お金は金額以上に物を言う

銀行のATMで、きれいなお札が出てくる度に、先生、師匠への御礼のために取っておこうとする癖がある。
使われた形跡のないピン札は、たなごころに乗せると呼吸をするように僅かに撓む。いい紙だな、と嬉しくなる。

「僕の生徒の親御さんに、いつもレッスンの謝礼を裸で寄越す人がいるんだよね。この間なんて、それを子供に渡して『おつり下さい、って言って』って囁いてるんだもの。思わず『あなたのお子さんは商品ですか』って言っちゃったよ」
酒の席で、お世話になっていた人がそう言うのを聞いて、お稽古に通うことで身につくものについて考える機会を得た。

私は小さいころから多くの習い事をやってきた。そのうちの一つを私は選んで今に至っているのだが、それ以外にもバレエやお茶、ピアノにハープに合唱と公文、ソルフェージュなどなど、色々な習い事をさせてもらっていた。小さい頃の放課後はとても目まぐるしく過ぎていった。我ながら元気だったなあ。

そのどの習い事でも私は先生に可愛がっていただいた。バレエの発表会ではかならず中央、合唱の時はソロを任されて、公文はよく全国表彰されていたし、今でもその時の先生と親交がある。
だからといって、私がずば抜けて優秀だったかというと、決してそうではない。

自分よりも上手な子はたくさんいるのに先生は私に目をかけてくれる。どうしてだろう。

幼心に感じていたその問いの答えは、先述の言葉で解けた。

私は母に守られていたのだ。
彼女は私のお稽古のお月謝にいつも綺麗なお札を用意していた。お稽古の時のお洋服はいつもデパートで買い求めていたし、ジーンズでお稽古に行くなど以ての外だった。
先生の発表会には必ず足を運び、お中元やお歳暮には久保田の萬寿(ここ大事)をお送りしていた。
私はそれが当たり前だと思いながら育ってきたけれど、世間ではそうではないらしい。
子供にお稽古をつけること、それが、ただの技能取得に留まるものではないという彼女の姿勢は、私の評判にも影響を及ぼした。

「彼女の娘だから、信用に値する」そう思われていた私は、発表会でも良い役をもらったし、表彰式でもスピーチをする登壇者に選ばれた。それは私が優れていたからというよりも、私なら人前に出しても恥ずかしくないという確信や、信用があったからだと思う。
現に私は、最年少で出演者に選ばれたバレエの発表会の当日に38度の高熱を出したことがあったが、救急外来に寄って解熱剤を打たれてそのまま舞台で踊ったし、炎天下の野外の舞台での合唱祭、周りが熱中症でバタバタと倒れる中一人、司会を健気に頑張っていた。公文の全国表彰も、周りがジーンズとTシャツに運動靴で登壇している中、シックなワンピースに白いボレロを合わせていた私が一番可愛かった。

お稽古はただスキルを身につけられれば良い?
学童の代わりに水泳教室に行かせてる?
それでも良いけれど、そうじゃない世界もある。
最近、自分で習い事をするにあたって、お教室探しをするたびに実感する。
ヨガのお教室を選ぶ時に決め手となったのは、先生の足音だった。今通っているお教室の先生の足音は、バレエを習っていた時に大好きだった先生の足音に一番近くて、「この音、知ってる」と思ったのだった。重心が安定していて、足の裏を使える人の足音。彼女なら信用できると思ったのだった。
英会話教室を選ぶ時に考えたのは、ゲーテインスティトゥートのようなカリキュラムで学べる場所、ということだった。私は語彙は少ないが物怖じをしない性格なので、その性格に合うのはそういう教室なのだ。
先生が生徒を選ぶように、生徒も先生を選ぶ。
私は幸いなことに、その選ぶ基準と選ばれる基準をしっかり身につけているみたい。

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