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満月は、雲で隠れたら見えない。

ということで本日もたわえもない雑談をしていこうと思うのですが、先日5/26日はスーパームーンand皆既月食でしたよね。


まひろ(著者)は今となっては脳科学や心理学の本ばかりを読んでいるのですが、小学生ぐらいから宇宙が好きで簡単な天文学の本や図鑑を沢山読んでいたもので、わんぱく少年時代は自分でロケットを作って宇宙に行くことはできないのか?なんて考えたものです。(根っこからの引きこもり!)


なんか一回ペットボトルロケットを作ってそれを大きくしたら宇宙いけるんじゃね?とか考えたりしたのですが、まあ無理だし行けたとしても死ぬよなってことで断念してしまったことも。

まあそんな感じでなぜかまだガキだった頃から僕は宇宙に興味があったというか憧れがあって今でも宇宙旅行に行くと言っている前澤さんとか見てると「ええなーおもろそうやなー」とか思ったりするぐらいで、月を見たりするのも好きなのでこのスーパームーンand皆既月食を楽しみにしていたんですよね。


しかしこの日の天気はあいにくの曇りだったので残念ながら見えないんですよね。いやほんまに、惜しまれる、病んじゃいますよこれは。(悩みしょうもないねん)


まあそんな感じで「見えへんな〜」とか思いながら一人で外に出てタバコを吸いながらぼーっとしていたのですが、ぼけーっとしながら東の方の空を見ているとちょっとだけスーパームーンの面影があるのです。


「え、もうちょっとで見えるやん!」


とか思いながら、ぼーっと見ていると雲がそれを察して引いてくれて月食はまだ起こっていなかったのですが、スーパームーンはしかとこの目に焼き付けましたよ、ぼーっと。


ですがその後すぐにまた月は雲で隠れてしまいどこにあるかもわからなくなってしまい家に入ると

「今日スーパームーンらしいよ!でも今日は曇りだから見えへんな〜残念。」

って同居人が言っていたのを聞いて

(さっき俺は見たけどな)

とか心の中でマウントを取りつつ家で過ごしていたのですが、この時なんかふと

”どんなに綺麗な満月でも、雲で隠れたら見えへんのやな”

って思ったんですよね。


スーパームーンでも雲で隠れたら見えなくなってしまいます。しかし太陽は雲で隠れても誰もが「今は昼だな」とわかります。

月はスーパームーンでも雲に隠れたら面影もないのに、太陽は雲に隠れても面影はあるのです。



自分が環境に恵まれているかどうか、最近では「親ガチャ」なんて言い方をされていますが、これって結構子供の将来を実際左右したりするってことが最近世間で良く言われているのを目にします。

実際に親の年収や遺伝子で子供のスタイル・顔立ち・頭の良さは半分以上決まります。もちろん学歴も。

これを残酷だと思う方はいらっしゃると思うのですが、これが日本の現実なんですよね。


僕は私立の偏差値61の某高校に行っていたのですが、医学部とか旧帝国大とか難関国公立に行った優秀な人の家とか親の話とかを聞いていると、やはり親が医者とか大学教授とか大企業経営者だっていう話を良く聞いたものです。

そんな中僕の生まれはというとシングルマザーの(僕自身はあまり自分の環境を貧乏だと思ったことはないのですが)まあおそらく比較的貧乏な家庭でしたね(笑)

まあそんな貧乏話はどうでも良いのですが、実際もこんな感じで確かに優秀な人って親が凄かったりするんですよね。


そしてそんな優秀な人達であってもこの厳しい競争が行われている社会では、優秀だから成功できるなんて幻想はありません。優秀であっても無能であっても、成功する人は成功するしそのまま沈んでいく人は沈んでいきます。


これが今の社会の現実です。




ただ、僕が先日のスーパームーンから感じたことはもうひとつあります。


それは、曇りでも偶々たばこ1本分の時間外にいたら、偶々スーパームーンを一目見れたということ。


そのあとは本格的に曇ったので、おそらく僕の住んでいるところで月を見れた人は少ないと思うのですが、あそこで僕が外でたばこを吸いに外に出るタイミングがちょっとでもずれていたら、スーパームーンは僕の目に入ることがなかったでしょう。

昼間でも、今日ちょっと曇ってるけど一瞬だけ太陽が雲の間から顔を出したって光景を皆さんも見たことがあると思います。



確かに、人は生まれた環境によって、僕達を産んだ親によって、僕達が太陽になるかスーパームーンになるか、はたまた三日月になるかに大きな影響を与えます。

そして月に生まれたものはスーパームーンであっても、雲で隠れてしまえば誰にも見られることはないでしょう。


月は太陽になれないし太陽は月になれません。


ただ、雲りでもスーパームーンが見れる可能性は0ではなく、三日月は必ずスーパームーンになれます。


あの日、空が曇っていたとしてもその雲がどいてスーパームーンが一瞬でも見えたように。



あとがき


人生はタイミングが全てっていう人が一定数いたりします。

僕が曇りの日でも偶々一瞬スーパームーンを見れたようにね。


ですが僕はそのタイミングってそんなに大切だと思わないんですよね。

なぜならそのタイミングとやらが来るか時なんて誰にも予想できないし考えてもわかるようなことじゃないから、そしてそのタイミングが来るか来ないかすらも。

天気が曇りの時、スーパームーンが見れる事もあるし見れない事もあるように。

この厳しい競争社会ではもちろん全員に平等なタイミング・チャンスが来るなんて幻想はありません。


だから大切なのって、その来るか来ないかすら分からないタイミングを掴む握力なんじゃないかなって僕は思うんですよね。

タイミングなんて待っていても待っていなくてもいつ来るか・一生来るか来ないなんかなんてわからないのです。それならそのタイミングが来た時に自分がそれを掴めるように日々握力を鍛える方が大切なのじゃないかって僕は思うんですよね。

だって月は何をどう頑張っても雲をどかすことはできないのですから。三日月でもスーパームーンになれるんですから。



そして来るか来ないかすらもわからないタイミングを掴むために握力を鍛えることを無駄な努力だバカだと笑う人も、頑張ってるねすごいねと褒める人もいます。

こんな時は「他人の努力を笑うな!」って言った方が好感度も上がるのかもしれませんが、はっきり言ってまひろはそうは思いません、夢なんて笑われて当然だし別にそんなことはどうでも良いことだから。


そして来るか来ないかわからないタイミングに向けて備えることに、そのタイミングを掴むことに大した意味も価値もありません。人生別に頑張ろうが頑張らまいが価値なんて変わらないですからね。



ただつまらない人生なんて送っても仕方がなくない?と僕は思うのです。


来るか来ないかすらわからないタイミングを何もせずにただただ待ち続ける人生よりも、来るかもしれないタイミングをあほみたいに考えてバカな努力をしてくだらない妄想をする方が人生楽しんじゃないかなと。


そんなことを考えながら、日々バカして生きていたりします。

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