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稔 第8回|仕事と達成感

このマガジン「稔」は、父・稔が退職時に半生を振り返ったエッセイです。執筆時期は2013年、57歳。
<バックナンバー>
第1回|M君とソフトボール
第2回|30年前の帰りは返したぜ。
第3回|蒲田のK子さん
第4回|エロ映画館
第5回|スキーと連れ合いの話
第6回|ピンボール
第7回|家のこと

平成25年10月13日の産経新聞の朝刊の朝の詩に「忙しいって、心をなくすことだよ」という部分があった。達成感なんて、感じる余裕なんてないよ、とご指摘を受けるかもしれない。仕事では、ストレス、イライラ、不満ばっかりだ。確かにその傾向は強いと思うが、社会や他人の役に立っているという自分なりのやりがいを持っていなければ、仕事などはやっていられないというのも事実であると思う。

達成感とはこう考えている。
1. 上司の評価で決まるものではない。自分自身の尺度で決まるもの。(惚れられれば少しは嬉しいが)
2. たまたまラッキーがあって仕事がうまくいっても達成感は得られない。自分自身が、目標に向かって創意工夫、最善の方法を模索している。
3. 多忙、暇に左右されない。自分がどういう姿勢で取り組んでいるかが重要。(多忙な時は余裕がない。これは当然である。姿勢とは没頭しているか。という意味でとってほしい)

「半沢直樹」というドラマがヒットした。(1回も見ていないがだいたいのストーリーは聞いている。特に①は主人公の考えにあてはまるのではないか。

さて、私自身の区役所での仕事の話をする。営繕課で、公共建築物の建築や修繕を行っていた。公共建築物の新築する場合は流れは、設計、見積もり、入札、工事である。建築技術職といっても、設計は設計事務所に委託、工事は建設会社(ゼネコン)が行い、役所の担当は全体の進行管理。設計業者や建設業者がそのやり方に迷った時にアドバイスしたり、間違ったやり方をしていれば私が指摘する。設計段階や工事段階の区切り区切りで、私自身が自分の仕事に対しては、無事にここまできたなとひと安心はするが、達成感とまでは言えないということを感じていた。

このように本当の意味でのやりがいに疑問を感じ、いわゆる燃えていない状態の中、燃えざるを得ない、達成感があったなと思い出す仕事がある。

年号が平成に変わったばかりの頃。区のセレモニーホールの基本設計をすることになった。基本設計とは、要求される機能を意匠上、技術上、法規上などから検討して、建物の概要を決めることである。具体的には、セレモニーホールの要求所要室は、式場(60席程度)、受付ホール、通夜控室、家族控室(風呂付き)、式師控室。以上を2組、その他にトイレ、エレベーター、ダムウエーター、1階に出棺見送りスペースなどだ。これらの要求所要室を使いやすく、構造にも問題なく、かつセレモニーホールの厳粛な雰囲気を出して建築物概要をまとめるという任務である。さらに、斎場はいわゆる迷惑施設なので、臭気(線香)や視線(見送りの際、隣家の環境へ影響を最小限とする)などを考慮する必要がある。今ではあまり見かけないが、花輪の設置については近隣対策として禁止にして、そのスペースは設けないこととした。

基本設計では設計の妥当性を説明するため、なぜ、こうような設計になったかの趣旨説明を作る。例えば「外壁選択にあたっては、“荘厳さを演出するため”の石材として、その種類は“やすらぎと落ち着きを与える”柔らかなベージュのライムストーンにとする。ライムストーンとは石灰岩のことで、ルーヴル美術館やヨーロッパの教会などで使用されている」などなど。基本設計は、4月の年度当初に設計事務所に発注して翌年の3月までの期限である。私と設計事務所は年末には基本設計をまとめた。

そして、御用納めである12月28日に上司は建築ブロックプランを持って、地元有力者である某区議会議員のところへ説明に伺った。ところが区議会議員の意見はノーだった。自動車のアプローチがよくないとのこと。基本設計案はボツになってしまった。

よく、考えてみれば議員の意見にも妥当なところはある。デザイン、特にファサード(建物の正面の顔)を重視するあまり、自動車の動線がやや犠牲になった感は歪めない。両者は、こちらを立てればあちらが立たずという関係にある。ともかく、翌年の3月までに基本設計をまとめなくてはならない。設計事務所のミスをいうよりは、区内部の根回しのためにボツという結果になったのだ。

私は一念発起して、変更ブロックプランを大至急まとめる決心とした。年末年始は連れ合いの実家がある浜松で過ごしたが、暇さえあれば方眼紙にプランを書いては修正を繰り返した。なんとかプランになったのが、正月の2日。そして3日には区役所に行って、ドラフターでトレーシングペーパーにプランの清書をした。自動車のアプローチ(駐車場は別にある。自動車の寄り付きのためのスペース)のため、1階の半分はピロティ(壁がない柱だけの外部空間)とした。

その案は件の議員も納得した。私は設計事務所に、このプランをもとに、設計趣旨は後付で適当にまとめて基本設計書にしてくださいと指示をした。冒頭に書いた「ひと安心」ではなく、「ほっ」というやや大きな安心と充実感・達成感を感じた。自分で自分を褒めてあげるといったところだ。東京の東の外れにあるセレモニーホールに行く機会があったら、これが正月に考えた建物か…と、この話を思い出してほしい。

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1955年生まれの父・稔が半生を振り返って綴り、娘の私が編集して公開していくエッセイです。執筆時期は2013年、57歳でした。

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