芸大生は行方不明になるというけれど

芸大卒業生の母は、芸大のことを「職業訓練校」と呼んだ。
芸大に在学していたころ、私は友人と、自分の母校を「東京芸人大学」と言っていた。
芸大生は、在学中に講義や課外活動で様々なスキルを身につける。
それを手にして世の中に放り出される訳だけれど、ご存知の通り、就職率は非常に悪い。

世の中では「芸大生は卒業すると行方不明になる」などという噂がまことしやかに出回っているらしい。
笑ってしまう。そんな訳無いじゃないか。
変人たちの繋がり方は、Facebookによるキラキラ近況報告でも、取り敢えず飲んで騒ぐ刹那的なものでもないかもしれないけれど、それは細く強靭な結びつきによって保たれている。
私たちはそれを「信頼」と呼ぶ。

私は誰にも宣言せずにひっそりと留学をした。
けれども留学先の街中でいきなり自分の名前を呼ぶ声が聴こえて振り向くと、同級生だったことがあるし、山の中のセミナーでばったり先輩に出くわしたこともあるし、留学先にコンクールを受けに来る友人を家に泊めたこともあった。
異国に住む友人との待ち合わせ場所はトランジット先の空港だった。時間があれば、レンタカーを借りてその土地を回る時もあった。芸大生はそれぞれの道を進む。時折、その道筋が交わる。
次に会う約束はしない。けれど、また未来で絶対に会えるという確信がある。芸大生のネットワーク、地球を網羅する(ついでに時間軸も網羅しがち。仕事の現場に母の同級生がいたりとかする)。

芸大生は実は卒業しても行方不明にならない!これが真実です!!!ぱんぱかぱーん ざまーみろ!

就職率が低いことをメディアがこぞって伝えたとき、先代の学長は「芸大生は自分が就職先」と答えた。この言葉の持つ揺るぎない力に、私は胸を打たれた。
最近の芸大に対するメディアのアプローチの仕方は、動物園のパンダに対する好奇心と差異がない。そうして理解不能なものとして処理されてしまうことを私は憂う。このような取り上げ方で芸大生の内実に興味を持つ人は、どれだけいるのだろうか。
芸大生の生き方を嗤う人達は、生き方の多様性を認知せずに、自分の棲む世界だけが全てだと思いながら墓に入ることだろう。そんな世界に、芸術家が生きる隙間はあるのだろうか。

そこで、芸大生の理解を深めるために(そして芸大生の地位が確固たるものとなるために)芸大の卒業生の生き方が、今の時代に即していることを説明したい。

芸大生の多くは卒業するとフリーランスとなる。
昨今のインターネットの発達に伴い、フリーランスの人口は増加傾向にある。
(参考資料:NewsRelease_ランサーズ_フリーランス実態調査2016年版 )
フリーランスの仕事とは、自分の活動を自分で選択し、自分の責任において行うものだ。
芸大生はその仕事への取り組み方を、大学時代から覚え始める。
先輩から回されてきた仕事や、教授から推薦されての外部での仕事を行う中で、仕事をする上で大切な基本的な心構えを学ぶ(確定申告や請求書の書き方も含めて)。
芸大生の(自分に対する)就職活動は、リクルートスーツを着て学生時代と訣別して行う就職活動とは異なる。
芸大で過ごす毎日が、自分の未来につながっているのだ。
芸大時代からの交友関係、演奏試験が、卒業後の仕事に繋がっていく。

飲み会の席の会話で生まれた「何か一緒にやろう」の一言が、その日の夜のうちにプロジェクトとなり回り出す。
「こういう仕事を引き受けてくれる人を探しているんだけど」と芸大生に頼めば、たちまちのうちにそれに最適な芸術家の友人を紹介してくれることだろう。
私たちは信頼性の高いブランドであり、そのことに誇りを持っている。それは、先輩たちが培ってきたものであり、私達が保ち続けなくてはならない品位のようなものだ。

コンピュータの発達に伴い、今ある職業の 大半は機械に取って代わられるのだという。
そんな中で芸大でそれぞれが身につけたものは、機械が容易に身につけられるもので無いことは確かだ。

芸術家は、生き方そのものが仕事だ。
世の中に寄り添いながら、それでも自由に世界を飛び回る。
芸大は、生き方と生きる事を結びつけるための、職業訓練校なのだ。

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