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稔 第9回|食べ物について

このマガジン「稔」は、父・稔が退職時に半生を振り返ったエッセイです。執筆時期は2013年、57歳。
<バックナンバー>
第1回|M君とソフトボール
第2回|30年前の帰りは返したぜ。
第3回|蒲田のK子さん
第4回|エロ映画館
第5回|スキーと連れ合いの話
第6回|ピンボール
第7回|家のこと
第8回|仕事と達成感

これまでの半生の中で、最大の好物は「たまご焼き」である。昭和30年生まれの私は、文字通り30年代に育った。幼少当時、子供の3大好物に「巨人大鵬たまご焼き」という言葉があった。ゆでたまご、スクランブルエッグ、オムレツ、和風のたまご焼き等、たまご料理にはそれぞれ味わいがあるが、中でも味付けをしない普通のたまご焼きに濃いソース(中濃ソース)かけたものが好きだ。今でも弁当を自作する時は、必ずソースかけたたまご焼きを入れる。

人間、好物というのは、これまで生きてきた経験の中で決まってくる。キャビアを食べたこともないのにキャビアが好きとは言わない。言えない。たまたま腹が減ったと時に食べておいしさに感激したとか、金がない時なけなしの金でありがたく食べた等である。最近、33年勤めた公務員の仕事を退職した。収入も当然、大幅減になった。生活や小遣いはこれまでと変わりないが、お金を大事に使おうという意識が高まった。これまでよりも100円の重みが増した。例えば、コンビニで買うおにぎりひとつとっても、「今日は鮭を買うぞ」とか「今日は思い切ってビッグおにぎりを買っちゃおうかな」等と熟考する。大切に有効に物を買うということを改めて考えている。するとどうだろう。これまで何気なく、ただ腹を満たすために食べていたコンビニおにぎりが、今までよりずっとおいしく感じるのである。

たまご焼きも、当時は数少なかったソースを使うおかずで、ありがたみがあったのだろう。しかも、このおかずは手軽にできる。冷蔵庫からたまごを出し、かき回し、フライパンで熱するだけ。3分あれば完成する。たまご焼きは忙しい当時の主婦の強い味方でもあったはずだ。子供の3大好物の一角を占め、しかも調理が手軽、値段もお手頃。たまご焼きは便利なおかずである。

次にトラウマの話をする。うなぎである。昭和41年、11歳の時、うなぎに対してトラウマになったことがある。父親が食事をとっていて「これ、うまいから食べろ」と言う。私はすでに食事を終えて、その時は近くの神社の縁日に行く約束があり、出かける間際だった。一刻も早く出かけたい。我が家の食事はいつも、父親専用の魚や刺身があり、子供用はコロッケやとんかつ等の献立が用意されていたので、うなぎなんてあまり食べたことがなかった。一見して「これはだめだ」(幼少の私の舌に合わない)と判断し、「今度食べるよ」と返事をした。

酒が入っていたであろう、今は亡き父も負けじと「これを一口食べなければ外出してならない」と言う。私は早く出かけたい一心でうなぎを口に入れた。予想通り、「クニョ」という食感と油っぽい魚臭さは私に合わなかった。私はたまらず、「おえええええ……」と口からうなぎを吐き出していた。身体が自然に反応して、うなぎを体内が受け付けなかったのである。父は笑いながら、「わかった、わかった。もういいよ」と言ってくれた。

ところで、うなぎの蒲焼は、その料理法により関東風と関西風がある。関東風は背開きして、蒸してから焼く。ふんわりと柔らかい。関西風は腹から開いて蒸さないで焼く。脂の乗ったパリッとした香ばしさがある。「クニョ」とした食感は関東風のものだ。

その後、成長して私はうなぎが高価な食べ物であると知り、また嗜好も変わったのか、ありがたくおいしくいただいている。あの時のうなぎのトラウマは、なぜかどじょうに出た。どじょう鍋の中のどじょうの姿、「クニョ」というあの時と同じ食感。今、ほとんどの食べ物は好き嫌いなくいただくが、どじょうだけは苦手である。いや、だめである。

トラウマといえば、職場の元同僚のY君は鶏にトラウマがあるようだ。Y君は新潟の出身。昭和30年代、私の育った東京都墨田区では鶏を飼っているお宅はほとんどなかった。しかし、地方に育ったY君は、家で鶏を飼っていた。そこで、2つの推測をした。
①鶏を料理する前の「鶏をしめる」場面を目撃してしまったのではないか。まだ、小さく感受性豊かな時に……。
②鶏を食べたあとに、それが家で飼っていたものであると気付いた。その時の会話。
Y君「お父さん、昨日食べた鶏おいしかったね。また食べたいな」
父「そうだな」
Y君「ところで、うちのコッコちゃん。今日は見ないねえ」
父「…………」
Y君「ま、まさか」

長い人生、1つや2つは、食べ物のトラウマがあるものだ。

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1955年生まれの父・稔が半生を振り返って綴り、娘の私が編集して公開していくエッセイです。執筆時期は2013年、57歳でした。

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