2+3=5は「客観的事実」ではない

子供に足し算を教えるとき、我々はたとえば、おはじき2つと3つを分けて配置して、「こうして近づけると5になるね」などと言って説明する。 しかしこのときたとえば、「2と3が近づいただけであり、それがどうして5になるのかまったく理解できない!」と本気で反論する<宇宙人>の子供がいたとしたら、その宇宙人に足し算という概念を理解させることはできない。 つまり足し算という概念は「おはじき2こと3こを近づけると5になる」という感覚を持つ生物が、その感覚を記述したものなのであって、つまりそ

家族についての試論

序家族とはいったい何であろうか。「家族」と一言で言ったところで様々な形がある。共同体家族、直系家族、核家族、とエマニュエル・トッドは分類した。それに対して東浩紀は、ウィトゲンシュタインの言語ゲームを持ち出しつつ、以下のように定義している。 私は核家族に生まれた。両親は同じく関東の出身であるが、父は群馬にあった直系家族から出て横浜に移り住んだ人物である。私自身は、父の実家との関係が疎遠だったこともあり、いわゆる直系家族的な大家族の様子をほとんど見たことがない。にも関わらず、自

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宮本武蔵とウィトゲンシュタイン・『五輪の書』と『論理哲学論考』

宮本武蔵の『五輪書』を読んだんですね。で、これがね、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』とね、通じるところがあると思ったんです。 この『五輪書』っていうのは一般に兵法の書ですね、剣術の書と言われていますけども、実際に読むとね、けっこう哲学書なんですよ。 (今回も上記の動画を元に記事を書きましたが、YouTubeで言い忘れたことを追加した部分のみ有料100円にさせていただきましたので、サポートしていただけると大変にありがたいです。) だから宮本武蔵っていうのは実は日本を

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【解説】竹田青嗣『欲望論』(10)〜言語ゲームと現象学

1.言語哲学の問題 前々回は、竹田による現代言語哲学批判を見た。  少しだけおさらいしておこう。  現代の言語哲学は、一方で、言語を厳密に規定することで客観性に到達しようと試みる(ラッセルなど)。  論理学は、概念と記述の一義的な規定可能性を探究することによって、言語の万人にとっての論理操作の同一性を(数学がそうであるように)作り出そうとしてきた。そこでは、たとえば、「存在とは無ではないものである」「一とは多ではないものである」「同とは他ではないものである」、といった概

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【解説】竹田青嗣『欲望論』(8)〜言語論的転回の「錯覚」

1.現代の言語哲学 前回は、現代哲学においても、結局変わることなく繰り返されている「形而上学的独断論 VS 相対主義」の見取り図を述べた。  今回は、その中身を少し詳しく見ていくことにしよう。  まずは、現代の言語哲学について。  竹田は初めに次のような挑発的なことを述べる。 「言語論的転回」というかけ声とともに、伝統的な認識の構図と諸概念は完全に顛倒されるというマニフェストが発せられた。しかしこれ以上馬鹿げた錯覚はありえない。むしろそこに現われたのは、正確に、「独対

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失敗を恐れてはならないのがウィトゲンシュタインの教え

最近ちょっと落ち込んでいたのですが、というのもニーチェのね『善悪の彼岸』を読んでると、なんかずいぶん落ち込むんですよね。 何やっても人に理解されなくて無駄なんだっていうね、そういう気持ちになってかなり落ち込むんですけども、まあそんなふうにね、落ち込んでる場合じゃないわけなんですよね。 (今回も上記の動画を元に記事を書きました。アドリブのしゃべりをアレンジしてるので、その違いもお楽しみいただけます。記事は後半から有料(100円)ですが、YouTubeは全編無料で視聴できます

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S.トゥールミン+A.ジャニク『ウィトゲンシュタインのウィーン』

第一章 ──問題と方法── 〔…〕  同じように、二十世紀初頭のウィーンの建築と芸術、ジャーナリズムと法律学、哲学と詩、音楽、戯曲および彫刻を、同じ時期の同じ場所にたまたま起きていた、多くの並行した、独立の活動とみなすならば、再び、それぞれ別な分野についての、莫大な量の、詳細な技術的な情報を集積することに終わるであろう。そして一方では、これらのすべての中で最も意義のある事実、すなわち、これらはすべて同じ時期に同じ場所で起きていたということに、眼を閉じてしまうのである。この

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ウィトゲンシュタインまとめ

ウィトゲンシュタインの著作、日記、講義、会話などウィトゲンシュタイン伝記、解説など

ブライアン・マクギネス『ウィトゲンシュタイン評伝』

第一章 家族的類似 〔…〕  たぶん絵画と彫像の家である以上に、あるいは召使と富の家である以上に、アレーガッセ(と、この家族は自分たちの家を呼んでいた)は音楽の家であった。F・R・リーヴィスの記憶によれば、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、子どもの頃この家には七台のグランドピアノがあった、と語っていたという。ノイヴァルデッグにあったカールの別の家やホーホライトでの台数を勘定しなければ、三台ないし四台以上あったということを証明するのは難しいのだけれども、そのように強調し

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ソクラテス「死を恐れるということは、諸君、知恵がないのにあると思っていることに他ならないのだ。死を知っているものは誰もいないのに、そしてそれはまた、人間にとって、最も善いものであるかもしれないのに、彼らはそれを恐れているのだ。」

ソクラテス「死を恐れるということは、諸君、知恵がないのにあると思っていることに他ならないのだ。死を知っているものは誰もいないのに、そしてそれはまた、人間にとって、最も善いものであるかもしれないのに、彼らはそれを恐れているのだ。」 (「ソクラテスの弁明(プラトン)」より) 無知の知(不知の自覚)は、哲学に興味のない人であっても一度は耳にしたことがあるでしょうし、それほど難しいものではありません。 まあ、そういうもんだよね、と大抵の人々はすんなりと理解するでしょう。 しかし、

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