言葉で傷つくということ
特定の誰かが私目掛けて発した言葉だったり
不特定多数が発していて直接私に向けられた言葉でなくても
言葉による傷を負った経験は数え切れないほどある
でも"言葉で傷つく"という仕組みに疑問がある
言葉で傷つく意味がわからない
その言葉は投げかけた人間の世界でまかり通っている言葉に過ぎず、投げかけた人間がその言葉を使用することを了解したに過ぎない
私の世界で使用されない言葉だったので驚いた。という意味ならわかるのだけど"私が傷つく"意味がわからない(傷ついてはいるのだけど)
どんな言葉が私の耳から聞こえてこようと、目に飛び込んでこようとその言葉に意味を与えるのは私であって
投げかけた人間が付与した意味を私がわざわざ推し量ることをしなくとも良いのに
あらゆる言語、非言語(ボディーランゲージ、ジェスチャー、表情などなど)を使ってこの世界を生きているけど結局は"推し量る"程度のことしかできない
"こんな感じ"
きっと"あんな感じ"のことを伝えたくて"こんな感じ"と言っているのだろうな、、、
「言い換えれば"あんな感じ"ですか?」
「そうそうまさしく"そんな感じ"!!」
言語で遊んでるみたい
めっちゃ共感できる!分かり合えた!と感動した時だって自分の手応えとは裏腹に私の思っていることが全然相手に伝わってなかった。。と違う仕方で気付く。という経験をしたことがあるし
"ある言葉"自体を悪い言葉と仕立て上げたのは人間だし、相応しいとされるシチュエーションで使われ続けるから"ある言葉"たちは刃になり続ける
言葉で心に傷がつくという現象は存在するし認めざるを得ないのかもしれないけど反論の余地がありそうなので諦めたくない。神聖な言葉が人間を傷つけるツールであって欲しくない
傷つくというより恐怖を感じたと言い換えたほうが納得がいく
推し量った先には
私に好意を持っていない他人の姿が浮き彫りになる「私に好意を持っていない人=危険人物」とある理由からとても過敏に反応をしていると警戒しなくても良いことまで脳の煙センサー的な装置が反応してアラームが鳴りっぱなしで頭の中は常に非常事態という事になり、特定の人に対してや不特定多数(人全般)に対して警戒を敷く事になる。
私に好意を持っていない人が必ずしも私に害を与える人(危険人物)ではないかもしれないのに
一度でも怖い思いをしたことがあると、センサーは非常事態を素早くキャッチして危険を回避できるようにあまり警戒しなくても良いことまで敏感(過ぎるほど)に拾ってしまう
言語で遊ぶことをやめない限り人間の悩みは尽きないのでは???
書きたいことの着地点を見出せなくなってしまったし書きたいことが2つ以上に増えてしまった気もするし、これ以上書いても今はまとまらないのでまた吐き出したくなったら来よう。という事で
私の日記ということにしてお開き