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#自己紹介
「書く」ということ。
「書く」ということについて。
好きだから書くという選択をしたはずなのに、それを利用して書かなくてもいい事を書いてしまった。
自分の一方的な負の感情を押し付けてしまった。その攻撃性を理解していた上で、書いてしまっているので尚更たちが悪い。
誰かに何かを思わせるのは簡単なことだ。悪意を乗せるのは、もっと簡単だ。
本当に書くという行為に真剣に向き合っていただろうか。
どこかで慢心して、その攻撃性を
手紙になるような一日を終えて、自己を知る。
その日の約束は、昨年の9月からの約束になる。僕は、逸る気持ちを抑えきれずに待ち合わせの40分程前にそこに着いた。伊勢佐木町のBOOK・OFF前が待ち合わせ場所だったのは、きっと僕が早く到着しても大丈夫なようにという気遣いからだろう。
僕に渡したい本がある。
そう言っていただき、実際に会うまでに5ヵ月。聞きたい事、話したい事が積もりに積もっていた。
大江健三郎という一人の作家がいる。僕が大江健
贈られた「手作りカルタ」で僕は僕を知る。~自己紹介編~
「午前中に届くように郵送したので受け取ってください」
そう言われて待機していた僕に届いたものは、自分を見つめるにはタイミングが良すぎる理由になるものだった。これを贈り物と言わずに通過出来そうもない。
北九州からの贈り物は、明らかに僕への贈り物だった。それは厄年を迎える僕の躍年への願いが込められていた。中でも目を奪われずにいられない箱があった。そこに描かれていた文字は、
かるTAWA。
かる
使用方法を間違った事に気付いた私はこうしてnoteにやってきた。
SNSというものは、この世の中に多数のものが存在する。
私が生を受けて40年。存在を認識し始めて20年位だろうか。さだかでは、ない。
先日、振り返るとnoteを始めて一年経過したことに気付いた。しっかり書こうと思ったのは、まだ3.4ヶ月位だろうか。もともとはInstagramのバックアップのはずだった。私にだって私なりのnoteに至るまでのドラマがあるのだ。
振り返っとこう。
遡ること一
蛹(さなぎ)の必要性を問うたら結論としてとんだ迷惑かけているはなし
昆虫の世界には、「完全変態」と「不完全変態」に生態が別れる。これを要約するならば
「蛹(さなぎ)」になるかどうかである。
アサミサガシムシさんに昨日のこちらの記事を話題にしていただいた。
彼女に話題にしてもらった記事がこれだ。
彼女がnoteに最後に記事を書いたのが去年の9月末。それから8ヵ月。彼女は改名して戻ってきた。
この8ヵ月が彼女の「蛹」だったのは間違いないだろう。
北海道に生息