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反・自殺論考2.26 自殺しかけたヴィトゲンシュタインの前半生

余計なエピソード

 庭師から晴れて教師になり、当初は朗らかに「トラッテンバッハという美しい小さな隠れ家で働いています」「学校での授業に幸せを感じています」などとエンゲルマンに報告したヴィトゲンシュタインだが、たちまち村人との関係が悪化し、彼らのことを「ろくでなし」「虫けら」「四分の一動物で、四分の三が人間に過ぎない」などと罵る手紙をラッセルに送り、すぐさま「あえて言うが、どこでも君は同じように周りの人たちに不愉快になると思う」と窘められた件については、あえて書いてはみたが最早どうでもいいだろう。

 で、赴任から半年後の1921年1月2日、ヴィトゲンシュタインはエンゲルマンに書く。
 今さら「すわ自殺か」と煽る必要もないので、そのまま載せると、

あなたが僕から逃れたいのではないか、というおかしな思いに襲われました。それは次のような理由からです。僕は一年以上も前から道徳的に完全に死んでしまったのです!

 えー!
 
 と驚きの思いに襲われる読者は最早いまい。
 バートリー三世であれば、この「道徳的に」も性的衝動と結びつけて騒ぐだろうし、実際そうしているが支持者はいない。
 なにしろ大学生の時分に鬱に陥った際も「道徳的に治療したい」と言ったヴィトゲンシュタインである。
 こう手紙は続く。

僕は今日も恐らくそれほど珍しくない状態の一つに陥っています。──僕には或る課題がありましたが、それをやりませんでした。今そのために破滅に向かっているのです。自分の人生を善きことのために向けるべきでした。そうしていたら星の一つになっていたのです。その代わりに僕は地上に留まり、今や徐々に死んでいます。僕の人生は本当に無意味になっており、それゆえ余計なエピソードから成り立っているに過ぎません。

 こう本人も書いているので、ここで本章を終える。
 ヴィトゲンシュタインの人生は今後も三十年あまり続き、重要なエピソードも沢山あるが、繰り返し述べた通り自殺の影は嘘みたく消えるため、本稿のテーマにおいては文字通り「余計」に過ぎず、沈黙しなければならない。


『反・自殺論考 Ⅲ』に続く

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参考文献

・レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン 天才の責務』岡田雅勝訳、みすず書房、一九九四
・ブライアン・マクギネス『ウィトゲンシュタイン評伝』藤本隆志訳、法政大学出版局、1994年
・ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』丸山空大訳、2016年
・ウィトゲンシュタイン『反哲学的断章』丘沢静也訳、青土社、1999年
・Hermine Wittgenstein『Familienerinnerungen』Haymon Verlag . 2015
・クルト・ヴフタール『ウィトゲンシュタイン入門』寺中平治訳、大修館書店、1981年
・オットー・ヴァイニンガー『性と性格』竹内章訳、村松書館、1980年
・バートランド・ラッセル『自伝的回想』中村秀奇吉訳、みすず書房、1970年
・ウィトゲンシュタイン「草稿1914─1916」奥雅博訳(『ウィトゲンシュタイン全集1』大修館書店、1975年)
・Ilse Somavilla編『Wittgenstein – Engelmann Briefe, Begegnungen, Erinnerungen』Haymon Verlag . 2016
・Brian McGuinness編『Wittgenstein Eine Familie in Briefen』Haymon Verlag . 2018
・ポール・ファイヤアーベント『哲学、女、唄、そして…』村上陽一郎訳、産業図書、1997年
・ウィトゲンシュタイン『哲学宗教日記』鬼界彰夫訳、2005年
・Maurice O’Connor Drury『The Selected Writings of Maurice O’Connor Drury』Bloomsbury USA Academic . 2017
・フランク・P・ラムジ「書評」中平浩司訳(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』ちくま学芸文庫、2005年)
・Ilse Somavilla編『Begegnungen mit Wittgenstein. Ludwig Hänsels Tagebücher 1918/1919 und 1921/1922』Haymon Verlag . 2012
・ウィリアム・W・バートリー『ウィトゲンシュタインと同性愛』小河原誠訳、未来社、1990年

「良いプレゼントを贈るのにお金を沢山かける必要はない。しかし時間は沢山かける必要がある」 そうヴィトゲンシュタインは言いました。 良いサポートにも言えることかもしれません。 ごゆるりとお読みいただき、面白かったらご支援のほど、よろしくお願いします!