ZARD 坂井泉水の楽曲「Oh my love」における言葉の意味の創造的ゆらぎ
詩とは、感情や情動を言語形式で表現した芸術です。前回に引き続き、坂井泉水・作「Oh my love」をさらに深く鑑賞しました。
「Oh my love」は、故・坂井泉水が作詞し、1994年にリリースされた楽曲で、「ゆるい坂道 自転車押しながら・・」のフレーズで始まる恋の歌です。
詩人は、新しい表現を求め、言葉の意味に揺らぎを与えます。
この曲のサビの部分に「胸騒ぎ」というフレーズが出てきます。
・・週末まで待ちきれない そんな胸騒ぎ揺れる午後・・の部分です。
文脈から考えて、この「胸騒ぎ」の意味は、「ワクワク、ドキドキして」待っているという、ポジティブな期待に胸を膨らませていると、捉えられます。
一方、「胸騒ぎ」の辞書的な意味は、「心配事や悪い予感のために心臓の鼓動が急に激しくなること、心穏やかでないこと」であり、意味が逆転しています。
これは、坂井泉水が言葉の意味を取り違えて使ったわけではありません。
哲学者ウィトゲンシュタインの洞察によれば、言葉の意味は、集団の中でルールを取り決めることによって決まるわけではありません。言葉は人の生の営みとして、二人の間でやりとりされ、その使われ方よって意味が決まります 1) 。ウィトゲンシュタインはそれを「言語ゲーム」と呼びました 2) 。ですから言葉は生きていて、人と人の間で使われることによって常に意味が揺らぎ、変化します。
しかし、一人の中で、好き勝手に言葉の意味を変化させることはできません(私的言語の不可能性)3) 。
身近で解りやすい例として、車の「ハザードランプ」の意味について振り返ってみましょう。ハザードランプは、本来、周囲に危険を知らせるためのサインです。
これは、法令で定められたものです。
しかし、現実はどうでしょうか?誰が決めたわけでもありませんが、進路を譲ってくれて「ありがとう」のサインに多用されるようになっています。誰知れず、使われるうちにそうなってきました。最近では、割り込んで「すいません」「ごめんなさい」の意味にも使われるのを経験します。
坂井泉水から、聴衆へ、それまでになかった新しいことばの使い方が投げかけられ、われわれ聴衆がそれを味わうことで、言葉の意味世界が拡張され、ひいては他者ともに生きる世界が豊となるのです。
30年の時を経て、坂井泉水がさりげなく詩に散りばめた、創造の種子を発見してびっくりしました。
ZARD 坂井泉水に関するまとめは、こちら。
文献
1)中村 昇・著:ウィットゲンシュタイン最初の一歩. 亜紀書房, 2021, P78-86
2) 1)P63-70
3) 1)P87-92
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