私の傷は誰のもの

レンタルの振袖を着られなかった新成人のために救済策を検討するのなら、
旅行代理店の倒産で旅行に行けなかった人のために慰安旅行を検討する人や自治体があってもおかしくないと思うのだけど、
世の中は道理で回っていかないことの方が多い。

鰻好きを自称するコメンテーターが「値段の高騰は本当に困りますよね」と眉を潜めていた。本当に鰻が好きなのならお金を払えばいいし、お金が出せないのなら我慢すればいいと思うけれど、みんな画面の中で眉をひそめて深刻そうに頷いていた。
私は、日本列島の脇を北上する稚魚を想像してなんか愉快になった。眠れる列島の脇を得体の知れない生物が潮流に乗ってやってくる。彼らの行き着く先はどこなのか。
それほどまでに鰻を腹に飼いたいのなら、ヨーロッパに来て鰻の輪切りでもなんでも食せば良い。あれ、不味いぜ?

自分の痛みを共感にすり替えないことは難しい。過去の自分の判断を省みて、逃げずにその責任を取ることに他ならないから。共感されると、自分が広がった心地になって、痛みは他者と自分を結びつける甘美な絆へと変容する。

でもそれなら、共感を得られない痛みは無かったものと同じなの?
誰の目にも止まらないけれど、私の内側から絶え間無く存在を主張する、体の一部から命が流れ出すような感覚を、自分は確かに感じ続けているのに。

クラスでいじめが起こって被害者の女子がそれを先生に相談した時、当時の担任は六年二組のひとりひとりを個別に呼び出して話を聞いた。
私はどうにもその担任のことを好きになれなくて、仏頂面で椅子に腰掛けたまま黙り込んでいたけれど、担任は意に解することなく
「あなたも彼女がいじめられる直前まで、いじめの対象になっていたわよね。無視されたりして、辛かったでしょう。あなたは強いわね」
と話しかけてきた。

妙に感心する自分がいた。そうか、この人は私がいじめられていたことを知っていて、それでも何もしなかったんだ。それなのに私に今頃共感しているのか。
私も泣きついて訴えればよかった?そうしたら担任も何か救済策を講じてくれたのかしら。

昼休みに大縄跳びの仲間に入れてもらえないことは心細い。
教室に足を踏み入れた瞬間に空気が静まり返り、自分の存在を跳ね返そうとするのに抗うことは苦しい。
けれどもそれを知らんぷりできるほど鈍感でもない。ただ、その苦しみの正体を自分でも把握しきれないのに他の人に撒き散らかすのは美しくないとだけ、思った。

大人は、相談しろと言う。けれど、何を相談したらいいのか、相談することでどうなって欲しいのか、わからなかった。
だから私はその痛みを抱えながら、姿勢を正して日々を送った。痛みの根源を見据えながら。少しでも下を向いたら、少しでも背筋を丸めたら、圧力に負けて二度と立ち上がれない気がしたから。
そんな私の努力は無駄だったのか。

私はその時どんな顔をしていたのだろう。きっと、顔の中から表情が抜け落ちていたに違いない。先生は机に身を乗り出してこう告げた。
「もしよかったら、あなた彼女と仲良くしてあげてくれないかしら。彼女ね、あなたと仲良くなりたいって」

明るい言葉はパリパリと私に当たって跳ね返り床に落っこちた。
彼女の黒いセーターに猫の毛が付着しているのが見えた。ああ、なんて汚いのだろう。チョークの粉の入り込んだ爪が私の綺麗なお洋服に近づくのを見た瞬間に、私は気がついた。
この人は私に共感などしていない。それ以前に教育的配慮ですらない。
これをなんというか、私は知っている。
私は先生を見据えた。
「嫌。私はひとりでいい」
同情なんて、まっぴらだ。

それっきり、私は義務教育課程で誰かとつるむことをやめた。つるむために自分の気持ちを我慢することが無駄だと気がついたから。
私が感じた苦しみは、偽った自分を同級生に見透かされたことに対する羞恥心から来ていたのだ。「彼らは気がつかないだろう」そんな私の侮りが招いたものだった。それに気がついた日から、私はようやく同級生と友人になることができたのかもしれない。

面白いことに、当時の同級生とは今でも交流がある。私が留学していたときに、卒業旅行の行き先に私の暮らす都市を選んでくれた男子もいれば、一緒に受けた教育実習の最中に、昔の思い出を引っ張り出して盛り上がれる友人もいる。滅多に会わないし、今活躍している分野は異なれど、互いに尊敬していて興味を持っているから応援し合える。

そんな関係を続けられたのは、自分が彼らに共感を迫らなかったからだと思うのだ。

「私はこう思う。あなたはどう思うの」思春期のあの時期に、そうやって彼らを自分と同じ場所に引っ張り出したから、私たちは、お互いの中に自分を見出すことなく適切な姿を認識することができたのだろう。

私は成人式には行かなかった。その日にコンクールがあったから。友人たちは応援してくれた。
コンクールを終えてホールから出ると、真っ青な空が眩しかった。
家に帰るまでの道すがら、晴れ着ではしゃぐ人たちを眺めてながら、私は自分の選んだ道から見える成人の日の景色を味わったのだ。

#小説
#エッセイ
#コラム
#短編小説

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?