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本能寺の変1582 その一因 一、光秀の年齢 そ第78話⑭ 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 一、光秀の年齢 そ第78話⑭ 

2光秀の年齢 6人格形成 

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 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
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そ第78話⑭ 同二十九日 上洛

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     そ第78話⑨ そ第78話⑩ そ第78話⑪ そ第78話⑫
     そ第78話⑬

同二十九日。
信長が、上洛した。
 
午後、遅かったという*。

  五月廿九日、信長公、御上洛。

 *申の刻16時頃 (「兼見卿記」)
  未の刻14時頃 (「同別本」)

 信長は、安土に、留守居の衆を残した。
 本丸に七、二の丸に十四、合せて二十一将。

  安土本城御留守衆。
  津田源十郎・賀藤兵庫頭・野々村又右衛門・遠山新九郎・
  世木弥左衛門・市橋源八・櫛田忠兵衛。

  二丸御番衆。
  蒲生右兵衛大輔・木村次郎左衛門・雲林院出羽守・鳴海助右衛門・
  祖父江五郎右衛門・佐久間与六郎・簑浦次郎右衛門・福田三川守・
  千福遠江守・松本為足・丸毛兵庫頭・鵜飼・前波弥五郎・山岡対馬守。

  是れ等を仰せつけられ、

 従うのは、小姓衆のみ。

  御小姓衆二、三十人召し列れられ、御上洛。

信長は、中国へ出陣するつもりだった。

  直ちに、中国へ御発向なさるべきの間、

信長は、「家康」に配慮した。
 家康は、暗殺されるのを怖れていた (『日本史』「本城惣右衛門覚書」) 。

信長は、京に、軍勢を入れなかった。
 安土に、待機させていた。 

  御陣用意仕り侯て、御一左右次第、罷り立つべきの旨、
  御触れにて、 

信長は、親衛隊(馬廻衆)を伴っていなかった。
 すなわち、自身を警固する軍勢がいなかった。

  今度は、御伴これなし。
                    【 重史 033】(『信長公記』)

これすなわち、信長の「油断」。
 
結果としては、そう、なる。
 「一世一代の不覚」と、言うより他はない。

 しかし、これが信長流。
 信長のやり方なのである。

光秀は、こうなることを予知していた。
 光秀は、信長の性格をよく知っていた。

 家康は、暗殺を怖れている。
 信長は、そのような家康の心中を察していた。

 光秀は、道中で、目にした。
 駿河・遠江・三河は、家康の領地。
 甲斐からの帰路、そこを、通った時のこと。
 信長は、軍勢を、引き連れていなかった (①②) 。
 これ、すなわち、「配慮」。
 家康を信用しているという、意思表示。
 否、裏を返せば、「相互不信」。
 生と死は、正に、紙一重。
 油断=死。
 これが、戦国時代。

 ①『信長公記』 天正十年1582、三月二十八・二十九日条。 
   
  信長公は、諏訪より、富土の根かたを御見物なされ、
  駿河・遠江へ御廻り候て、御帰洛なすべきの間、
  諸卒、是れより帰し申し、頭々ばかり、御伴仕り侯へと仰せ出だされ、
  御人数、諏訪より御暇下さる。

  三月廿九日、
  木曽口、伊奈口、思ひ々々に、帰陣侯なり。

 ②『信長公記』 天正十年1582、四月十六日条。

  信長公の御感悦、申すに及ばず。
  大天龍、舟橋御通りなされ、小天龍、乗りこ(越)させられ、
  浜松に至りて、御泊り。

  爰(ここ)にて、御小姓衆・御馬廻、悉(ことごと)く、御暇下され、
  思ひ思ひ、本坂(ほんさか)越え、今切(いまきれ)越えにて、
  御先へ帰陣なり。
  御弓衆・御鉄炮衆ばかり、相残り、御伴なり。

 ならば、今度(こたび)も、それに、同じ。
 否、その、逆のパターン。

 家康は、少人数で訪れた。
 これ、すなわち、信長を、信用しているの意。

 否、そうせねばならなかった。
 何しろ、信長は、猜疑心が強い。
 疑われれば、潰される・・・・・。
 恐ろしい時代だった。

 そして、今度は、信長の番。
 信長は、これに、応えねばならなかった。

 となれば、・・・・・。
 「都には、軍勢を入れぬ」
 否、入れるわけには、いかぬ、のである。

 斯くなれば、
 「丸裸」
 「兵が、おらぬ」
 「如何に」、・・・・・。

 光秀は、聡明な男。
 そのように、先を、見ていた。

 そして、正に、その通りになった、のである。



 ⇒ 次へつづく

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