サナキダヨウイチ

ドストエフスキーと、人の考えに触れるのが好きです。独善は諸悪の根源、精進して参ります。

サナキダヨウイチ

ドストエフスキーと、人の考えに触れるのが好きです。独善は諸悪の根源、精進して参ります。

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感じることだけがすべて

例の通訳氏の話ではありませんが、「悪」に不寛容な社会は息苦しいなと。善悪よりも、実感を信じたい。 時間の喩え話です。 車を走らせている。 フロント硝子の向こうに見えるのが現在、過去はバックミラーから零れ落ちていく。未来はつねに先に「有る」。 知ることは叶わない。 今しかない。 ゆえに「私」は無知である。 過去も想起しているという今。今しかない、未来はない。 未来は、有ると仮定して初めて「有る」。 未来が有ると仮定して、アクセルを踏み込む。加速度を感じる、バックレストに躰が

    • マウント節考

      ※以下、マウントを取りたがる人のことを不毛という意味を込めて「ハゲ」と記しております。ハゲと聞いて不快に思われる方はお読みにならぬように。 ある日のこと。 ASUSというメーカーのタブレットを使っていたら、 「おっ! エーサスじゃん。おれの息子も台湾製の安物もってんのよね〜」とハゲが目ざとくマウントを。 声が平生より一オクターブ高い、嬉しげである。 ひと回りくらい歳上だし、端的にめんどくさいので受け流します。 「そうですか。コスパいいんで(エイスースな、ハゲ!)」 日常生

      • 一匹だけの羊

        ある若いアスリートが特攻隊の博物館に行きたい、そう言っただけで話題になってしまう、この国では、八月になると戦争や平和、核兵器についてSNS含めメディアで語られるものですが、お行儀の良い正論ほどつまらぬ。 他人事だからでしょう。 離婚したばかりのシングルマザーに、女がいう。 身勝手ね、子どもがかわいそう。 あなたの稼ぎだけで人並みの教育を受けさせてあげられる? もしかしたら正論かも知れぬが、女は無神経にすぎるというのもまた正論といえましょう。 されど実相は、女もかつて同じ

        • 煙の重さ

          巨大地震にご注意を。 そうメディアが報じていたからか、昨夜の緊急地震速報(首都圏)にはいささか緊張感を覚えたものでしたが、皆様如何でございましたでしょうか。 最近読んだ本によりますと阪神・淡路大震災のときの死因でもっとも多かった(9割)のは家屋倒壊などによる圧迫死とのことで、揺れを感じたら大きな家具から離れ、たとえ火をつかっていても無理に消そうとはせず、まずは机の下に潜るのが減災という観点からするといいらしい。 とそんなことを揺れが収まってから妻に話したのですが、彼女、収

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        感じることだけがすべて

          ジソンジエイノココロ

          随分むかしのことになりますが、プライベートのことを一方的に根掘り葉掘り尋ねられ、辟易したことがある。目上の人とはいえ、あまりにしつこいので意図を問えば、信頼関係を築こうと思ってのことだという。 信頼関係、確かに大事ですが。 朝に、平和記念式典の中継をみながらそんなことをおもい出す。 過ちを繰り返したくないのは、誰だって同じでしょう。 過日午後、軽快にキーボードを叩いているとインターホンが鳴る。配達員なら昨日ア◯ゾンで注文したサーキュレーターに違いない、ドアの前に置いといて

          ジソンジエイノココロ

          備える以前に憂いなし(おい)

          ※3000字あります、災害対策について。 水と安全はタダ。 そんな災害大国があるという―― 殺人級の暑さがつづいておりますね。 こうして生きて note を綴ることができるのも電気のおかげ、インフラのありがたみを感じざるをえない夏まっさかり、晴れていたかと思いきや、にわかに黒雲たちこめ雷鳴とどろき雨が滝のごとく降り出しますと、恵みに感謝というよりも、氾濫や土砂災害による家屋倒壊、停電と憂うことしきり。 備えあれば憂いなしなどと申しますが、備える以前に現状を憂いてもいない

          備える以前に憂いなし(おい)

          けっきょくお前かい

          1 失うには歳をとりすぎ、選ぶには若すぎる―― デヴィッド・ボウイの曲の一節ですが、十代のころは誰だって夭折や自殺を美化し、27歳で死んだロックスターに憧れるものである(知らんけど)。 ブライアン・ジョーンズ、ジム・モリソン、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、そしてカート・コバーン。 1994年4月、アメリカシアトルの自宅にて、かれが自らショットガンで頭を撃ち抜いてからほどなくして、西日本の片田舎でのこと。放課後、同級生の女の子があたしも死にたいわぁと涙ながらに語

          けっきょくお前かい

          誰がために風立ちぬ

          だあれが風を見たでせう 私もあなたもついぞ見ぬ されど木の葉の顫えるは 風がとおりぬけたのです だあれが風を見たでせう あなたも私もいまだ見ぬ しかれど梢がなびくのは 風がわたっているのです ふるえる木の葉と同様に なびいた梢と変わりなく いのちというは、現象で たれもが一期の、現象で だあれが風を見たでせう 私もあなたもついぞ見ぬ 風は木の葉をおののかせ 私のこころもおののかせ 梢を手もなくなびかせて 花を手もなく散らしめて いのちというは、現象で まことはかなき、

