私に旅行が出来ない理由

職業柄、様々な土地へゆく。

その土地で演奏するために、大きな楽器を伴って出向く。

日本なら北海道へも、沖縄へも行った。
飛行機は2席分予約する。楽器を載せるためだ。
エミレーツ航空は素晴らしい。楽器をファーストクラスへアップグレードしてくれた(私は?と尋ねたけれど、あなたはこっち、とビジネスのままだった。しかし、練習していいよ、と微笑まれた)。

旅の道中を寝て過ごすことができない。
現れては消える風景を目に留めることに必死で、飛行機に乗っても映画は殆ど観ない。
ただただひたすらに、航空会社の提供する現地のミュージシャンのプレイリストを流しながら、
窓の外の星空や、眼下に浮かぶ山並みや、雲間で光る稲妻を眺め、時折現れる他の飛行機の存在に安心したり、する。

新幹線や特急の旅も好きだ。
昔、大学の同級生とのスキーツアーで格安の夜行バスに乗った時も、寝静まったバスのカーテンと窓の隙間に潜り込んで、真夜中の道路が橙色の灯りに照らされている様を眺めるのが、楽しかった。
最近の私は、本番が終わると、新幹線に乗る前の帰るまでの短い時間に、現地の日本酒やビールを駅で手に入れることに心血を注いでいる(旅先で長居ができない。家に帰って次の仕事の準備に取り掛からなくてはならないから)。
楽器を車両の後ろ、もしくは頭上の棚に押し込めて、新幹線の扉が閉じたのを確認すると、私は静かに栓を緩めて身体を預ける。
身体を柔らかい背もたれに任せたまま、勝手に運ばれていくのは心地がいい。流れる風景は私の心を波立たせない。だから、私は旅が好きなのだと思う。

旅先で、同行者が眠りについている早朝に、一人で行動するのが好きだ。
高校の修学旅行の明け方に歩いた森の、朝露の匂い
親族旅行で行った海辺の砂浜に朝日が緩やかに昇る時間
かつての恋人と泊まった湖畔の邸宅の庭に響く孔雀の鳴き声
人生の隙間に入りこんだようなその時間は、小さな宝石箱に入れておきたいような私だけの秘密だ。

しかし、楽器を伴わない旅というものを、殆どしたことがない。

自分で計画をして旅をしたのも2回ほどに留まる(家出はノーカウント、トランジットの合間の時間も、現地でナンパしてきた男性にプランを作ってもらうのが常だ)。
留学先で、バカンスの合間に一人旅に挑戦してみたが、なんだか体に空気の道筋が出来てしまったように妙に不安定でいた。観光名所は回らず、ずっと海を眺めていた。
気がついたら、いつも必要にかられて旅行をしていた。

雄大な自然や、先人達の遺した知恵に感動するのは嫌いではない。海だったら一日中眺めていられる。車の博物館や、軍事史博物館は好物だ。大体同行者をほっぽり出して行方不明になる(ウィーンの軍事史博物館やタイの空軍博物館はとーーーーーーーーーーっても楽しかった!)。

ただ、それ以外のガイドブックに載っているような風景は別に自分が見に行かなくても他の人が見ていればいいやと思ってしまう。
現地の有名なレストラン、などというものも、それほど興味は沸かない(酒と発酵食品だけはチェックするけど)。

ゆったりとした南国でのんびりしたいと、時折思う。
けれど、そこでは私は必要とされない。
私がいた痕跡も遺らない。
だからきっと長居はしないのだろうと思っている。

いつか、私は死ぬ。心に留めおいた風景も、思い出も、塵となり風に吹かれて虚空へ吸い込まれていく。個人の記憶に何の意味があるだろう。

何を話したかなんて、思い出したら色褪せてしまいそう
写真なんか撮ったら、裏側がこぼれ落ちてしまいそう

そう言い募る自分が心のなかにいる。

それでも。

かつて大学のプロジェクトで震災の後に出向いた大船渡の風景が蘇る。

海と同じ目線で続く道路。砂埃とも春霞ともつかないぼやけた風景。山の谷間にひっそり佇む墓石。
工事をする傍らに人工的に植えられたパンジーがちょぼちょぼと咲いている。
夜の暗さ。冬の星空。ぽつぽつと見える明かり。

夜遅くに入った牡蠣小屋で、主人が話しだした震災の話。ずっと蒐集していたLPが津波で流されてしまったこと。もう行われない大船渡の運動会。黴びた8mmフィルムの中にだけ残った結婚式の映像。

昨日まで存在していたものが一瞬にして消えてしまった時、人はどうすればいいの。人の記憶なんて曖昧で、やがては消えてしまう。それを悲しむ心だって、いつかは春の宵に溶けて異界へ飛び立ってしまうのだ。
「それでも覚えていたい。忘れないで欲しい」そんな叫びが聞こえてしまったら。

芸術家は、忘れないでいることが使命なのではないか。牡蠣小屋を出ると、酔いで潤んだ瞳には重い重力を有した闇の中に浮かぶ星が映し出された。
起こったことに目を向けるのではなく、失われたことに目を向け続けること。虚無に足を浸し、虚空を掴み、それでも私は伝えることをやめられない。

LPは流されても、8mmフィルムは黴びても、それを私は覚えて伝えていく。そうすれば、それをまた誰かが引き取ってつなげてくれるのではないか。

そんなかそけき期待を胸に、私は今日も練習をするために家路を急ぐ。

だから、私は旅行ができない。

よみがえる大船渡 short ver.

#旅
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