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歴史あれこれ

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歴史(おもに日本史)について、思うところを綴りたいと思います。
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考古学と歴史学と 〜過去を追求する学問とは〜

考古学と歴史学と 〜過去を追求する学問とは〜

九條です。

私は大学卒業後、研究職として文化財の調査技士そして博物館学芸員となって、現在まで35年ほど「歴史学」の研究に携わっています(詳しくはプロフィールのページをご覧になってください)。

さて、我が国の過去のできごと(歴史)を専門的に研究する分野には、おもに以下の3つがあります。

(1)考古学
(2)歴史学
(3)民俗学(民族学ではありません)

これらは「広義の歴史学」と言われます。

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【日本書紀 講読】飛鳥の宮 〜宮と都市文化の黎明〜

【日本書紀 講読】飛鳥の宮 〜宮と都市文化の黎明〜

九條です。

飛鳥は私の心の故郷。私が高校生の時に古代史を好きになった出発点でもあります。

私は小学生の頃から考古学には興味を持っていたのですが、その後の私の進む道(すなわち古代史)を決定づけたのは、飛鳥という時代との出逢いでした。

飛鳥時代の文化の中心となった飛鳥地域は、私が大学生の時(ですから、いまから35年ほど前)から何度も歩いていて(巡検もして)、とても想い出深い場所です。飛鳥は日本の

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歴史の空間概念 〜歴史理解の奥義〜

歴史の空間概念 〜歴史理解の奥義〜

九條です。

歴史理解のための奥義をご説明したいと思います。^_^

(以下 約1,200文字)

歴史というものは、単に「何年に何があった」とか「誰が何をした」とか、どこそこにどんな遺跡(遺構)があるとか、このモノ(遺物)は何時代のものだ、何年前のものだ…。

そういった平面的(年表的)な理解では全く理解したことにはなりません。それでは高校生までの学習内容であり、また受験勉強のための道具としての

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仏教の基本概念 〜空・唯識・中観〜

仏教の基本概念 〜空・唯識・中観〜

九條です。

仏教の最も基本的な考え方(換言すれば仏教が仏教たる所以、仏教を最も代表する思想)は、「空」と「唯識」と「中観」です。

以下では、私が中学生の頃から40年以上、我が家の宗派(法相宗)の教えとして学んできた基本的な仏教思想(空と唯識と中観)についての私の理解を簡潔に纏めてみたいと思います。以下はあくまでも私の理解です(以下、約2,100文字)。

【1. 空・唯識・中観の関係性】
空と

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聖徳太子の仏教

聖徳太子の仏教

九條です。

我が国に仏教が伝わった(仏教公伝とされる)のは、宣化天皇戊午年[1](西暦538年)または欽明天皇十三年[2](西暦552年)とされています。

厩戸皇子(聖徳太子)が摂政に立ったのは、推古天皇元年[3](西暦593年)とされていますから、仏教公伝から厩戸皇子(聖徳太子)の立太子までの間は(仏教公伝を西暦538年と考えると)55年間となります。

この55年間に日本に伝来した仏教の中

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【日本仏教史】人は救われるのか、救われないのか?

【日本仏教史】人は救われるのか、救われないのか?

1.はじめに
仏の教え(仏教)というと、慈悲深い教えであり、全ての人は仏の慈悲によって救われる…と思われがちですが、実はそうでもありません。

ここでは日本の仏教(仏教史)の中において「全ての人は救われる」とする教えと「いや、そうではない」とする教えのそれぞれの代表的な教えを簡単に述べ、その後に「いや、そうではない」という教えの考え方について、なぜそのように考えるのかを簡単に述べます(以下約2,9

