死する友人にささやかな祈りを。
友人が、この世界からいなくなる。
それは突然のことだ。
急に連絡が途絶えて、
彼女の家にお中元を届けたことのある別の友人に住所を聞き直接家を訪ねると、彼女はもうこの世にはいなかった。
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まもなく、この人↑と出会ってから1年になる。
この友人は僕がどれだけ鬱で落ち込んでる日でも
「大丈夫大丈夫!
私なんか昨日クレジットカード失くしてるし!」
と励ましてくれる陽(能天)気な女なのだが、先日渋谷で会ったときに彼女は寝不足だったらしく、翌日lineでこんなことを言われた。
「昨日私ちょっと疲れてたんだけど、君はずっと元気だったね~。
私よりあなたのほうが健康だ思ったのは今までで初めてだよ」
そんなことある?
この1年間、一度もあんたより元気だった瞬間ないの、俺?
いや、しかし実際にそうだと思う。
僕がどれだけ元気な日でも、それを凌駕するほどに彼女は陽気で溢れている。
もちろん騒がしいというわけではなくて、いつでも穏やかに笑っていて、テンションが高いというよりは朗らかな感じなのだ。
ちょっとしたことで落ち込んだりすることはまずないし、どこにいても面白そうな気配を敏感に察知してはアゴが外れるくらい笑う。
やっぱりたまに騒がしい。
体力があまりすぎて毎月200キロ走ってしまうような頭のおかしい人だ。
この人を常人と思ってはいけない。マジで。
そんな人より、僕は元気だったという。
これは快挙だ。
鳥取の部員12人の公立校が大阪桐蔭に勝つようなものである。
最近は自律神経を整える為に色んなことを試して、やっている。
その中で友人の教えがとても効いて、ネガティブな思考がしづらくなって明らかに不安が減っていくのを感じた。
あまりにも低コストで持続しているので、1か月くらい効果が続いたら本格的に書いてみようかな。
しかしこのままではどんどん似てきてしまうなぁ。
今日も「ま、いっか」を連発してしまった。
クレジットカードを失くして爆笑するような人になりたくはないぞ。
自律神経がこうも急激に整うと、平和ボケして辛かったあの日々の地獄を忘れそうになる。
だから「忘れない為に」先日noteに書いたごきげん記録をつけているのもあるのだけど。
せっかく僕だけの「しんどい」を経験してきたのだから、手札にあるものは残さず利用したほうがよい。
今の自分がどれほど恵まれているかを再確認する為に、自分だけの「これ以上の底なんてない」をこまめに思い出す。
「死」を意識すると「生」に感謝できる。
感謝は体に良いからね。
生き辛さを救う宗教は、どれも「死」を強烈に意識させるものばかりだ。
さて、僕を地の底から救いあげてくれた聖母マリアのような友人だが、彼女はギリギリ人間なのでいずれ死んでしまう。
「いずれ」というのはだいぶ雑に見積もった計算だ。
首都直下地震も、通り魔も、交通事故も、すぐ目の前にある。
あの鉄人に関してガンだのコロナだの病気の心配は一切ないのだが、不慮の事故は起こる。
「近い未来に起こりうる、これ以上の底」がやってくる。
大事な人が、死ぬということ。
友人が、この世界からいなくなる。
それは突然のことだ。
急に連絡が途絶えて、
彼女の家にお中元を届けたことのある別の友人に住所を聞き直接家を訪ねると、彼女はもうこの世にはいなかった。
胸を痛めたりはしなかった。
その代わりに、全身麻酔の上からフッ化水素酸をかけられるみたいに、痛みを感じないまま、少しずつ体の一部が溶けて消えていく。
欠けていく。
表面張力が必要なほどに満ちていたコップの一部に穴が空いて、水がぽろぽろとこぼれ落ちていく。
力が入らない。
筋肉と脳が弛緩されっぱなしで、交感神経が機能しない。
もうLINEすることもなければ、会って笑い声を聞くこともできない。
悲しみと途方に暮れ、電池が切れたように眠りにつく。
楽しく遊んでいた頃の夢を見たが、起きても彼女はいないままだ。
その代わり、脳は休息をとり終えて、少しだけ正常な思考を取り戻している。
僕は生きていかなくちゃならない。
僕はこれまでと同じように、淡々と自律神経を整える。
僕がとことん元気で、幸せでいること以上の手向けはない。
そんなことはわかりきっている。
いつまでも落ち込んでうじうじしていては
「大丈夫大丈夫!
私なんかもう死んでるし!」
と言われるに違いない。
だから徐々に新しい人間関係を作りに、人に会いにいく。
彼女がいなくなったからといって、コップの中の水は空っぽになったわけではない。
コップの中には僕がこれからこの世界をサバイブする為の命の水がたくさん残っている。
これは彼女が僕に注いでくれたものだ。
僕は大事にされるべき人間だということを、僕はもう知っている。
だから淡々と、運動をしよう。
僕は僕の為に、元気でいよう。
僕が僕を大事にすれば、僕はもっと大事にされる。
友人のいない世界を、僕は生きなくちゃいけない。
必要なものは、他でもない僕自身の力である。
その為に僕は、ささやかに祈る。
「今まで生きてくれて、ありがとう」
感謝は、体にいいからね。
「…そんなわけで、あんたどうせここ数年のうちに前方不注意でトラックに跳ねられるでさぁ、こっちはもの凄いスピードで成長して躁鬱を治して、心の準備をせないかんわけよ、いつでもあんたがおらんくなってもいいようにさ」
「死ぬ前提で話進めないでくれる?」
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