          誰がために風立ちぬ

          時には悪女たれ

          信心深い人を指して善男善女というらしい。 自分は無宗教だという人は少なくないのがニッポン人でありますが、誰しも何事かは知らねども何かを信じている。神とは何かと問われ答えられずとも、ロマンスの神様はわかるように。 小室直樹は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を著したドイツの社会学者マックス・ヴェーバー(1864~1920)を引いて、宗教とは「人間の行動を意識的及び無意識的に突き動かしているもの」、行動様式(=エトス)であるといい、そこからさらに敷衍しイデオロギー

          家を出ずれば七人の敵あり

          場の倫理とは何か―― またぞろ何処かの首長がパワハラだのおねだりだのと叩かれておりますが、権力者というもの、舐められては務まらぬ。という側面が過剰に出、弁えることができなかったのかも知れません。 皆様におかれましても、ふんぞり返ったハゲの勘違いを訂正するでもなく相槌を打ったり、立場上あえて厳しくどちらが上かを示したりと、全体の中の一部として相応の振る舞いを求められることは少なくないかと存じますが、世の中とは他人の集まりですので、場の倫理という他者との関係性を弁えられぬ者は

          家を出ずれば七人の敵あり

          正義を体現する者

          哲学者たるもの身をもって範を垂れよといったのはだれであったか。正しさとは説くのではない、体現せよと。 正義の体現者といえばまず警察が浮かびますが、犯罪者の検挙が正義の具現化であるとすれば、正義のためには罪が必要となる。これを善悪に置き換えれば、善のためには悪が必要である、となりますが、「世界の警察」(今は昔ですが)たる彼の国に尋ねてみればわかり良いでしょうか。 2001年のアフガニスタン侵攻の契機となったのは同年9月11日の同時多発テロでありますし、2003年のイラク戦争

          正義を体現する者

          東京日和

          うんざりするほど暑い日がつづきましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。東京は今日は雨。ちと涼しい。 以下、ふと思いついたよしな事ではありますが、お付き合い頂ければ幸いです。風潮について。 病院の、廊下に並べられたベンチに腰掛けて呼ばれるのを待つあいだ、話し声が耳に入る。訪問介護と書かれた扉を全開のまま、二三の職員が患者だかその家族だかの噂話で盛りあがっている。悪口である。態度が横柄で暴言を吐くらしい。苗字と性別、職業、だいたいの年齢、最寄り駅まで、待合スペースに垂れ流してい

          醒めて踊れ

          政治のことを「まつりごと」というのは古代の祭政一致からきているとか。都知事選の投票日がせまって参りましたね。一都民として、「まつり」の高揚感などといったものは皆無ですが、投票率は60%くらいだろうといわれており(これでも高いほうらしい)、政治には関心のない人も少なくないわけで。この国のていたらくを思えば致し方ありますまい。 失われた30年を揶揄して「ゆでガエル」といった評論家がおりましたが、ゆでガエルとは何も感じない国民であり、30年間ぼうっとしていた有権者のことでもありまし

          言葉は移ろう、場は残る

          言葉とは用法であるという。不変の意味があるわけではなく、道具のようなものであると。 建築現場で親方が見習いに「ハンマー!」と叫べば意味は明瞭でしょうが、ハンマーは釘を打つものでもあれば暴漢から身を守るものでもあり、陳列棚にあれば売り物ですし、それを見て強盗を思いつくアホもあるでしょう。 言葉の意味は文脈によって移ろう。人によって移ろう。関係性によって移ろう。場によって移ろう。言葉は、時代によって移ろう。 「ヤバい」を多用する若い人をつらまえて、句点を嫌がる「マルハラ」を

          言葉は移ろう、場は残る

          仕組まれた自由

          「仕組まれた自由にだれも気づ」いていないと歌った、尾崎豊『卒業』がリリースされたのは1985年。つくば万博があり、電電公社と専売公社が民営化され、KKコンビが甲子園をわかせたこの年の9月、ニューヨークプラザホテルにG5(日・米・英・仏・西独)の財務大臣と中銀総裁が一堂に会し、アメリカの「双子の赤字」を解消するため各国で協調介入することに合意した。その後の円高不況とバブルの契機となったといわれるプラザ合意である。 経済学者の森永卓郎氏はこれに先立つ8月、日本で起きたある事故が、

          Are you a donkey?

          ある言論人がきたる都知事選にふれて候補者に魅力がないといい、米大統領選も同様であり、ゆえにアメリカ国民の気持ちがわかるのだとか〈🔗〉。 んなわけあるかい。 人種も宗教も民族も多様なことをかんがみるに、気持ちはおろかアメリカ人とはこうであるというイメージすら思い浮かべるのも難しいというのが実際でしょう。 「アメリカ国民の気持ちがわかる」とはひとはみな同じ人であるという思い込みが前提でありましょうが、思い込みとは錯誤でしかありません。 しかし私たちがアメリカ人をあるひとつの