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【ちょっとだけ哲学】私の仏教・私なりの唯識思想

【ちょっとだけ哲学】私の仏教・私なりの唯識思想

九條です。

ゆっくりと考える時間がある大型連休なので(しかも今日は雨ですし)、ものの見方や考え方について、簡単にちょっとだけ哲学的なお話しを(約1,600文字)。^_^

私は古代仏教である奈良時代の仏教(南都六宗)のうちの法相宗の信者なのですが、この法相宗の教えは以下にお話しする「唯識」という哲学的な思想から成り立っています。

さて、

という古い歌があります。一説には興福寺(法相宗 大本山

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幸せのヒントに 〜一神教と多神教〜

幸せのヒントに 〜一神教と多神教〜

九條です。

私は大学生のとき、一般教養課程では「諸学問の源」とされている哲学(古代ギリシア哲学)の概要を学ぶ「哲学概論」を受講し、また専門分野では歴史学(日本史学)を専攻しました。

以下は、その学びによって得られた現在抱いている私の一神教と多神教に対する印象です。あくまで個人の印象です。好き勝手書きます。お許しください(以下 本文約2,500文字)。

【善と悪について】
◎一神教的発想(二元

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理性と理念 〜学問のはじまり〜

理性と理念 〜学問のはじまり〜

九條です。

理性と理念…。

関係のないように思える2つの概念ですが…。

と同様に私は、

という風に思います。

【理性と理念】
「理性(ロゴス/λόγος/論理的に語られたもの[01])」と「理念(イデア /ἰδέα/見られたもの)」とは、古代ギリシア語においても区別されていました。

これらはいづれも真理[02]を追究する人の作用であり、結果としてロゴスの範疇にイデアは収斂されてしまうも

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言葉と理性主義 〜Logosの概念〜

言葉と理性主義 〜Logosの概念〜

九條です。

古典(古代)ギリシア語では、言葉・理性・論理…などはすべて「ロゴス(Logos)」という表現でした。

その内側には「人間的である」という共通した概念が存在しています。

なぜなら、これらは人間にしか与えられていない能力だからです。

古代ギリシアが「人間主義(ヘレニズム)」と言われた所以です。それはヒューマニズム(人間中心主義)とは全く異なります。また、ヘブライズムとは対をなす概念

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人という存在 〜私の理性主義〜

人という存在 〜私の理性主義〜

九條です。

人という生き物は、どういった性質の生き物なのでしょうか?

確かに、歴史を学べばある程度、人という生き物の行動の傾向性は「ある種の経験則や統計学的な感覚をもって」なんとなく朧げながらもその輪郭線のようなものの片鱗を掴む事ができるのかも知れません。

けれども本当に「人とはどういった存在なのか」を知り、その事を実感するためには、やはり実際に現実の社会の中において多くの生身の人間と付き合

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知性の灯・理性の光 〜私なりの理性主義〜

知性の灯・理性の光 〜私なりの理性主義〜

【はじめに】
人間は動物としての「ヒト」として生まれ、その後の成長過程において高い知性と深い理性を獲得して人間らしい温かい心を持った「人」となって行くのだと思います。

【知性とは】
「知性」とは、それまでに獲得した知識群を体系的に駆使し、自身を取り巻くあらゆる状況について考えを廻らせ、自身が置かれている環境を把握し、自身と周りとの関係性を理解する能力であるとされています。

知性は人間だけではな

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四天王寺と法隆寺との位置関係

四天王寺と法隆寺との位置関係

九條です。

先日(2023年7月19日)に放送されたNHKの『歴史探偵』の「聖徳太子 愛されるヒミツ」を録画していたものを先ほどまで観ていました。

7月は何せ忙しかったので観る余裕が無くて、しかし飛鳥文化は私の卒論のテーマでもありましたので録画予約はしておいたわけです。^_^

それで、先ほど観ていて思ったのですが…。

やはり飛鳥時代の交易を考える際には、龍田越のルートは無視できませんね。

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平城京の都市景観(1300年前の高さ制限)

平城京の都市景観(1300年前の高さ制限)

九條です。

平城京の都市景観について、ほんのちょっとだけ(チラッと)ごく簡単に見てみたいと思います。^_^

『養老令』の規定

『養老令』(西暦757年施行とされています)の中に収められている『営繕令』の「私第宅条」には、

とあります。これを読むと平城京は、整然と区画された京域内に目立つような背の高い建物はなく(寺院などは除く)ほぼ高さをそろえた街並みが広がっていたと思われます。空が広くて、

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