見出し画像

本能寺の変1852 その一因 目次大 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 目次大 

はじめに ←目次 ←「その一因」 ← 
重要 ◎目次 
重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親
その一因 目次中 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【 重要史料 】 【 人物 】  
*◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済
*加筆修正 

「本能寺の変」の「原因・動機」は、一つだけではない。

 以下、「その一因」を1~5に大別する。
 ( 只今、進行中!!) 

1時代の風潮


2光秀という男


3光秀の苦悩


4志向の相違


5信長の油断


時は今




 ⇒ 次へつづく

NEW!!

目次 が更新されました。

 これで、全体像がよくわかる!!
 毎日更新!!
 原因・動機の究明は、この一歩から!!

重要 ◎目次 が更新されました。

 「本能寺の変」
 原因・動機は、この中にあり!!
 ご注目下さい!!

テーマ別 目次 が更新されました。

 視点を変えれば、見える景色も違ってくる!!

見えてきたもの 目次 が更新されました。

 これで、さらに、一歩、近づいた!!
 ご期待ください!!

この記事が参加している募集

#テレビドラマ感想文

21,753件

#日本史がすき

7,285件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?