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本能寺の変1582 本能寺への道3 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

本能寺への道3 

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→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道1   2   3   4   5 
その一因 目次大 目次中 一、光秀の年齢と嫡男光慶 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【 重要史料 】 【 人物 】  
*◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済
 そ=その一因 テ=テーマ別 
*加筆修正 

そ第78話⑩
 同、二十六日
 
光秀は、亀山城に入った 。        【 重史 030】(『信長公記』)

 光秀には、先が見えていた。
 
中国攻め → 国替え → 「さらなる夢」→戦いは、終わらず。

 すなわち、国替えは、明智の危機。
 
明智は、存続の危機に瀕していた。

 
光秀には、「守るべき者」たちがいた。

 明智の命運は、中国出陣によって定まる。

 これを阻止するためには、中国攻めを取り止めにする他ない。

 出陣の日は、六月一日。 
 
光秀は、実際、軍勢の一部を、先行して、出陣させている。
                       ◎第1話 (『信長公記』)

 残すところは、あと三日。
 五月は小の月。
 二十九日が月末である。 

 光秀は、全神経を、この一事に集中させていた。
 黙して、語らず。
 心の内を知るのは、己のみ。                      

そ第78話⑪
 光秀は、分岐点の上にいた。
 
右か、左か。
 これ、すなわち、迷い。
 結局、決断、出来ず。

 選択肢は、二つあった。

 一、頼辰が、「間に合えば」、・・・・・。

 
光秀は、元親との交渉に、最善を尽くしていた。
 ①天正十年一月十一日付、石谷光政宛て斎藤利三書状。
 ②天正十年五月二十一日付、斎藤利三宛て長宗我部元親書状。
                           →【 重史 042】

 光秀は、このことを、最優先に、考えていた。

 一、なれど、「間に合わぬ時は」、・・・・・。

 光秀は、典型的な戦国武将。
 常に、最悪の事態を考えていた。

 そして、その様な気配が、日増しに、色濃くなっていた。

 光秀の心の奥底には、秘策があった。
 
「成らぬ時」は、・・・・・。

そ第78話⑫
 同、二十七日
 
光秀は、愛宕山へ。
 山上より、京を見下ろす。        【 重史 031】(『信長公記』)

 信長は、無警戒だった。
 情報は、公開されていた。

 信忠は、京で、信長の上洛を待っていた。 【 重史 028】(「小畠文書」)

 光秀は、信長の上洛情報を入手した。
 光秀は、聡い男。
 万事につき、抜かりはない。
 京にも、坂本にも、安土にも、・・・・・。
 万全な情報網を構築していた。

 なれど、光秀は、用心深い。
 これは、あくまでも、予定。
 変更など、よくあること。
 その時に、なってみなければ、わからない。
 したがって、安易に、これを信用せず。
 次の報せを、待つ。

 石谷頼辰、未だ、帰還せず。


【参照】その一因 一、光秀の年齢 2光秀の年齢 6人格形成
  そ第78話⑩  そ小78⑩    テ第78話  ◎第78話 第78話
  そ第78話⑪  そ小78⑪    テ第78話  ◎第78話 第78話
  そ第78話⑫  そ小78⑫    テ第78話  ◎第78話 第78話



 ⇒ 次へつづく

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