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稔 第6回|ピンボール

中学生の頃、ピンボールが好きだった。別名フリッパーという。中学校の同級生の足立区梅島のS君の影響である。梅島が特にピンボールが盛んということではないが。ピンボールはコインゲームで、ボーリング場やゲームセンターに設置されていた。右下から打ち出された金属球が盤面を転がり、プレーヤーは盤面下部はフリッパーと呼ばれるバットのようなもので球を打ち返す。球が最下部に落ちたらボールデッド。球があちこちに当たったり、通過すると得点を重ねる。高得点に達した場合はリプレイをすることができる。この時、「コン!」と小気味よい音がして、プレーヤーは喜びと快感を覚えるのだ。ピンボールの経験者か否かを見分けるのは、次の2点である。

①フリッパーを左右別々に動かす。
左右のフリッパーはやや間隔が空いている。例えば、左のフリッパーギリギリに来たボールはフリッパーの先端でかすらせ、ボールの軌道を変えて、右のフリッパーへパスする形となる。そこで、右のフリッパーでボールを上部に打ち返す。
②台をゆする。
台をゆすることでボールの動きに変化をつける。左右フリッパーの空き間隔のど真ん中や左右のアウトレーンに球が来るのを、台を揺らして防ぐのである。ただし、あまりゆすると「ティルト」といって、ゲームが強制的に終了になってしまう。

ゲーム代は当時、1ゲーム50円、3ゲームで100円だった。現在はその倍だ。私とS君は50円ずつ出し合って、1ゲーム目はS君、2ゲーム目は私、3ゲーム目の1ボール目をS君、2ボール目を私、3ボール目の左のフリッパーをS君、右のフリッパーを私が操作した。3ゲーム目は共同作業によるチャレンジである。調子のよい時はお互いの健闘を讃え、共に喜び、調子の悪い時はお互い相手に責任を押し付け合う醜い争いをした。

このピンボールを巡って、聞き捨てならない噂があった。50円硬貨に糸を付けて投入口に入れると、何回もリプレイができて、しかも50円硬貨が返ってくるというのである。私とS君は浅草にあるボーリング場に向かった。平日の昼間に。そこはゲームの設置場所がフロントから死角になっており、曜日や時間によって通行人及びプレーヤーが少ない。ゲームやり放題は私たちにとって魅力的だ。
私「やっぱ、やめようよ。ばれちゃうよ」
S「大丈夫、大丈夫」
などと言って、糸の付いた50円硬貨を投入口に入れた。
私「あ、人が来た」
S君は急いで硬貨を引き上げる。やり過ごしてから再度挑戦。すると、ゲームがクレジットされた「コン」という音、硬貨を一旦引き上げ、再度下ろす、また「コン」という音。

とうとう20数ゲームをクレジットして、しかも、50円硬貨は返ってきた。2人は狂喜の舞をしたりガッツポーズをとったりして喜びをかみ締めた。その日は思いっきりゲームをしたのだが、どこかむなしい。熱くならない。リプレイするほどの高得点を出しても嬉しくない。

この違法な行為は、この時限りでやめた。やはり、ゲームは正々堂々と勝負して、初めて優越感や達成感が得られるものなのだ。

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1955年生まれの父・稔が半生を振り返って綴り、娘の私が編集して公開していくエッセイです。執筆時期は2013年、57歳でした。

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