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祈り

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#ダイバーシティ

あなたの好きなもの、私の好きなものは違う。
あなたが信じるものを、私は信じない。
あなたが知っているあの人と、私が知っているあの人は違う。
それでいいんじゃない?

多様性が増えてから、息苦しくなって、生きづらさも増したのはなんでだろう?

最近の多様性って、受ける前から結果が決まっているテストみたい。多様性に、正解なんてないのに。
例えばダイバーシティ研修を受けないことも、多様性の1つ。

多様性っていろんな声を集約して、程良い着地点を見つけることなのに、いつの間にか着地点が全て決められるようになってしまった。むしろ多様性と言う言葉が流行る前より、息苦しい時代になってしまった。

公共の場所で赤ちゃんにしーっていうの、おかしくない?だって赤ちゃんなんだよ?

ラベル分けするからわけわからなくなるんだと思う。
車椅子に乗っている人でも、足が不自由な人と、半身麻痺の人が違うよね?
そういうこと。

LGBTへの理解が広がる事は素晴らしい事だけど、理解ができない人たちに、罪悪感や、切迫感を与えるのは間違ってる。

理解の強要は多様性に繋がらない。理解できない人や、わからないことも含めて多様性なんだよ。

社会が置き去りにする子供を増やさない為に

社会が置き去りにする子供を増やさない為に

子供には安心できる居場所と、温かいご飯が必要です。
外国籍の子供と、日本人として生まれた子供たちでは、スタートラインから違います。
チャンスを下さい。存在を無視しないでください。

そしてどうか広めてください。
この子たちが日本社会の一員として受け入れられる為に。

ポリティカルコレクトネス。日本語に訳すと政治的に正しい表現。
でも、みんながみんな政治的に生きているわけでもないし、正しく生きているわけでもない。決まった表現を押し付けるのは、ひとつの表現の自由の破壊。
少なくとも私はそう感じる。その自由を許してほしい。

多様性やダイバーシティーが叫ばれて久しいけれど、情報量が多かったり、活動が性急すぎると、しんどい。
メインストリームの動きについていかないと、許容されていない様な、責められている様な気がして、しんどい。理解を求める人は、違う個性を持った人を、どのぐらい理解できているんだろう?

思えばアメリカの人種問題って、世界中に飛び火してるよね。
ポリコレもいいけど、自国で解決してくれないかな?アメリカンスタンダードは、ワールドスタンダードじゃない。
社会問題を輸出しないで。