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歴史あれこれ

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歴史(おもに日本史)について、思うところを綴りたいと思います。
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考古学と歴史学と 〜過去を追求する学問とは〜

考古学と歴史学と 〜過去を追求する学問とは〜

九條です。

私は大学卒業後、研究職として文化財の調査技士そして博物館学芸員となって、現在まで35年ほど「歴史学」の研究に携わっています(詳しくはプロフィールのページをご覧になってください)。

さて、我が国の過去のできごと(歴史)を専門的に研究する分野には、おもに以下の3つがあります。

(1)考古学
(2)歴史学
(3)民俗学(民族学ではありません)

これらは「広義の歴史学」と言われます。

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【日本書紀 講読】飛鳥の宮 〜宮と都市文化の黎明〜

【日本書紀 講読】飛鳥の宮 〜宮と都市文化の黎明〜

九條です。

飛鳥は私の心の故郷。私が高校生の時に古代史を好きになった出発点でもあります。

私は小学生の頃から考古学には興味を持っていたのですが、その後の私の進む道(すなわち古代史)を決定づけたのは、飛鳥という時代との出逢いでした。

飛鳥時代の文化の中心となった飛鳥地域は、私が大学生の時(ですから、いまから35年ほど前)から何度も歩いていて(巡検もして)、とても想い出深い場所です。飛鳥は日本の

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聖徳太子の仏教

聖徳太子の仏教

九條です。

我が国に仏教が伝わった(仏教公伝とされる)のは、宣化天皇戊午年[1](西暦538年)または欽明天皇十三年[2](西暦552年)とされています。

厩戸皇子(聖徳太子)が摂政に立ったのは、推古天皇元年[3](西暦593年)とされていますから、仏教公伝から厩戸皇子(聖徳太子)の立太子までの間は(仏教公伝を西暦538年と考えると)55年間となります。

この55年間に日本に伝来した仏教の中

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【日本仏教史】人は救われるのか、救われないのか?

【日本仏教史】人は救われるのか、救われないのか?

1.はじめに
仏の教え(仏教)というと、慈悲深い教えであり、全ての人は仏の慈悲によって救われる…と思われがちですが、実はそうでもありません。

ここでは日本の仏教(仏教史)の中において「全ての人は救われる」とする教えと「いや、そうではない」とする教えのそれぞれの代表的な教えを簡単に述べ、その後に「いや、そうではない」という教えの考え方について、なぜそのように考えるのかを簡単に述べます(以下約2,9

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【ちょっとだけ哲学】私の仏教・私なりの唯識思想

【ちょっとだけ哲学】私の仏教・私なりの唯識思想

九條です。

ゆっくりと考える時間がある大型連休なので(しかも今日は雨ですし)、ものの見方や考え方について、簡単にちょっとだけ哲学的なお話しを(約1,600文字)。^_^

私は古代仏教である奈良時代の仏教(南都六宗)のうちの法相宗の信者なのですが、この法相宗の教えは以下にお話しする「唯識」という哲学的な思想から成り立っています。

さて、

という古い歌があります。一説には興福寺(法相宗 大本山

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四天王寺と法隆寺との位置関係

四天王寺と法隆寺との位置関係

九條です。

先日(2023年7月19日)に放送されたNHKの『歴史探偵』の「聖徳太子 愛されるヒミツ」を録画していたものを先ほどまで観ていました。

7月は何せ忙しかったので観る余裕が無くて、しかし飛鳥文化は私の卒論のテーマでもありましたので録画予約はしておいたわけです。^_^

それで、先ほど観ていて思ったのですが…。

やはり飛鳥時代の交易を考える際には、龍田越のルートは無視できませんね。

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平城京の都市景観(1300年前の高さ制限)

平城京の都市景観(1300年前の高さ制限)

九條です。

平城京の都市景観について、ほんのちょっとだけ(チラッと)ごく簡単に見てみたいと思います。^_^

『養老令』の規定

『養老令』(西暦757年施行とされています)の中に収められている『営繕令』の「私第宅条」には、

とあります。これを読むと平城京は、整然と区画された京域内に目立つような背の高い建物はなく(寺院などは除く)ほぼ高さをそろえた街並みが広がっていたと思われます。空が広くて、

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【古代史】白鳳の皇女(ひめみこ) 〜千四百年の愛〜

【古代史】白鳳の皇女(ひめみこ) 〜千四百年の愛〜

九條です。

いまから1400年ほど前。皇極天皇四年/孝徳天皇元年(645年)。

それは飛鳥板蓋宮において、我が国古代最大のクーデターである「乙巳の変」(すなわち大化改新の契機となった事件)が起こった年のことです。大和国にひとりの女の子(皇女)が生まれました。

その子の父は中大兄皇子すなわち天智天皇。母は蘇我倉山田石川麻呂の娘の遠智郎女。

その皇女は「鸕野讚良」と名付けられました。のちの持統

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平安遷都の謎に迫る ―桓武天皇の心の中は―

平安遷都の謎に迫る ―桓武天皇の心の中は―

九條です。

西暦645年の乙巳の変(とそれに続く大化改新)以降の天皇の居所である「宮」の変遷を見ていくと、西暦794年の平安遷都に隠された秘密を垣間見ることができるのかも知れません。

少し長くなりますが(2,740文字)、乙巳の変から平安遷都までの歴代天皇の宮の変遷を、大雑把にごくごく簡単に見ていきたいと思います。

※面倒であれば以下の一覧表は飛ばして読んでいただいても差し支えありません。^

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【心と歴史と文化】
人の心が分からない人には、歴史や文化といった事を理解するのは難しいのではないかと思います。

なぜなら歴史も文化も畢竟、人の心によってつくられているからです。

ですから皆さん。まずは人の心が想像できる人、人の心が分かるような人であってください。(恩師の言葉)

【多神教の文化】
唯一絶対の神を想定する一神教に対して、多神教の世界観は自然の中に、または様々な自然現象に対して神々の息吹を感じることが可能だと思います。

多神教によって育まれた文化には自然的な大らかさがあり、また人間的でもあり、二極化思考ではない柔軟さがあると感じます。^_^

【こゝろ】
歴史を動かすのは人の心。文化を生むのも人の心だと思います。

ですから人の心が分からないと、人の心が想像できないと、本当の意味で歴史を理解することはできないのではないかと思います。

日々の色々な場面で人の心を想像し、読み取ることが大事なのではないかと思います。^_^

吉野ヶ里石棺墓についての一考察

吉野ヶ里石棺墓についての一考察

九條です。

このたび吉野ヶ里遺跡で見つかった石棺墓。その墓壙内から弥生土器片が見つかったということですね。その詳しい編年が待たれるところだと思います。

さて、この石棺墓の年代は(おそらく同一時代面から出土した土器群だけではなく考古学的層位学=この遺跡地の基本層序や遺構の覆土などからの推定も伴っていると思われますが)、邪馬台国とほぼ同時期だと言うことですね。

邪馬台国がどこにあったのか、そもそ

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日本建築の屋根を見ると!?

日本建築の屋根を見ると!?

九條です。

皆さま、日本建築の屋根を観察された(見較べられた)ことは、おありでしょうか?

日本建築の屋根には、いくつ種類があると思われますか?

代表的な日本建築の屋根には、

の3種類があります。

なお、宝形造の屋根はあまり一般的ではないので、ここでは除きます。

【切妻造(切妻屋根)】
我が国では最も古い形式の屋根で、平らな板を2枚立て掛けた(合わせた)ような形の屋根です。

構造が単純

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