着いてきたと言いたいところだけど、月に1、2回は旅行でよその都市に行っていて10日以上トロントにいない月もあり、全然落ち着いてもいない。でも人間は忘れていくものだから、できる範囲で備忘録を付

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海外に移住します

海外にしばらく居住します!

目的はエンタテインメントの修行です。エンタメが発展してる都市に何年かかけて何カ国か住むつもりで、まずは6月にトロントに発ち、アメリカ・カナダのイベントやライブに行きつつ、その後ヨーロッパ(今のところベルリンとアムステルダム)にもアジア(今のところソウル)にも、ゆくゆくは日本の地方(今のry福岡)にも住んでみたいと今は思ってます。ただ、面白い人や会社と出会って予定を変え

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