母の名は

お母さん、ママ、おふくろ。

世の中に、親の呼称は数あれど、私はその中のどの言葉も用いない。

私と親の関係をいぶかる人は絶えない。

私の高校の担任は、私と母親のやりとりを見て「変な親子」と愉快そうに笑った。

私の高校のPTA役員だった母親は、その際立った容姿と仕事の速さで一躍有名人だった。

同級生も先輩も、そして先生までもが私に倣い、私の母のことを「七瀬ちゃんのお母さん」ではなく、母の名前で呼ぶようになった。


二人の関係性をくっきりと浮かび上がらせた出来事がある。

数年前、京都に母と二人で旅行に行った際、人力車に乗った時のことだった。降りる間際になって車夫のお兄さんに

「失礼ですが、お二人はどのようなご関係で」と尋ねられたのだ。

私と母は面白がって

「どういう風に見えます」

と問い返した。

お兄さんは暫く考えた後に

「師弟関係ですかね」

と答えた。


私は今、海外にいる。

留学をしていることを知った人は大抵「ご両親が寂しがっているんじゃない」と訊いてくる。

実際に、留学している友人の話を聞くと、

頻繁に電話をかけてくる親、

日本から救援物資を頻繁に送ってくる親、

視察と銘打って留学先に観光に来る親、様々だ。


私の親は、殆ど連絡も寄越さない。

「遊びに来てもいいよ」と言うと

「子供の勉強している場所に邪魔しに行く親がいますか」とすげなくされた。

留学を始めた最初の頃、私は少し寂しくなった。

けれどやがて、それが信頼関係に基づいた行為だと気付くようになってからは、私の両親への対応が変わった。

私が自分の話を彼らにするのと同じように、親の周りで起こった出来事に興味を持つようになった。

親が私を心配するのと同じように、私も彼らの体調を気にかけるようになった。

そうして気付いたことは、人間関係というのはお互いを思いあう気持ちから成り立っているのだということと、

どんなに辛い時でも、自分を信じてくれる人がいると思うと心強くなるということだった。


ある日、母が日本から電話をくれたことがある。

日本は夜だった。

「今朝、あなたのメールに『忙しい時ほど、慌てないで。怪我に注意してね』って言葉が書いてあったでしょう。

さっき同僚が怪我をしたの。

私はあなたのメールを読んで、気を引き締めていた。けれど、あなたの言葉が無かったらもしかしたら自分が怪我をしていたかもしれないって思ったの。

そうしたらあなたにありがとうって言いたくなったの。

昔の人は、言霊の存在を大切にしていたというけれど、それってきっとこういう力のことを言うのね」

私はその言葉を聞いた時に、私は母に守られているだけでなく、

私もまた母を守りたいと願っているのだと気が付いた。

今日も私は、世界で一人だけの私の母親の名前を呼ぶ。

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