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世界放埓日記

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#コラム

私の傷は誰のもの

レンタルの振袖を着られなかった新成人のために救済策を検討するのなら、
旅行代理店の倒産で旅行に行けなかった人のために慰安旅行を検討する人や自治体があってもおかしくないと思うのだけど、
世の中は道理で回っていかないことの方が多い。

鰻好きを自称するコメンテーターが「値段の高騰は本当に困りますよね」と眉を潜めていた。本当に鰻が好きなのならお金を払えばいいし、お金が出せないのなら我慢すればいいと思うけ

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ジャージは究極のエレガンス

小学生の頃、ランドセルが嫌いだったから、青いリュックで登校していました。
アメリカから母が取り寄せたそのリュックはたくさんポケットが付いていたし、水筒を入れるホルダーもついていたので、鍵っ子だった私は鍵を失くさずに済みましたし、折り畳み傘を常備していたためにわか雨の日に風邪をひくこともありませんでした。
同級生や先生は言いました。
「どうしてリュックで登校するの」
私は答えます。
「ランドセルを背

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お金は金額以上に物を言う

銀行のATMで、きれいなお札が出てくる度に、先生、師匠への御礼のために取っておこうとする癖がある。
使われた形跡のないピン札は、たなごころに乗せると呼吸をするように僅かに撓む。いい紙だな、と嬉しくなる。

「僕の生徒の親御さんに、いつもレッスンの謝礼を裸で寄越す人がいるんだよね。この間なんて、それを子供に渡して『おつり下さい、って言って』って囁いてるんだもの。思わず『あなたのお子さんは商品ですか』

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私が留学した理由

「お母さん、自分と同じ道に進んでくれて喜んでいるでしょう」

「お父さん、自分の教える大学に娘が入って誇らしいんじゃない」

と声をかけられる度に、ちがーう!と叫びたくなっていた。私だけかしら。

私の両親は、娘が自分のやりたいことを見つけたことを喜んでいるとは思うが、自分の人生が肯定されたかどうかという点に関して言えば無関心だったろう(我が家は世襲制や自営業ではないので)。

森鴎外の愛娘・

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最近出会った、理解のできないもの一覧

・無添加を謳い文句にしてるのにお徳用パックとか販売してるシャンプー
(保存料入ってないよね?酸化しないの?)

・土日にブライダルフェア開催中の大聖堂
(日曜日って安息日じゃないの?)

・駅前に立ってる新興宗教の勧誘
あれ、ティッシュ配りのバイトとは違うんだね!無給なんだね!

・奇跡の一本松
母「奇跡の一本松って言うけどあれ、枯れてるから」
母の友人「あれ、木じゃないから。もはや樹脂だから」

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母の名は

お母さん、ママ、おふくろ。

世の中に、親の呼称は数あれど、私はその中のどの言葉も用いない。

私と親の関係をいぶかる人は絶えない。

私の高校の担任は、私と母親のやりとりを見て「変な親子」と愉快そうに笑った。

私の高校のPTA役員だった母親は、その際立った容姿と仕事の速さで一躍有名人だった。

同級生も先輩も、そして先生までもが私に倣い、私の母のことを「七瀬ちゃんのお母さん」ではなく、母の名前

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魔女は魔法を使わない

「この世で、私たちを無償で助けてくれる存在は、時間しかいないのよ」

私の母はそう言い切った。

ストーブの上にかけたやかんがしゅうしゅう、と音を立てている。

「スープだって、パンだって、時間をかければ魔法をかけなくても美味しくなるのよ」

歌うように彼女はそう続けた。

もうそろそろストーブを仕舞う時期だ。

朝露に濡れた庭の垣根の下から、地鳩の喉を鳴らす音が聴こえてくる。春なのだ。

私は戸

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ヨガまいご

ヨガの教室を探すのは、意外にも困難を極めた。
そもそもなんでヨガを始めようと思ったかというと、自分の体の状態を知ることと、その体を適切な方法で使いこなせるようになりたいと思ったからだった。
折しも、その時にnoteで「ホットヨガがおすすめ」という記事が話題になっていた。それを読んだ私は、まず手始めに最寄りの駅のそばにあるホットヨガのスタジオの体験予約を入れた。

駅に降り立ちスタジオまでの道中で「

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私はあなたのファンではありません。

今年叶えたいと思っていた夢が叶った。

小学生の頃、いや、幼稚園生の頃からもしかしたら願っていたものかもしれない。
それは、或るバレリーナとの共演だった。
私は幼稚園生の頃から、小学校6年生の頃に今の専門領域に出会うまで、クラシックバレエを習っていた。
通っていたお教室は、最高の環境だった。国際バレエコンクールに何人もの入賞者を輩出しているようなところで、私のクラスメイトだった人達は、世界中のバレ

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芸大生は行方不明になるというけれど

芸大卒業生の母は、芸大のことを「職業訓練校」と呼んだ。
芸大に在学していたころ、私は友人と、自分の母校を「東京芸人大学」と言っていた。
芸大生は、在学中に講義や課外活動で様々なスキルを身につける。
それを手にして世の中に放り出される訳だけれど、ご存知の通り、就職率は非常に悪い。

世の中では「芸大生は卒業すると行方不明になる」などという噂がまことしやかに出回っているらしい。
笑ってしまう。そん

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私に旅行が出来ない理由

職業柄、様々な土地へゆく。

その土地で演奏するために、大きな楽器を伴って出向く。

日本なら北海道へも、沖縄へも行った。
飛行機は2席分予約する。楽器を載せるためだ。
エミレーツ航空は素晴らしい。楽器をファーストクラスへアップグレードしてくれた(私は?と尋ねたけれど、あなたはこっち、とビジネスのままだった。しかし、練習していいよ、と微笑まれた)。

旅の道中を寝て過ごすことができない。
現れては

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影を観る

父の書斎に積まれていたビデオの一つに、ゼッフィレッリの「ロミオとジュリエット」があった。
小学生の私は父に「観たい」とせがんだが、彼は「18禁だから一人で観ろ」と告げ、ビデオをデッキに突っ込むと書斎を出ていった。
一人体育座りをして観たその映画、内容は特に18禁でもなかったし、過激なシーンも無かった。
それでも、意識の根底で「これは大人の映画なのだ」と考えながら、段々と暗くなっていく書斎で観た映画

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車と楽器とランジェリー

「君は女性的な感性を持っているけれど、思考回路は非常に男性に近いね」

机を挟んで向かいに座る男性は、腕を組んで私をそう評した。

男は勝手知ったる様子で椅子に深く腰掛け、こちらを見つめている。口元には笑みが浮かんでいた。その佇まいを前にして私は、まるで敏腕の獣医か、動物写真家のようだと感じた。

浅黒い肌と少し白髪の混じり始めた髪を持つその男は、プロダクトデザイナーだった。
サマーセーターに、イ

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芸大生と芸大生でない人の違い

その「女の子」は、開演時間の20分前になってもピットに姿を現さなかった。
コンマスの男性が、私が手を振ったことに気がつき、譜面台の脇に立った。
「あれ、隣の子、まだ来ていないの」
と彼は尋ねた。
「はい。泊まっているホテルに連絡して、部屋に電話もかけたのですが、それも繋がらなかったんです。私、彼女の連絡先知らなくて」
彼は一瞬無表情になった後に、ステージの裏へ消えていった。

ミュージカルのツアー

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