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1955年生まれの父・稔が半生を振り返って綴り、娘の私が編集して公開していくエッセイです。執筆時期は2013年、57歳でした。
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記事一覧

稔 第10回|電車で足を組むことについて

このマガジン「稔」は、父・稔が退職時に半生を振り返ったエッセイです。執筆時期は2013年、57…

鳴田麻未
4年前
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稔 第9回|食べ物について

このマガジン「稔」は、父・稔が退職時に半生を振り返ったエッセイです。執筆時期は2013年、57…

鳴田麻未
4年前
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稔 第8回|仕事と達成感

このマガジン「稔」は、父・稔が退職時に半生を振り返ったエッセイです。執筆時期は2013年、57…

鳴田麻未
4年前
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稔 第7回|家のこと

このマガジン「稔」は、1955年生まれの父・稔が半生を振り返るエッセイです。執筆時期は2013年…

鳴田麻未
4年前
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稔 第6回|ピンボール

中学生の頃、ピンボールが好きだった。別名フリッパーという。中学校の同級生の足立区梅島のS…

鳴田麻未
4年前
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稔 第5回|エロ映画館

昭和39年頃、私は9歳の時のこと。従兄弟のY君が泊まりに来た。Y君は私より2歳年上、兄よ…

鳴田麻未
4年前
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稔 第4回|スキーと連れ合いの話

昭和55年、25歳の時に建築技術職として私は区役所に入区した。所属は建築課。建築技術職員の区役所でのポストは、建築課、営繕課、教育委員会の施設担当などである。そのような職場は圧倒的に男性が多い。最近では建築や土木の分野へも女性がどんどん進出しているが。男性ばかりの職場で親睦といえば、スキーと野球が盛んな時代だった。同僚との親睦という名目ながら、職場の伝統や封建的な先輩後輩の関係もあり、表向きは強制ではないが、参加しないと「あいつは……」という声にもなりかねない。入区した時の親

稔 第3回|蒲田のK子さん

高校時代は恋愛と呼べるような付き合いはなかった。男子高だったので、学校外に相手を求めて友…

鳴田麻未
4年前
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Re: M君とソフトボール

学年内でもイケてる存在のM君に憧れと羨望を持ってたんだなあ、稔さん。あとこの「稔」全編に…

鳴田麻未
4年前
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稔 第2回|30年前の借りは返したぜ。

中学校は日大系の私立に行った。兄が通っていたというのも理由だが、私には小学校の時に今一歩…

鳴田麻未
4年前
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稔 第1回|M君とソフトボール

私が生まれたのは、東京の墨田区向島という所である。 南に行けば、あの世界の王さんを輩出し…

鳴田麻未
4年前
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