ジャージは究極のエレガンス

小学生の頃、ランドセルが嫌いだったから、青いリュックで登校していました。
アメリカから母が取り寄せたそのリュックはたくさんポケットが付いていたし、水筒を入れるホルダーもついていたので、鍵っ子だった私は鍵を失くさずに済みましたし、折り畳み傘を常備していたためにわか雨の日に風邪をひくこともありませんでした。
同級生や先生は言いました。
「どうしてリュックで登校するの」
私は答えます。
「ランドセルを背負いたくないから」
それ以上の理由を持ちませんでした。
それでも彼らは不思議そうな顔をするのです。
考えてみてください。ランドセルを背負う理由を。そこに、確かな理由はなにもないことに気づくはずです。
先生にランドセルで登校しないからといじめられ、男子には「お前ランドセル買う金ないんだろ」とからかわれても、私はリュックで登校することをやめませんでした。

自分の身に着けるものを他人にとやかく言われたからといって変えられる人達は皆、コナカのスーツかアディダスのジャージを着るべきです。さすれば他人の目を気にして繕う苦しみからたちまち解放されることでしょう。
生まれ持った美醜を糊塗し卑小に生きるより、ありのままの自分を解放したほうが余程楽に生きられます。

私は違う、そう思った人。
その中で、体系が隠れるからと言ってチュニックやワイドパンツを履いている人。
お腹が楽だからといってウェストがゴムのスカートやパンツを持っている人。
貴方達ももれなくジャージか量産品ポリエステルの刑です。アイロンいらず、お洗濯の手間が省けた分の惰眠を心ゆくまで貪って下さいませ。そしてどんどん醜くなってください。

何故体系を隠さなくてはいけないのでしょうか。どうして楽を追求しながらもジャージサイドに堕ちることに抗うのでしょうか。
それは、人の目を気にしているからです。
おしゃれは「こう思われたい」という能動的な衝動に駆られた結果の自己表現の手段ではあれど、
「こう思われたくない」という消極的な自己防衛の手段ではありません。そんな心でお洋服を選ぶのはお洋服に失礼です。
私は官能的な胸を持つわけでもありませんし、脚がとんでもなく長いわけではありません。
ですが、アニエス・ベーのカットソーから見える自身の鎖骨や、ラルフローレンのドレスがまといつくウエストの曲線を愛していますし、何しろ私のふくらはぎの曲線はwolfordの網タイツやイッセイミヤケのプリーツプリーツのパンツがものすっごい似合うのです(あ、プリプリのズボンはウェストがゴムでした。でも、そのおかげで美しいプリーツが生まれるので善しとしますっ)。
私は中学生の頃、お年玉を握りしめ、初めて憧れのヴィヴィアンウエストウッドに足を踏み入れました。そして、そのお洋服たちが構築する美に圧倒されました。私のお年玉は、ヴィヴィアンのアクセサリーを買い求めるには充分な額ではありましたが、私はすごすごと退店しました。何もポリシーを持たない私がここのアイテムを身に付ける事は、厚顔無恥、傲岸不遜、天井天下唯我独尊(と書いた原付に乗っているヤンキー)のように無様だと思ったからです。
それからの私は、ヴィヴィアンのお洋服を着こなすためにはどうすればいいか一生懸命に考え、それと同時に自分の心が惹かれるものはどのようなものなのか、考えるようになりました。
どうやら、私は幼少期を英国で過ごしたため、彼の国の持つエレガントさに特に郷愁を覚えるようでした(フランスのメゾンや米国のお洋服も好きだけど、私の心の拠り所はローラアシュレイ)。

自分で漸くヴィヴィアンのアイテムを手に入れる決心がついたのは14歳の頃でした。その時に手に入れた小さなお財布は、私のお買い物の時にいつもそばにいて、「貴方にとってこのお買い物はほんとうに必要?」と問いかけてきました。
流石にそろそろ買い換えようと思って、大学生の頃にデパートの別のお店で革のお財布を探し求めたこともあります。けれど、いざ買おうとお財布を出した瞬間、手に馴染んだチェック柄と色の少し褪せたオーブと目があってしまい、私はそのお買い物を取りやめるしかありませんでした。そのお財布とは、留学中にスリに遭うまでずっと一緒にいました。

このアイテムに相応しい自分でいるか、この香りの似合う自分でいるか。そう問い続けることは時に疲れます。疲れた態度で向き合うのは、人でもお洋服でも失礼です。私はそういう時は潔く、アルマーニのカットソーにリーバイスのジーンズを合わせてしまいます。作業着はこういう時に便利です。

おしゃれに構わないと自己表明することは、ある種人々に清々しい美しさを感じさせます。消防士の制服や、漁師の履く長靴、ホームレスの方が着込むサイズ感のおかしい重ね着。
その潔いまでの機能美に私はファッション業界の作り上げた尺度と異なるエレガンスを見出します。その機能美は、計算しても生まれるものではありません。
もし、おしゃれに自信がなくて、周りの目を気にしてしまう方がいらっしゃいましたら、彼らを見習いましょう。
自分を美しく見せようと四苦八苦するよりも、自分の生き方に誇りを持ち、不必要な周りの声に耳を傾けずに、道を追求するのです。さすれば、ジャージもスーツもいつのまにか、貴方を引き立たせる素晴らしいお洋服となることでしょう。

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