苦労に縁のある人・ない人 “苦労は人生換算ではない。”

“苦労というものは若い間にした方がいい”といった言葉があるが
私は、最近人と話をしていて思ったことがある。

そもそもだが、「苦労が多い人生」を歩む者と、「苦労が少ない」人生を歩む者が存在しないか?と。

「若い間にたくさん苦労をしたから、ここからは苦労なしね!」みたいな人はあまり存在しないように思ったのだ。
実際、苦労が途切れない人と、はたまたどの時代の話もずっと幸せそうな人とがいるように思う。

「苦労」とは、人生換算で皆平等になってはいないのだ。

「これまで80の苦労をしたから、残りの人生では20の苦労が時たまに起こる」や「若い間、随分と幸せな人生だったのだからこれ以降はずっとツラいよ」などといったシステムは導入されていないということである。

そう、この世界では「苦労」の数が皆同じということにはなっていない。(これまで苦労をして来た人からすると怒りたくなる案件かもしれないが。)

つまりこの「若い間に苦労をした“から”」今後は幸せ豊かな人生になるのではないのだ。
「これまでが苦労」と「これからは幸せ」は直結してはいない。

「苦労」を「今後の幸せ」に換えるには、意志と決断、行動、自身と向き合うことが必要になる。

自分の苦労を美徳として語っているだけでは、自身は決して報われないのだ。

ただ、「苦労」して学んだこと・見えたことから
“自分の現在地点”を把握し、見つめて、変えていく意思とエネルギーを自分の内側に向けて
“自分と向き合うきっかけ”にすることはできる。

これだけのものが間に入ってこそ、やっと「これまでの苦労」は活かせるのだと思う。
「苦労して来た者」が何もせずして、勝手に運のいい幸せな人生に切り替わるということはない。

🔽「苦労」の見え方が変わった自身のエピソード

🔽“コインを見る”視点になった時に始まるもの



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