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体験したことしか書けない問題
大学のレポートでよく、全く知らない18世紀の小説家についてだとか、日本政府の経済施策だとかについて書かされた。全く予備知識のない状態から半年間の13コマの講義でこれらについて何千字か書く。私は毎回「こんなん誰ができるねん…」と思いながら、自分の真っ白な脳内から「何かないか、何かないか」と焦ったドラえもんのように知識を捻り出し、どうにかしてそれをレポートの形に仕上げることに苦心していた。
書く時間帯によっても記事の面白さは変わるのではないか、という仮説
わたしには以前追っているブロガーさんがいた。その人は毎日投稿を標榜してかなり長い期間いろんなことを書いている人だった。多分リアルであっても仲良くならないタイプの人間だなあとは思っていたけど、だからこそ彼の生き方とか考え方は参考になるところも多く、違うタイプの人間をこっそり観察する気持ちでわたしは彼のブログを見ていた。
彼は仕事が忙しいらしく、どうにかして時間を捻り出せないかと記事
私は読書感想文を書くのが苦手だった
なんにつけ先生に提出しなければいけないような感想文というのは、学校から課される一種のハラスメントだと思う。あれは狭い教室という逃げ場のない空間で、自分の日記(のようなもの)を公の場に公開する罰ゲームである。私が思うに読書感想文を教育的に素晴らしいと賞賛するような人間は、ひとに「なんか面白いことやってよ」というような話の振り方をできる残酷非道な人間か、頭がお花畑な性善説•信じ人間だけである。
結局ひとと交流するのが一番楽しい
上記の言葉はインターネット上で繋がっている友人の発言である。彼と私はカラオケという共通の趣味があるのだが
「どんなに歌うまくてもすぐ飽きるよ。結局人と交流するのが楽しいんだから、人柄込みで歌を好きになるんよ。」
と言っていた。これをnoteに置き換えて考えると
「どんなに文章うまくてもすぐ飽きるよ。結局人と交流するのが楽しいんだから、人柄込みで記事を好きになるんよ。」
ということになるのだろう
創作においても1+1=2なのやばくない?
人間には無限のイマジナリティがある。創作の中では空を飛んだり、違う時代に生きる歴史上の偉人を会話させたり、地球を爆発させたり、動物と喋ったり、とにかく時空も、時間もあらゆるものを無限大に扱うことができる。でも多分そんな世界の中でも1+1=2は成り立っているのである。これは普通に考えてやばい。(死ぬほど頭のいい数学者であれば1+1=3の時空を扱うこともできるのかもしれない。けれどその時空では多分
もっとみる推敲のゲジュタルト崩壊
いま自分が書いてることっておもろいんかな、と悩む。これは文章を頻繁に書く人にとってはあるあるだと思う。あーでもない、こーでもないと自意識をこねくり回してアウトプットした産物が面白いのかどうか、日記を書いている最中の私は頻繁に分からなくなる。そういう文章を一度寝た後に読み返して見ると、その場ではつまらないと思っていたものが面白かったり、逆に力が入りすぎていて白けるなと思ったり。
漢字練習帳
いろんな人のnoteを読んで面白いと思った。この気持ちの根っこを辿ってみると乱暴な気持ちを見つけた
全くもって意味がわからないのだが、わたしが自分の心に聞いてみた結果そういうことになった。これは決してわたしがnoteの作者さんが嫌いとか、内容が面白くないとか、逆に相手の文才に嫉妬しているとかではない。そもそも自分で、この人の文章面白いなあ、好みだなあと思ってフォローした人の文章にケチをつけるはずがない。自分でも訳がわからないのだ。けれど冷静になって立ち止まり、深呼吸して自分に問うてみた。どう
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