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そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない
決めつけて話をするという事
こうに決まってる。真実はこうであるに違いない。と話を固めて進めた方が楽だよな
何かを基にしないと強い主張はできなくなる
色んな可能性を考えだしたら話が進まなくなる
確かにそうなんだけど
そこに愛はあるんか
と言いたくなるのは余計なお世話だろうか
穴があったら入りたい
自分を恥ずかしく思うという事
「穴があったら入りたい」
という言葉を初めて聞いた時の事を覚えています
辱めを受け
見下され
バカにされ
笑われる
「こんな私」に入られる穴を不憫に思いました
すると「こんな恥ずかしい私」
と共にあるこの「肉体」も不憫に思えてくるわけです
それなら存在をマルっと消してしまうほか無いじゃないかという事で
そのようにしました
私は私に
申し訳ない
と思いました
雨は地面から湧き上がる
雨は地面から湧き上がってくるもの
あなたは「雨は天から地に降るものだ」と言うけれど
私達にはわからない
だって私達雨の日はとても気分がいいんだもの
私達も雨粒と一緒に昇っていけそうな気がするから
あなたがいくら私達を理解できなくて馬鹿にしたり嘘つきだと否定しても
私達はあなたを嘘つき呼ばわりなんかしやしない
それほど、私達とあなたが見ている世界は違っているということなのでしょう
雨は地面
言葉で傷つくということ
特定の誰かが私目掛けて発した言葉だったり
不特定多数が発していて直接私に向けられた言葉でなくても
言葉による傷を負った経験は数え切れないほどある
でも"言葉で傷つく"という仕組みに疑問がある
言葉で傷つく意味がわからない
その言葉は投げかけた人間の世界でまかり通っている言葉に過ぎず、投げかけた人間がその言葉を使用することを了解したに過ぎない
私の世界で使用されない言葉だったので驚いた。という
雑音がする
とても 極端 にも 生きてはいけず
調和をはかり
落とし所を探して生きていくしかないのか
理由もなくただ佇む
ということを
非難されるような世の中で
誰が何処にどう在ろうと
期待も執着もしないで
その存在をただ尊ぶということが
どうも難しく
「こう在るべき」という言葉に人は殺され
自らに課した「こう在るべき」でもって
自らにも殺されうる
「外の世界」がとても怖く見える時
私は家から一歩外に出ると反射的に前進に鋼のベールを纏うイメージを持つ
そんな重くて煩わしいもの纏いたくないんだけれど、「外には私の存在を否定するものしかいない。」「この世界は敵ばかり。」「すれ違う人と目が合っただけで私はその人に害をもたらされるに違いない」
自意識が強く妄想も孕んでいるしなんて異常な反応だろう
と思いはすれど
外に出た瞬間、すれ違った一瞬、で刺激に対してこんな風に反応してし
無
何か大きいもの 「無」 が迫ってきていても私は医者に行く
毎日決まってご飯を食べる
途方もなく永く人生は続くわけではないのに
死なないように努める
空間に留まろうとする
「生きている」という状態を成立させようとする